東京・ウサギSATELLITES

兎についてきた人だけが迷い込む不思議な衛星

家路

2024-07-13 | 日記

※命について語っています

※いつも以上にきちんとした文章になっていませんが、向き合うとどうしても心が震えてしまい冷静になって書けませんでした。ご理解ください。

 

 


人の考えは千差万別で、読まれた方それぞれの印象を受けると思います。理解してもらいたいわけではなく、これまで生きてきた私の、まだまだ未熟な私という人間の、今、抱く思いです。

 

 

 

2023年

 


ここのところずっと…いえ、いつも命について考えているような気がします。

といっても、これまで私は実際の死というものにほとんど関わらずに生きてきました。

歳と共にの旅立ちや突然の別れ、第三者としてなど色々あったけれど。

けれどそこにはいつも、何か1つ衝撃を吸収するようなものがあって、ダイレクトな痛みを感じずに済んできたような気もするのです。上手くいえないけれど。。。

でも………

SNSを始めとするネットの世界を、その向こうで暮らす人々の存在を知るようになってから、その1つがどこかに行ってしまったように感じています。

画面の向こうなのだから実際に会ったわけでも、本当の名前も姿も知らないだろうに何を言っているんだ?と思われるかも知れないけれど“心”が近くなったように感じるのです。

沢山の人が日々、自分の気持ちを綴っている世界。時に内面をも現すところ。

もちろん嘘や虚像もあるでしょう。だけどその中に、確かに本音で語る人がいる。日々の一部を思いと共に伝えてくる人間が。

誰かが暮らし何かを生み出している、その唯一無二を感じとる……そうしたことが確かにあるように思うのです。

離れていても、まるでそこにいるかのように。

そして、そんなふうにより身近に感じるからか、私はあることに気がつき始めました。アカウントを閉じるとかではなく、その人が先程まで生きていた世界から別の世界へ去った時の、その衝撃の大きさを。

時折訪れるそうした瞬間に私は幾度か心を打ちのめされました。

分かってもらえるでしょうか?

長い年月、過ごす日々の一部を知っていて、画面の向こうといえど居て当たり前となった存在が、普通に呟いていた状態から病気やなんらかの理由で疲弊してゆく姿に触れる辛さ。

だから私は、そうした状況を知った時、そっと離れる…いえ、逃げるようになりました。なので今もどうしているのか分からない人たちがいます。これからもずっと時々思い出すだけの、心に残る、そんな存在が。

 


なのに、、なぜかそうした存在の中に離れられない人がいました。

どう思われるか分からないけれど、人の不幸云々や興味本位ではなく、ただただこれからもずっと、呟いているその言葉に何気なく触れていたいという存在がいたのです。

 


その中に彼女はいました。

 

数年前、とあるジャンルを知ってから関連するアカウントを検索し次々フォローしてゆく中で認識した存在。そこから、描かれる絵の世界や紡がれる言葉をずっと見てきた人。

SNSを開き、タイムラインの中にその名前とアイコンが当たり前のように現れ、義務ではなく、響いたものにいいねを押す。そんな毎日。

私は知っているけれど、きっと向こうは知らない…ふと何かのタイミングで誰?となったことはあっても…そんな儚く不確かな状態。

そんな、関係。

でも当たり前のように、これからも毎日そうして過ごすだろうと思えた関係。


だけど………

ある日、彼女が体調の異変について呟きました。

よくない状況を把握させ、そのことを知った途端、私の心の中に不安を纏った何か膨大な感情が一気に押し寄せてきたような気がしました。。


多分、、、その心にも体にも言葉に尽くせないようなことがあったのではないかと想像します。

だけど不安に囚われた私の気持ちとは裏腹に、彼女はそれからも淡々と、時に一歩引いた目線で自己の体に現れる変化を綴り、それゆえにこれまでのような雰囲気で彼女の世界は紡がれ…だからこそ心に深く響いてきて………私は訪れた現実をその後も受け入れられないまま、いつものような雰囲気に甘えて読み続けていったのです。

