アヤメ語源考
◎語源は語呂合わせではない。
多くの植物図鑑や書物には
◎「その葉が並列して立っている所から美しいあや(綾・文)がある」ところから「あやめ」と名付けた。
◎「文理または文目、つまりあやのある模様の意味で、葉がたくさん並び集まってあや目を描きだしている」
◎ 和名は「文目」の意味で、葉の芯が文目模様になっているからという。
などと書かれています。
お偉い先生が「あやめ」は葉の並び方や葉の芯の模様が綾目に似ているから「あやめ」と言うのです、と言われると「そーなんだ!」としか言えません。
他にも「イヌノフグリ」「オオイヌノフグリ」と云う身近な植物があります。
イヌノフグリVeronica polita var. lilacina オオイヌノフグリ(実)Veronica persica
和名の由来は、果実の形状が雄犬の「フグリ」、つまり陰嚢に似ていることから牧野富太郎が命名したそうです。当ブログが小学生の頃、この説明にどうしても納得できなかったことがありました。
アヤメもどうも納得できず当ブログのイメージ力のなさを悔いている次第です。
◎アヤメは文目ではない。
「万葉集をみると、ァャメグサに対して安夜売具佐、安夜女具佐などの万葉仮名が当てられている。問題は、このうちの「メ」に当たる「売」及び「女」の文字にある。
かつて国語学者橋本進吉博士が万葉仮名で綿密に研究した結果、奈良時代の母音の数は現代 より多く、しかも一三種類の音に対して、それぞれ甲・乙二種類のグループの万葉仮名が当てられ、両グループの間の混用はまったく行われていないということが明らかにされた。
その説によれば、この現代の「メ」の仮名は次の甲・乙二つのグループに分かれているという。
甲――売、謎、畔、綿、馬、面、女など
乙――米、妹、梅、毎、時、味、日、眼など
しかも、このような甲・乙二種類の仮名は、特定の単語に限ってのみ使用されることを特徴としていた。
だから「売」とか「女」で表される「メ」の音は、文目の「目」の音とはまったく異なったものということになる。従ってアヤメの語源を文目とする説は学問的にはその根拠を失うことになる。」
◎アヤメの語源は?
奈良時代には、菖蒲(あやめ)鬘(かつら)と称して、五月五日の節会に、天子や群臣などが皆これを冠に結びつけたもので、これは菖蒲は、蓬(よもぎ)などとともに、悪魔を防ぐ霊力があるという中国古来の俗信によるものであった。
この儀式で親王や公卿たちに、菖蒲にのがヨモギを配して作った薬玉を渡し、舞いを舞って見せたのが菖蒲(あやめ)の蔵人(くろうど)と言う女官であった。
奈良時代の宮中で華やかな役割を担ったのが漢女(アヤメ)であった。漢女は、中国や韓国から渡来した機織りに長けた女性で若くて眉目麗しく才長けた憧れの存在であったようです。
その様子は「枕草子・物見(ものみ)」に「菖蒲の蔵人、容貌よき限り選り出だされ」とあるように若くて美貌の女性がこの菖蒲の蔵人の役目を担ったようです。
天候の不順や災害が頻発した奈良時代とは違い、平安時代は比較的平穏な時期が続き、菖蒲鬘の風俗も大きく変質し、アヤメ(菖蒲)も漢読みのショウブが定着し、ショウブ本来の霊力や薬効が薄れて、肉穂花序しか付けないショウブ(本来のアヤメグサ)の華やかさに欠けるより葉がショウブに似た美しい花を咲かせるアヤメ科アヤメが菖蒲の蔵人=漢女のイメージと重なり「あやめ」の名に転じたと思われます。
あやめ草→菖蒲(アヤメ)→ショウブ(ショウブ)と呼び習わされ、本来のショウブ→あやめ(漢女)に転じ、完全に「あやめ」と「ショウブ」が入れ替わってしまいました。
これは時代的には室町中期頃とされています。
地名との関連
アヤメ、ショウブ地名は前にも指摘したように宮廷貴族文化圏のごく限られた土地以外に成立は考え難いので、遠国、山間僻地にショウブ地名が存在するのは植物地名ではなく地形地名(細流・清水の古語)に由来するものと思われます。
牧野富太郎著(原色牧野植物大圖鑑 離弁花・単子植物篇 北隆館)によると「アヤメが大群落をつくる所は必ずアヤメ平の名で呼ばれる」とあります。
しかし、この指摘には具体的な指摘される場所の記載はありません。地名辞典などで検索してもそれらしきものは見当たりません。
ただ、当ブログ:「ショウブ」地名考(4)「アヤメ」地名の「菖蒲平(アヤメダイラ)(群馬県尾瀬ヶ原)」に見られるようにアヤメ類が全く生育しない地質にアヤメ平の地名があるのも牧野の指摘には矛盾があるように思われます。
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