心と体を通して見えてきたもの

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第3章 光とともに ナンバー2217 バアル信仰とは

2024-05-26 20:59:39 | Weblog
ナンバー2217 2024.05.26  バアル信仰とは
古代カナンとフェニキアで信仰されていた神バアルは、旧約聖書の士師の時代にイスラエルの宗教的な生活に入りこむと、現代にまで影響を与えます。
バアルという言葉そのものは「主人」という意味で、本当の神の名は地方によって異なりますが、神の名を直接呼ぶのは恐れ多いということでバアル(主人)と呼んだようです。
バアルは普通は、土地の農産物の収穫を増やし、多産の神と信じられていました。
古代には亡くなる赤ん坊が多かったことと、安定した農作物の収穫を望むと同時に、牛の多産も望んだのでしょう。
これは当時の人々にとっては自然なことですし、それぞれの地方の事情にあわせてバアルを礼拝する内容や方法が異なることで、それぞれの地方独特の宗派が発達したようです。
このことからバアル信仰は、非常に適応性の高い神であることがわかります。
カナン人はバアルを太陽神と風の神として崇拝し、稲妻の電光をあげて描写することで、敵を打ち負かし、農産物を収穫したといいます。
預言者エリヤがバアルの祭司450人と、神に祭壇に火をつけてもらうように祈る対決をした(ナンバー2213)とき、バアルの神は、祭壇のたきぎに稲妻の電光で火をつけることができると考えたのでしょう。
バアルは子供を授ける多産の神でもあったためでしょうか、バアルの礼拝は官能主義に根差し、神殿での儀式的な売春行為を含んでいました。
時にはバアルをなだめるために、捧げものをする人の長子を人間の犠牲として要求したといいます。
バアルの祭司たちは、バアルに訴えるために、騒々しい自由奔放な儀式として、声を上げて恍惚して叫んだり、自分の体を傷つけたりする儀式をおこないました。
バアル崇拝は豊作や牛の多産を願う以上に、最初に肉体に訴えることで官能的な性がたたえられたようです。
性的な特徴が極端に強調され、性的な刺激を与えるように表現されていたといいますし、饗宴やダンスや音楽をおこなうことで、放縦な振る舞いにひたる雰囲気がかもしだされます。
このようなバアル信仰は、旧約聖書の時代のイスラエルの人々にもかなり悪い影響を与えていたため『あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。……彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる』(士師記2章2~3節)と旧約聖書で主の使いがいいます。
ナンバー2218 2024.05.30 につづくことでしょう
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