会社でお昼を食べている時の何気ない会話で、他部署の人の退職を知りました。
数日前にも顔見知りの人が退職したばかり。
サヨナラなんてこんなもの...と寂しさを感じながら私は出会いと別れについて考えました。
2人ともほぼ同時期に働き始めて挨拶をしあうくらいの仲でした。でもなんとなく遠くで意識していた存在...メール交換をするほどでもなく、辞めてしまえば多分もう生涯会うこともない間柄。
ある程度仲良くなった人との別れはもちろん辛いです。けれど送別会云々でけじめをつけられます。でもこうした半端な別れは何もない...急にもう会えなくなるわけです。だからこそ、ある意味辛いと思いました。そしてこんな形のサヨナラを私は何度繰り返してきただろうと思いました。
...流浪の民である私の1つの歪んだ自慢は出会いの数の多さにあると思っています(完全自己計算)。転校も転職も引っ越しも数多く経験し、ありとあらゆる人と出会い、ありとあらゆるものを見、ありとあらゆる別れを経験しました。そうした中に含まれる顔見知りとの別れ。
...そんなふうに振り返っていたら、松岡直也さんの訃報を知りました。私が中学生の時、友人から教えてもらったジャズ・ピアニストです。
その優しくも情熱的な旋律に心惹かれ『Now’s the time 』に収録されている〈Airy〉や〈Andalusia〉などは今でも度々思い出す大切な曲です。あの頃からだいぶ遠くに来てしまったけれど聴く度に当時に帰れるメロディー...でも、こんな風にサヨナラを知るなんて(当時はもちろん)想像もしませんでした。このタイミングでというのがなんとも寂しかったです。。。
そして、この別れを知る前から見たかった映画【サヨナライツカ】を見たのですけれど、まるで今の状況をよんでいたかのような言葉に思わずグッときました。
「いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない」
本当にそうですね...何気ないサヨナラはふいに訪れ、そして切なく寂しいものです。。。