シベリウスの作品の特徴は何だろう、と考えてみると、密やかで情熱的な、鬱蒼とした空気だと思い当たる。シベリウスは実際、情熱的な人物だった。けれども同時にバイオリニストに成ろうとしても人前で上がってしまう、気の弱い所が多分にあった。彼が当初望んでいたバイオリニストではなく、作曲家の天分を持つと見抜いたのは、同じく音楽好きな、叔母のエヴェリーナだった。ヤンネの愛称で呼ばれた少年ジャン・シベリウスはロヴィーサの海で小舟に乗り、海鳥と対話しながら尽きることなくバイオリンの即興演奏を楽しんでいた。この幸福な原風景がシベリウスを生涯支えることとなる。シベリウスはスウェーデン語を日常的に話し、フィンランド語はどちらかというと不得手だった。後にフィンランド人の母国愛を代表する作曲家シベリウスだが、フィンランドは長い間スウェーデン領であった過去があり、その後はロシアの属国だった。当時、育ちのいい家ではスウェーデン語を話し、大人になってから母国愛でフィンランド語を改めて学ぶのである。
そういう複雑な政治環境にあるフィンランド人の心の支えは英雄叙事詩「カレワラ」だった。「カレワラ」は民族学的にも興味の尽きない民話の宝庫であり、古代北欧のルーン文字で綴られたフィンランド人の心の故郷であった。ヘルシンキ大学を中退しヘルシンキ音楽院で学んだシベリウスはベルリンに留学し、「カレワラ」に出てくる悲劇の英雄クッレルヴォが自ら知らずに妹と近親相姦を犯し、死を決意して一族の敵ウンタモを殺害して自害する神話をもとに「クッレルヴォ交響曲」を作曲し、これが彼を有名にした。この作品や交響詩「フィンランディア」がフィンランド人の母国愛を代表する作曲家シベリウスの名を不動にした。
美しい女性アイノと結婚し子どもにも恵まれたシベリウスだが、浪費癖とアルコールが作曲に欠かせなかった。酒と煙草の力を借りて、心血を注いで作曲に専念した。彼は平たく言えば躁鬱であり、第七交響曲を書いてから没するまで約三十年間、スランプに悩みながらフィンランドの顔として、アイノラ荘で社交に努めた。彼の交響曲の母国愛的な傾向は第二番で頂点に達し、次第に内省的な作風へ移行した。フィンランドは長い冬の暗い気候もあって、自殺率が高いと言う。内省的な作風は長く暗い冬の国にふさわしい。だが暗い冬を抜けた爽快な夏に、小舟で即興演奏を続ける少年シベリウスの幸福な横顔が、彼の作品に通奏低音として響いている。(ひのまどか他参照。)