東京・ウサギSATELLITES

兎についてきた人だけが迷い込む不思議な衛星

なぜか撮れない墨田タワー

2012-03-31 | 日記
やっと・・・スカイツリーを撮ることができました。


建設中の姿を何度も何度も見たのに、あいにく電車の中だったり建物に隠れたりで、なかなか撮れずにいたのです。


なのでシャッターチャンスを迎えた時は、わ~と興奮してしまいました。


でも携帯を向けて途端に放心...

完成しちゃってますよ、既に、、、


思うに、伸びきってないと貴重だったような…(今も充分貴重ですけど)




とはいえ大きな地震に揺られながら、よくぞ建ったと思います。


確か基礎部分には〈ナックルウォール〉という爪の生えたような杭が使われていて、がっちり地中をとらえているのだとか。


それを知った時、自分の心にもそんなしっかりとした一本筋がほしいなーと思いました。



現在ネットのみの予約も7月11日からは当日チケット販売開始だそうで(見に行く方は要再確認)競争率高そうですけれど、私は今のところ昇ろうかどうしようか迷ってます。

なんとなく、あえて行かない領域があってもよいかな~と思ったり、少し遠くから見つめつつ楽しみにとっておくのもありかな~と思ったりしています。




・・・ところで、タイトルの墨田タワーですが初めて姿を見た時、知り合いの方に「あっ、墨田タワーですね!」と、まことしやかに言ったところからきてます。


当時はまだ自分の中で呼び名が定着してなくて、自然と言葉にしてました。


仲の良い相手なら「スカイツリーでしょ」と突っ込んでくるのでしょうけど、その時のお相手は戸惑いながら頷いてました…ね。


最近はさすがにスカイツリーという呼び方が定着しています。



行くとしたら車ではなく電車で行った方が良いとのことです:-)

2012東北~心の奥で~⑥

2012-03-25 | 日記
※この文章の中には震災に関する単語等が多く含まれています。



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新たな年となっても地震は頻発し、東海や首都直下の話しも頻繁に聞くようになりました。


もう、どこでどんな地震が起きても不思議ではないと思います。


東京湾への津波も懸念されているようです。


津波…考えるだけで辛いのですが、書かねばならないとも思います。



まず、警報について思ったことです。


これは私の個人的な意見なのですが、テレビ等で見聞きする“○メートル”という文字…これが正直、私には実感が湧きません。


自分を大きく見積もって2mとして、3mの警報が出たとすると大体この辺かしら…と想像するくらいで、そこに速さや威力はありません。


…昔何かのテレビ番組で見たのですが「危ない」と警告するよりも「走れ!」と言ったほうが危険を回避できる可能性が大きいとのことでした。つまり判断する時間を与えないのですね。


…だとすると、警報はもっと違う形で「ビルの何階」とか「屋根の遥か上」とか「車より速い」…だから「ただちに避難せよ」「今逃げなさい」とか、、、そういった言葉で伝えてもらいたいと思いました。


出された予測に、高さに対する甘さ、誤りがあったとも聞きます。

気象庁では今回の事態をふまえて検討が行なわれたらしく、高さ表示は「巨大」「高い」となるとのことでした。



そして、人の習性として“待ってしまう心理”があるそうです。


目の前に危険が迫ってきても逃げずに見てしまったり、立ちすくんでしまう“ウェイティングディザスター(disaster=災害)”という習性。……やはり強い言葉で避難を促すことが必要だと思いました。





なんというか…阪神大震災や北陸等の震災で沢山の教訓を得たはずなのに、こうしてまた深い悲しみを受けねばならないことが…無念でなりません。






とりとめもなく色々と書いてきましたが、人の苦しみは、その人と寸分違わぬ経験をしないと本当の意味では理解できないと私は思っています。


つまりどれ程思いを巡らせても想像でしかないという無力…。


けれど逆に考えると辛さを想像できるともいうこと。



無力は無力なりにどう‐有‐を生み出していくか...考え続けることだけは、やめたくありません。

2012東北~心の奥で~⑤

2012-03-23 | 日記
※この文章の中には震災に関する単語等が多く含まれています。


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見えてきた問題。

それらについて少し詳しく綴っていこうと思います。



例えば…原発周辺ではほとんど整備が進んでおらず、震災後とほぼ同じ状態のところが数多く存在しているそうです。


建物を失った更地に街灯はなく真っ暗闇だったりもするそうです。

仮設住宅では高熱費や遠くへ行くためのガソリン代など出費が重むというのに、失業保険終了など収入への不安が大きいとのこと。


修理したくても人手が足りず壊れた家に住み続けていたり、せっかく建てた仮設店舗でも売上が激減し借金返済のめどがたたない……

補助金の申請すら始まらないところもあるとききました。



1年という時が経ち、今の状況をどう感じるか……私が抱く印象は‐停滞‐です。


M9.0からダイナミックトリガリングを経て各地で起きたあの日の地震や津波は、本当に何もかもを一変させていったのだと思います。

2012東北~心の奥で~④

2012-03-22 | 日記
県民性以外でも見えてきたことが沢山あります。


幾つかあげていくと、、、進まない復興、過疎、期限付きの仮設住宅、収入出費問題、野良化(もしくは衰弱)していく動物たち…、原発及び放射線問題、さまよう瓦礫、行き渡らない補助金……これだけ書いてもほんの一部です。