そうしながらも、これからも彼女が綴る世界をずっと見ていたい、ずっと──…そう願いながら平行して自分に何ができるかを考えていました。

とにかくよくなること、完治は無理でも寛解状態で長生きしてもらうためにできること……

…こう書くといかにも様々な手を打ったように思われるかもしれませんが、私自身の生活上での有り得ないような試練も相まって…言い訳ですね…実際には結局ほとんど何もできませんでした。

できたことは…不確かな関係だけれど、初めて自分や身内以外のことで神社にお参りに行きました。そして私なりに験も担ぎ、不安な中でもたまに現れる希望的観測に喜ぶ、そうした日々が続いていったのです。

察することや把握するといったことが鈍い私は、永遠でなくともこれからもそうして過ごせると、なぜか疑うこともなく、呟きがふと途絶えてもまたいつものように呟いてくれるはずだと信じていました。

あまりにも彼女のいる日々が当たり前となっていたから・・・

 

なのに


幾度めかの、呟きが途絶えた数日後、彼女が永眠したとご友人様からの報告がありました。

 

 


その日は暑い日で、いつもは歩かないような状況を汗だくになって帰り、一息ついてSNSを開いてなんのけなしにスクロールしたタイムラインの1番上に、その文字はありました。永眠したと。

確かに数日間呟きは途絶えていたけれど、前述した通り鈍い私にとってあまりにもふいで、、、

読んだ瞬間頭が真っ白となり、そして、嗚咽していました。その時自分から発せられた声が今も耳に残るほどに。


ほんの少し前まで自分の言葉で語っていた人

生きていた人

同じ世界にいた人


そして、悲しみと共に押し寄せてきた様々な悔しさ。

彼女の日々の呟きから旅立ちの準備がされていたことは知っていたのです。でもその準備がなされた上でまだまだ色んなこと…特に絵について、体を整えて少しずつ進めていく予定であることも知っていたので、実際体調の良い日にひとつひとつやっている…やろうとしている様子も伺えたので、まだそうしてできると考えていたし、そうだと思っていたから、あまりにも唐突に全てが奪われたことが無念でなりませんでした。

 

旅立つ少し前に気になる状況もありました。それは、SNSにて彼女が体調不良へのアドバイスを求めた際、精神的に参るようなことがあったらしいこと。健康体でも心を摩耗する(作品への批判ではなくそれだけ響いてくる内容という意味で)とある漫画作品を読んでそれが体調に反映されていたようであったこと、他にも色々。

素人考えながら、もしかしたらそれらがなければまだ生きていられたのではないだろうか?ほんの少し何かのタイミングが違っていたらもっと─そんなふうに考えてしまったわけで。なんだか無性に悔しくて腑に落ちなくて、、結果論といわれればそれまでだけど……


もちろん、矛盾しているけれどタイミングのことなんて考えたくありません。綺麗なお別れなんて揺らぐ命にとっては難しいこととも思えます。でも、悔しさを感じさせる状況をどうしても上手くのみこむことができませんでした。

生きたいと願った者の明日、やりたいと思ったことがままならない体、整えられぬままに望みだけが奪われること。何を思い去っていったのか……………

全ては彼女にしか分からないことだけど、死というものの一面、その理不尽な現象がどうしても理解出来ないのでした。


でも、もしかすると命が去るというのはそういうことなのかもしれません……

 

それからも次々と考えは浮かび、私が何か出来はしないかと起こした行動は無駄だったのだろうか?もっと何か出来たのではないだろうか?自分の知っているあらゆる療法、知恵袋的な何かを伝えるべきだったのではないだろうか?私が抱える厄のようなものがあったとして、それをわずかでも移したくないと直接の交流を差し控えていたけれど、もっと直接伝えるべきだったのではないだろうか?…

……こうして永遠とも思える別れが来てしまうならあの時ああしていればよかったのではないか……

結局、私は何もしなかった。なにも。

愚かな自分について繰り返し繰り返し考え、果てしなく後悔する日々。。

 

