心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー1829

2019-12-30 20:55:06 | Weblog
ナンバー1829 2019.12.30  物質粒子という「結果」を生む意識
私たちが住むこの物質世界は、意識に素早く反応できる「場」と、人の意識を感知し、その思いを現実化できる意識を持つ量子によってできているようです。量子が持つ意識とはどのようなものなのでしょうか? 
「意識」を広辞苑で調べると、次のように書いてあります。
『①(仏教用語)認識し、思考する心の働き。感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動。第六識。
②今していることが自分で分かっている状態。われわれの知識・感情・意志のあらゆる働きを含み、それらの根底にあるもの。
唯物論哲学では、意識の生理的基礎は脳髄の活動で、個人の意識は環境の主観的反映として、時間的・空間的に限定されている、と考える。
また観念論哲学では、経験的意識の根底にその本質ないしは可能の条件として経験に制約されぬ純粋意識・先験的意識・意識一般などの先天的存在を論定し、それが認識・道徳・芸術などの妥当性の根拠をなすと考えている。
③特に社会意識または自己意識(自覚)。④対象をそれとして気にかけること。感知すること。』
最小単位の究極の物質粒子が持つ意識ですから、自己を意識して、今していることが分かっている状態で、人の感情・意志のあらゆる働きを含み、それらの根底にある意識を感知できるだけの意識があるのだと思われます。
三省堂の『新明解国語』で意識を調べて見ると、『自分が今何をしているか、どういう状況に置かれているのかが、自分ではっきり分かる心の状態。』とあります。
量子は少なくとも、今の自分は波のように広がっていること、また人が自分に対して粒子として姿を現すことを無意識のうちに望みながらこちらを見ていることを意識できているあいだだけは、粒子として姿を現すことができるのだと思われます。
量子には、自分の状態がわかり、人の意識を感知できること、その感知した内容を素早く実現できるだけの意識があることになります。
そして、量子の意識と、私たちの意識の両方を結びつける「量子真空の場」が存在していることになります。
このような「場」に、人間が無意識のうちに持つ「これ以上分割不可能で不変的な最小単位の粒子が存在しているという意識」と、この人間の無意識を感じ取り現実化する能力を持つ量子の意識が出会うことで、物質世界が生まれていることになります。
このように人間と量子の「無意識」が「原因」となって、この「物質世界」という「結果」が現われているといえます。
最小単位の物質粒子ができるためには、先に意識が必要であることがわかります。
ナンバー1830 2020.01.06 につづくでしょう

はやいもので、令和元年も終わろうとしています。
この一年は、どんな年でしたでしょうか?
私は年末近くになって、大きな学びがありました。
来年はこの学びを生活に活かしたいし、もしできればブログにも反映できればと、思います。

この一年間に、感謝しますとともに、皆様にとって、新しい年が良い年となりますように。

新年はすこしだけお休みをいただいて6日から、始めたいと思います。
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