こうした大変な中でもなんとか再出発を果たした企業や人々もいます。しかし様々な要因で追い詰められている人が大勢出てきているとのことでした。




地震直後は“生きている”そのことに重きがおかれていたけれど、1年経った今は“どう生き延びるか”ということに移行しているように感じます。。。



阪神大震災でも多くの人が自ら
旅立って行ったとのことでした。



助かった2つとない命が、疲弊によって失われていく…そんなことあってよいはずもないわけで。。。



生きるというのは、時に厳しすぎると思えてなりません。


2012東北~心の奥で~③

2012-03-21 | 日記
記事にはボランティアに行った方たちの被災地での経験、感じたことが載っていました。


そして、岩手の人々の県民性についてこのような言葉も記されていました。


“「助けて」と言えない”

“がんばるだけがんばって折れてしまう”

“何でも我慢してしまう文化”



…そのため、赤十字などから配給された毛布を遠慮して必要枚数が言えなかったり、一枚では寒くてもう一枚欲しいのに遠慮して丸まって寝ていることがあるのだそうです。



この‐我慢‐というのは東北全体にいえることかもしれません。


なぜなら、震災前に旅立った私の祖父や祖母もそうだったからです。


戦争や、寒さなどの辛い経験をはっきりと言わずに、しまいこむところがありました。。。



だから今回の記事を読み、私にも東北魂が宿っているというのに、そういった心に気付かない疎い自分が悲しくなりました。



かといって…知ったところで何ができるかも分かりません。しかし、そうした県民性を理解したならば、、、こちらが察して確実に人数分渡したり状況によっては多めに渡す等の踏み込んだ配慮ができるかもしれない…そう思うのです。



時折この場でも書いてきた心や言葉の難しさを、今まさに痛感しています。

2012東北~心の奥で~②

2012-03-20 | 日記
震災が起きた直後の大変な混乱の中にあっても、東北の人々の多くが見せた理性ある行動は世界中の人々から称賛されました。


場所は違えど主に交通に関して混乱を起こしていた首都でも人々は並び、黙々と歩き、それぞれの家に向かいました。


だから……水や食料、毛布などをきちんと整列して丁寧に手にしていく東北の人々のことを、世界中の人々よりは理解できましたし、同じ日本人として誇りに思えました。



でも──



ビッグイシュー186号に書かれていた岩手の人々の県民性...それを読んだ時、私は改めて考えずにはいられませんでした。


あの異常事態においての行動...パンを少しずつ持っていく姿に‐さらなる忍耐‐が含まれているかもしれないということを……


そしてその忍耐ゆえに東北の人々の心が今、崩れそうになっているのだとしたら──



私は、岩手ではありませんが同じ東北の血が流れる者として気付かなければいけない何かを見落としてしまっていたような気がします。。。



2012東北~心の奥で~①

2012-03-19 | 日記
あの日…


2011年3月11日を過ぎてから、このままではいけないと考え抜いた末、私は1歩を踏み出しました。

何も出来ない自分があまりに無力で情けなく、動かなければ始まらないと思ったからです。



そして2012年3月。


確かに自分を取り巻く環境は大きく変わりました。



けれど…じゃあ被災した人々に対し、震災被害を受けた地域に対し何ができたのか?…と問われると、ほとんど何もできていないと書くしかありません。



予想以上に日々の生活に追われ、自分史の中でも過酷の上位に入る程の試練の日々をなんとか乗り切り今がある…といった感じで、ただただ己以外の働きかけに無力でした。。。


同じような状況にあっても活動する人はするでしょうから、あれ程の日々を送っても私はまだ甘いのか…と自問も始まるのですが、そうした中でも巡り巡り、仕事とはいえ被災地支援に僅かでも携われたことは、唯一の‘意味あること’のように思えます。。。



そして時の重なりと共に新たに見えてきたものがあるような気がします。それに気付かせてくれたのは、ビッグイシュー186号を読んだ時のことでした。


これから、少し綴っていこうと思います。





※ビッグイシューは、収入を得る機会を提供する事業として英国ロンドンより始まり、各地域の駅前などで300円にて立ち販売されています。


ホームページhttp://www.bigissue.jp

時として

2012-03-11 | 日記
昨年3月末撮影





大震災の日から1年


時として…心の痛みは体の痛みをこえるのだなと思う日々でした。

a drop of rain 19

2012-03-08 | 雨粒

果てしなく続く

絶望の海に

静かに朝日が昇る




ドラマ【世界で一番熱い夏】主題歌

COLOR「翼がなくても」より

チョコ発見

2012-03-03 | 日記
冷蔵庫の中にたっぷり何かが入っているわけではないのに、扉内側のポケット(棚)から忘れていた未開封の板チョコが出てきました。


カレールーの箱の影に隠れていたようです。


そういえば買ってあった~♪と、過去の自分からのおもわぬご褒美に嬉しくなりました:-)


棚からぼたもち・・・ならぬ棚からチョコでした。



たまにこういうことがあって、例えば非常食の意味も込めてストックしてあるカップラーメンの裏からペットボトルのジュースが出てきたり、、、以前も書いたコーヒーストック瓶に一袋だけ抹茶オレが混ざっていたり。


私はその都度わ~´`となるのでした。



・・・まあ、忘れ過ぎだろうというきらいはあるけれど...




ところで、非常食(多忙だと主食になる)のカップラーメン。期限が思ったより短いのは気のせいかしら?


長く保存できるイメージがあったので、お家にある方は要確認かもしれません。