一方で─

病状を語る様子から記憶や思考に影響を及ぼす可能性もあったらしく、人間のうちにとも呟かれていたのでその本人の気持ちがくまれたようにも思え、そこから更に考えを広げると、彼女が清潔な環境で心ある人々に囲まれて過ごせているようでもあったので救いもあったのかなと…私の縋る気持ちが含まれていたとしても、、、

本当のところは本人にしか分かりません。ただ、いくつかの無念があったとしても視野を広めてみれば、その旅立ちが本人の望みに近いものであったと…そうであったならと思わずにはいられず、矛盾する気持ちと納得しようとする気持ちがずっと続きました。。。

 

 

 

 

旅立ちを知ったのは三日後でした。

旅立ちの日とその後の三日間と、私は何をしていただろう…と振り返り、知らせを受けた日に帰った道、あの道を再び通る時はもうどこにもいないのだと考えて泣き、あの時ああしていた時にはもう…と考えて泣きました。

曖昧な関係なのだから後日知ったのは当然です。むしろ伝えてくれたご友人様には本当に感謝しています。

それを踏まえ、このことも正直に書いておこうと思います。

確かに旅立ちの知らせは突然でした。でも呟きが途絶えた時から、映画『風立ちぬ。』の主題歌「ひこうき雲」がずっと心に流れていたのですよね。。

きっと…心のどこかでは「(もしかしたら)」と思っている、そんな愚かな自分がいたのだと思います。生きてくれると考える一方で、もしかしたらとも思ってしまっていた自分。何度も頭を振って否定する沈黙の数日間でもありました。ただ、この曲自体は少し前に偶然耳にして、とても心に沁みてきたのです。旅立ちについてなんて悲しくも静かに伝えてくるのだろうと。今思い返しても歌詞があまりにも彼女にあてはまるようで……

 

 

 

SNSでの訃報の知らせには多くの反応もありました。

彼女の存在を(好奇心などで近づいて来た場合を除いて)認識している人たちが沢山いることを実感し、私よりずっと前から彼女を知る人、出会いのタイミングはそれぞれだけど彼女の描くものが好きだった人、紡ぎ出す全てが好きだった人、そうした人たちが綴る言葉に、どれだけ彼女の生み出すもの、そして彼女自身が愛されていたかを感じられて、私の気持ちと重なる想いも沢山あり救われました。

そうした中には、悲しみによっているのかもしれないと自己分析している人もいて、私もそうなのだろうかと考えてみたけれど、、昔の、今よりもっと未熟な私ならそうだったとしても、半世紀近く生きている今は命に対して何か特別なものを感じるようになってきているのですよね…

同じように続く毎日が、夜だったり朝起きてだったり、縁のあった人たちの様子を垣間見てその様子に感謝したり笑ったり、そんな毎日がこれからも続いてくれればいいとただそれだけを願うというか、そう思う自分が確かにいたのです。だからきっと、これは本当の悲しみで…

これまで歩んできた人生で得た色々、そこから自分だけが感じられる繋がりの空気のようなものもあり、例え一方通行でも私が過ごした人生の日々に居た彼女という存在は特別で、なのでここまで悲しみに包まれたのだと思っています。

 

 

 

 

この別れにより、多くの考え方も変わりました。

私はこれまで、例えば誰か著名な方が誰かの死についてすぐに語り始めるのをあまり快く思っていませんでした。本当に悲しんでいるの?何も語れないのが真の悲しさじゃないの?と思えて。でも、悲しみをどう感じ、受け止め、どう動くかは人それぞれなのだと分かったような気がします。

あと、これまで、何かの作品のその物語内で誰かを失い慟哭するシーンについて、その辛さをほとんど理解できていなかったなとも。お話の中の1つの出来事として表面だけ捉えていました。

人の命が失われることにおいてダイレクトなショックを受ける経験がほぼなかった私は本当に疎かったです。なのでテレビや本などで知った、死に関しての誰かの考えについて、ああ…本当にそうだなあと思い返されて、、

そして、ニュース等で何かの病気で年間何人がと聞くと、その分だけかけがえのない人生が、唯一無二の物語があったのだなとも。表示される数字の1つ1つに宿る魂の歩みと尊さ。

 

