6月のエヴァンゲリオンの使徒襲来日がやってきた説(凄い作品だけど6割位しか知らないんだな...)とか(←そこから)、映画バックトゥザフューチャーで主人公が未来へ飛んだ日10月21日がやって来たとか。。見た時はずいぶん先だと思っていたけれど、それが訪れたという不思議...。ちなみに5年後はアニメ映画アキラの年でもあります(しかも東京オリンピックが本気で開催されるというカオスな展開)。
まあそれだけ自分も年を重ねたということでしょうけど...私は、なんでしょう...よく生きてきたなぁ~と思いました。問題ありきの体やあらゆる境遇を越えてよく生きてこれたもんだなと。
ここでも時折書いてきた、
絶対に変えられない──
私はここから抜けられない──
脱出できない──
と絶望すら抱いていた状況が奇跡的に変わり、今は忘れていた自分(心の磨耗によって削られていった本当の自分)をポツリポツリと思い出し始めている状況です。自分はこんなことが好きだった、こんなことも忘れていた...と感動が湧き上がる日々。もうあんな尋常じゃない日々には戻りたくないですね。
もう少し書いておくと...人と関わる上で素の自分を出すというのは難しいと思いしらされました。
私が巡り与えられた環境は何をどうしても素の自分を出せない場所でした。本当に好きな話し、興味のある話しは出来ず(気に入らない話題は公然と無視されるから)、悪口に付き合ったり(私は善人ではないけど、もうマジほんと人様の些細な欠点どーでもいいです)、食べたくもない場所で食事をしたり(もっと安くて美味い店があるのに)。利用されまくったり、理解不能の態度をとられたり誤解の固定化もありました。
勿論救われている部分、感謝する部分もあったし、自分が正しいとか云々ではなく、、、まあ、特殊な環境においてプラスとマイナスを行ったり来たりするうちに自分を見失ってしまったわけです。
でもなんでしょうね、変わる前辺りから様々なシンクロが起きて(以前書いたケセランパサランとかもあったりで)それのおかげでなんとか正気を保てている部分がありました。この世は不思議です(そしてありがたい)。
時を同じくして、昔心に引っかかった出来事にも動きがあったりなんぞしました。
例えばド真ん中世代だった紡木たくさんのホットロード実写化、スーパーカミオカンデに携わった梶田隆章さんのノーベル物理学賞受賞、医学生理学賞では大村智さんも受賞(文学賞候補の村上春樹さんは...もしかしたら作品がノーベル賞向きではないのかもしれませんね...松本清張さんの作品が社会派推理と呼ばれ愛されたように、とれないから駄目ではなく何かが違うのかな...)。ちなみに私としては、エイズ治療薬の道を開いた満屋裕明さんも受賞に値するのではないかな~と思っています。それからラグビーの歴史的勝利(世界の人たちが日本を応援してくれたのも嬉しかった)もありました。金星周回軌道に乗った『あかつき』も記憶に新しく、喜びや驚き、悲しい出来事含め本当に色々あった2015年でした。
私自身をまとめておくと、メロディーと共にレベルアップ!と表示が出て『◯◯は人の怖さを知った』『◯◯は果てしない理不尽さを知った』『◯◯は言葉にするには難しいあらゆる事を学んだ』とスクロールが出るような気がします。それからこうも出るでしょう『◯◯は長く果てしないトンネルから、ようやく脱出した!』と。
...まあ、明るく書けばこうですけど、この世の果てをチラ見したというか、アビスのごとく深海から引き揚げられたというか、崖の縁で下を見てたら強い海風に内陸まで押し戻されたというか...な1年でした。
絶望の底の底を見たここ数年で自分自身何かが変わったようにも思います。例え一瞬でも、本気でこの世からおさらばしようと思ったせいか何かが起きても心のどこかが冷めていて静か。悪い意味ではなく、美しく冷たく輝く何かが心にあるのでした。
そんな心を携えて、どこに行くのでしょうね…私は。