それを踏まえ、もう1つ迷ったけれどあえて述べておこうと思います。これに関しては結果論で完全な素人考えなので不快に思われる人もいるかもしれません。

 

彼女が最初に手術を受けた段階で、医療的に最善なところではなかったように感じていました。

自分の体に起きたそれが特殊であったと語っていたし、そうであったのかもしれないけれど、経過の様子をみていると対峙する医者が違っていたら、受ける医療の方法や技量が違っていたらと思えてならなくて(助言されていた方もいました)。私自身もこれまで受けた医療で感謝することもあれば疑問に思うことも多く、人の命が人によってねじられ期限を決められてしまうような、そんなあってはならないようなことが実際にあるのではないだろうかとすら考えてしまっているのも事実で、これは本当に理不尽すぎるというか悲しいことです。

そして、医学の進歩についても。

生活するにおいて、ありとあらゆることが近未来的になり便利になっていても未だ克服されない病の多さ。人体のあまりの複雑さ。乗り越えていることがあったとしても、あっという間に命が奪い去られる現状。いつか、それこそ身体を機械にするようなとてつもない何かが起きなければ、たったひとつのかけがえのない命が守られることが永遠にないような、そんな未来すら想像してしまって……

 

もう少し深く考えていくと……私は普段から人間ってなんだろう?この世界とはなんだろう?と考えることがよくあって、死という、命に与えられた運命についてもいつも以上に考えました。

なぜあまりにも不確かに去っていく定めを持っている人間に、記憶=思い出を作るという能力を与え、その一方で永遠ではないかと思われる別れを付属するのか?どれだけ積み重ねても無にするような現象が起きるのか。

前世とか来世とかあるのかもしれないけれど、生物学的にみると私たちってほとんど何も覚えていなくて、ほんの少しの何かから、もしかしたらいつかどこかで会ったことがあるかも…と希望を見い出したりもするけれど、そんな風にするには、全てリセットされてしまうように感じるには人間や魂は尊すぎるな、と。

‘そのひと’という人間は、死ぬことで全て失われてしまうのか、ただこの世にいる間だけ全ての記憶を忘れてしまうのか…

彼女の認識する世界がないことの悲しさ、でもまだそこにいる自分………

考えは尚も深まり、、

脳細胞に刻まれた記憶は死ぬことで失われるのか?素粒子的な何か、魂は同じでも、記憶がなければ同じといえるのか、同じ存在であっても同じなのだろうか?

…科学と宇宙と神秘と、現在進行形でありとあらゆる考えが浮かんでは消えていきました。。。

 

空しいことの1つは、こうして私がありとあらゆる思いを逡巡しても、何事もなかったかのように日々が過ぎていくこと。

いつか書籍で読んだりどこかできいたことがある、、自分にとって毎日そこにいた大切な存在が失われても、目の前にはいつもの街並みがあり、人の流れがあり、テレビやSNSの変わらぬ様子があるということ。認識するきっかけとなったジャンルでも次々とあらゆる新しい情報が発表されてゆく現実。それらを彼女が知ることはもうないという事実だけを残して。もし知ったらどう思っただろう?どう呟いていただろう?と想像する私の気持ちだけを残して。


でも…

世界それ自身の流れは変わらなくても、私の心の中や生活の一部は彼女のいた世界といない世界とで変わりました。どんなに、どう思うかな?と考えても彼女はもういないのです。毎日目にしていた言葉や色々は、もう─

 

 

私の中で変わってしまった世界、街を歩き浮かぶ思いも変わりました。

今年に入り普段利用しない路線に乗る機会がありました。

当たり前だけれど、知らない街にも沢山の人が生活をしていて、それが日本列島の東西南北に…世界に続いているということ。そう考えると、SNSという繋がりとはいえ、本来知ることのない離れた場所に暮らす彼女という存在を知った意味と貴重さ。そして車窓の向こうに見た生活と同じように自分の人生にも繰り返された生活があり、生まれ、育てられ、学校に行き、働き、、、彼女にもそうした道のりがあったのだとも。

街を歩くふとした瞬間に、一人の人間が歩む歴史、彼女が歩んだ歴史を垣間見てそのたびにまた涙がこみ上げてくるのでした………

 

 

 

受けた衝撃のせいで心のどこかが壊れてしまったのか、、

旅立ちを知ってから数日間は不思議と時間の流れが遅く、衝撃を受けた日から何日も経ったような気がしていたのに実際は全然近い…という状態でした。

SNSの表示がまだ‘何日前’となっているのを目にして、数日前には同じ世界にいたのだと切なくなり、でもその表示が月日へと変わっていき、、つまりゆっくりでも確実に時は過ぎ去り、そして、辛すぎる出来事から心を守るためなのか、どんなに悲しくても…いえ、悲しすぎるからか、人間は記憶を深層に沈めていこうとするのだなとも。

一方でSNSの功罪というのか、SNSに限らず日記にしても何にしても、紙にしても電子の世界にしても、世に発信されたその人の想いを綴ったもの、そうしたものは当時の状況そのままにある程度遡ることができます。

日が経つごとに振り返ることは辛くなるのだけれど、縋るようにその呟きや言葉を見て行くと、すっと心に入ってきながらまだそこにいるようにありありと感じられて、でも彼女のページの一番上には旅立った現実があって………

日常に少しずつ戻りながら、時折彼女がいない事実に慟哭する…を繰り返す時間でもありました。

 

そのSNSについて…

ある程度遡れると書きましたが、彼女は、何もかもを閉じて去ろうとしていました。

この文章を表に出す時にはもう、SNSも絵を載せていたサイトも意向により削除されているでしょう。

それは二度目のさようならのようで……

何事もなかったかのように、この数年という日々までをも消えてしまうようで……

好奇心で彼女の旅立ちまでをみられなくて済むと安堵しながらも、生きていた証が失われるようで………

彼女だけが持っている記憶、その人生を歩む中で蓄積し続けたあらゆること、これから書く予定だったもの全てをもって去ろうとしていたのです。

だから忘れないために、彼女のことを、彼女の呟きと過ごした日々をここに書くことにしました。

でもそれは溢れ続ける想いとの格闘で、、、

 

ここまで読んで分かる通り、私は、彼女と会ったことも交流したこともありません。だから、本当の彼女がどんな人だったかも知りません。名前も、容姿も、何も。どんなに知りたくても、これからもずっと知ることはできません。

できないけれど…SNSの中で共に同じ世界を生きた彼女はなんだかとても素敵な人で、そんな素敵な雰囲気が、言葉や描く絵や物語に現れていたように思います。

いつもどこか落ち着いていて、起こる様々なことを見せなかったのだろうけれど、冷静で、、

だからこそ、自身の体調が崩れると改めて考えさせられるのです。少ししんどいだけで生きる大変さや辛さを思うのだから、きっといくつもの決断もあったはずで苦しい時もあっただろうに、泣いたこともあると呟いてもいたのに、、、ある意味そうした全てを静かに伝えてきたことが今となっては辛くて……

どんな気持ちで診察を受けたのか…

夜寝る時どれほど不安だっただろうか…

どんな気持ちで病室に戻ったのか…

どれほどしんどかったのか……

どんな風に世界を見ていたのか………

勝手だけれど、本当に勝手だけど想像するととまらなくて、そこには辛さだけではなく専門の施設における安心できる補助もあっただろうし、そしてやっぱり本人にしか分からないことで、結局、、どんな時も全く寄り添えなかった自分の無能さに落ち込む…を繰り返すことしかできないのでした。。。

 

 

その後、ご友人様のお知らせにより彼女が旅立った翌月の8月いっぱいでSNSや絵をあげられていた場所が削除されることを知り、その日が近づいてくるたび悲しみは増しました。

もうすぐ消されるその時が近づくなか考えたのは、私なりにどうさようならをすればよいのか、ということ。

でも不思議なことに(私は情けないことにそうしたことにも疎いし彼女がどういった形をとったかはわからないけれど)四十九日とされる日、今、お別れを言わなければ!という瞬間があったのです。どこかで薄々感じていた心がそうさせたのかもしれないし、全ては私一人の中で起きているだけのことかもしれないけれど、あの時本当にそうした瞬間は訪れて、私は彼女にメッセージを残していました。涙がこぼれ、そこで私と彼女のSNSでの時間は閉じられたのでした。。。

 

その頃、1つ、不思議なことがありました。よく行くスーパーに珍しく大判焼きがあったのです。行くたびに覗く和菓子コーナーなので何がどう陳列されているかほぼ把握している状態のそこにふと大判焼きがあった。それは彼女が専門の施設に移る前に好きなものをと食べたメニューの中にあったもの。なので、勝手な思い込みとしてあなたも食べなと言われているようで………。……あなたにこそ、もっと長生きして好きなものを食べ、好きな絵を描き続けてほしかったです。

本当に、望んだのはそれだけでした。

完治せずとも寛解状態で同じ世界のどこかで生きていてほしかった。

日々を過ごし、やまぬ慟哭の中でいつも考えるのはそのことで、何をしていても、たとえ笑うことがあっても、あなたを…人の命のあまりの儚さを思い出し、虚しくなり、、私はきっとこれからもそうした日々を繰り返していくのだろうと思います。

 

SNSでのお別れをした翌日、月を見に行きました。建物に囲まれた場所なのでなかなかその姿が見えなかったのに、ふいに開けた場所にたどり着いてしっかりと見ることができたその月は、奇しくもスーパーブルームーンと呼ばれるタイミングでした。…その月に向けて「またいつか合いましょうね、会えると信じています。大好きです」と言いました。私はひねくれものなので、なんとなく好意を示すことはあっても、こんな風にハッキリと誰かに向けて大好きと言葉で発したのは初めてで…

これが、私の、彼女とのこの世でのお別れとなりました。。

 

 

 

8月が終わり、彼女の存在を知ったSNSはご友人の感謝の一言をもって閉ざされたようで、絵をあげていたサイトも1つ1つ去っていったようでした。沢山の人がそれぞれの方法で彼女へのメッセージを残していて、それらを読みながら、ああ、やはり沢山の人に愛されていたのだな、と。日本の、世界のどこかで彼女との日々を振り返る…それら想いを読んで涙がこぼれました。

 

 

旅立ちからの生活は一見そのままで相も変わらず色々あって、でも確実に変わった人間の命というもの、人生についての考え。と同時に…

年齢のこともあるかも知れないし己の体のあちこちに不調を感じるようになったこともあるけれど、冷静─というよりは…よくない言い方だけれど…冷めてしまったような。

生きても生きてもやがて消えていく命の根本的な儚さに。どれだけ世界で起こる全てに心を動かされてもやがて消失してしまうむなしさに。

ふとした瞬間、彼女の存在を知ってからの日々が浮かび、本当にあっという間に尊い命が持っていかれたことが辛くて─

今は、日々生きながらやってくるそうした感情の中で、私の人生において大切な存在であった彼女との、元気だった頃からの数年の日々をどうとらえていけばよいかを考えています。

私は、きっと年齢のことや心の問題や色々あるのだろうけれど、気持ちの制御が下手くそで、次から次へと流れてくる涙を抑えることもできていません。これからも彼女にまつわるものや街の風景や海や空を見て泣くのだろうなと思っています。………それでいいと思っています。

彼女の生きがいとなっていたジャンル。ゲームであってもそこで生まれた存在たちが次元が違えど生きているとして、それが彼女の命にどう作用したかは分からないけれど、おかげで私は出会うことができました。彼女が興味を持ったもの、義務ではなくそれらを自分のペースで知っていくこと。それが私にできる数少ないことなではないかなとも。

 

 

私は、彼女が病気になるずっと前からその呟きを見るのが好きで、その絵を見るのが好きでした。心がほっこりして…日常で何があっても疲れた気持ちがふと癒され笑顔になれる。ありがとうの気持ちを込めていいねボタンを押す。当たり前のように毎日、毎日。そんな瞬間がもう二度と訪れない事実を目の前にするたび涙があふれます。 

作品が読めないことが悲しいの?と思われるかもしれないけれど、それはもちろん読みたかったけれど、ただ全てが続いてほしかった。。。

 

 

今、この地球上にいる人間は余程の何かが起きない限りは旅立ち、そしてどう去っていくかは分かりません。不意にかもしれないし、家でかもしれないし、病院かもしれないし、別の場所かもしれない。穏やかにかもしれないし、そうではないかもしれないし、自分を保てているかも保てていないかも。

ただ、旅立つそれが永遠のさようならでなければいいと…もう何者にも生まれ変わらなくていいとさえ思ったことがある私に、そんな風に思わせてくれた彼女の存在を知ることができて感謝しています。

すると…

もっと他に生きる道があったのではないかと後悔の多い自分の人生までをも肯定できたというか、ここに辿り着かなければ、受けてきた体験がなければ彼女の存在を知れなかったのではないかと思えて、完全ではないけれどそう納得している自分がいました。そしてできれば、受け入れられた自分の人生、この魂が歩むその先で、また巡り会えたならと思うのです。

 

 

 

2024年

 

 

時が経つほどに、あなたがもうこの世にいないことを教えられるような日々です。時は癒してくれませんね。今はこの世界を認識できていないであろうあなたに、私は何かできるのか……そんなようなことばかり考えています。

 

彼女が旅立ったあの日、混乱した私は、これが最後なはずがない!生まれ変わった彼女を見つけなければいけない!!長生きしなければいけない!!!と思いました。何千年後とかではなく、数十年後に生まれ変わってくれるはずだと、そう希望をもつことで心を守ったのです。

でも、一年となり、どこかでうっすら感じていたこと、いない状態で世界は続き時は流れていくのかもしれないと。つまり現実を突きつけられたように感じていて………この悲しみは、もしかしたら自分がいつか旅立ってようやく解放されるのかも知れません。それは互いに無になってしまうということなのでしょうか?ゆらぎながら、それでもどこかで希望を捨てずにいる心。小さな小さな希望の欠片。。。

 

今も、何をしていてもやはり思いが重なり、同じ感情を何度も繰り返しています。自分の体調が悪くなり不安になりながら調べものをするとき彼女もどんなに不安だっただろうかとなって心が苦しくなる。幼い頃のアルバムを見て彼女にもこうした幼い頃があったと思う。部屋の片付けをしながら彼女も片付けをして頑張ったよと呟いていたなと思い出す。その言葉を1つ1つ思い出し、涙する。泣き叫びたくなる、を、繰り返す。。。

 

 

 

 

どこで何をしていても遠くで同じ世界を生きていた彼女。私に温かな時間をくれた大切なひと。

そんなかけがえのない存在が辛い状況に陥ることが悲しかったです。幸せであってほしいのに、そうではない状況に陥ることがこんなにも己の魂を削るのだと私は知りました。

思い過ぎてもよくないのかもしれません。でも、どうしてもふとした瞬間に気持ちがこぼれて…完全なる第三者だとしても、誰にどう思われても、押し寄せる喪失感と無念と、この世の儚さと対峙せずにはいられず……でも、そんな風にどうしようもない時、彼女のハンドルネームを検索して同じように思いを馳せる人の呟きに再び慰めてもらっています。そしてまた生命に与えられた死という現象について考える……繰り返す…きっと、これからも。私が旅立つその時まで。

 

 

ある時、ふとテレビをつけるとオーケストラを題材としたアニメが放送されていました。ちょうど演奏が始まるシーンで、聴こえてきたのはドヴォルザークの交響曲でした。

銀河鉄道の夜で流れるあの旋律─

‘家路’という名で呼ばれることもあるあの旋律。

そのタイミングに私は「(ああ…彼女は銀河鉄道に乗ったのだな……)」と思い、その旅路が静かな星の草原や美しい銀河の風景と共にあることを想像しました。

ほんの少しでいいから、ジョバンニのようにあなたの席の前に座って感謝の気持ちを伝えたかったです。そしてまた絵を描くあなたを、どういう形でも、楽しく見つめる時間が過ごせていたらいいなと、、、そう願うのです。

 

大好きなあなたと、またいつかどこかで