馬糞風リターンズ

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十三の姉ちゃん:モスリン橋のはなし。

2010年06月06日 | 大衆演芸
藤田まことの歌で「十三の姉ちゃん」と云うのがあります。正式には「十三の夜」と云い、作詞作曲ともに藤田まことです。(※ 十三=じゅうそう)

梅田はなれて 中津を過ぎりゃ 思い出捨てた 十三よ
女ひとりで生きていく ネエちゃん ネエちゃん
十三のネエちゃん 涙をおふきよ 化粧くずれが気にかかる

庄内はなれて 三国を過ぎりゃ ネオン渦巻く 十三よ
やけにさみしい夜もある ネエちゃん ネエちゃん
十三のネエちゃんくじけちゃいけない 星に願いをかけるのさ

園田はなれて 神崎過ぎりゃ 恋の花咲く 十三よ
やがていつかは結ばれる ネエちゃん ネエちゃん
十三のネエちゃん モスリン橋を きょうは二人で渡ろうよ

3番の歌詞にある「モスリン橋」は「尼崎市戸ノ内」から神崎川を跨いで「大阪市西淀川区加島」に架かっている橋です。正式には「毛斯倫大橋」だそうです。
毛斯倫、ネル(フランネル)、莫大小(メリヤス)、スフ(ステープル‐ファイバー)などは僕の頭では「辞書か図鑑」の世界の言葉で、「モスリン」などは訳も分からず懐かしい響きのある言葉です。
この「モスリン橋」の名前の由来が気になり調べて見ました。

 大正12年(1923)毛斯倫紡織(株)が「川辺郡園田村戸の内」に新工場を建設しました。この時従業員の通勤や生活道路として対岸の加島に通じる「橋」を建設して、それを「村」に寄付したそうです。毛斯倫紡織(株)が独自で架けた「私設橋」でそれに因んでこの橋を「毛斯倫大橋」と名付けたそうです。




 当時の毛斯倫紡織(株)は「日本毛織」に次ぐ売り上げ第2位の会社だったようですが、昭和の大不況などから合併、倒産、再建の後「鐘紡」に買収され、戦時産業として「航空機部品」などを製造していましたが空襲で焼失してしまったそうです。
戦後、工場跡地は住宅、ゴルフ場、神崎新地となり現在に至っています。


 冒頭の写真は現在の毛斯倫大橋で「3代目」だそうです。初代は「木橋」で303.4mあったそうです。2代目は、昭和7年に大阪市に移管され、戦後の昭和37年に掛け替えられたそうですが「耐荷力」が小さく、数年で現在の3代目に掛け替えられたそうです。

 尼崎市史などの地域史を研究している女性の学芸員が長年にわたりこの「毛斯倫大橋」を調べています。古老などからの聞き取り調査などをしています。その中で「初代の毛斯倫橋」は「鉄製」だった、という証言を得たそうです。そこでこの学芸員さんは「悩んで」いろいろ調べたが、記録からは初代は「木造」で「図面」が残っているそうです。
 結論から言いますと昭和12年に大掛かりな改修工事をした際、欄干を鉄製のパイプ、橋脚も鉄の杭で補強しているようで、古老の記憶が混同したらしいのです。
一番いいのは当時の写真があれば明確に分かるのですが、モスリン橋の一番古い写真は昭和25年のものしかないそうです。

ローカルな、更にエリアの限られた「1ご町内」のおはなしです。

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-07-21 03:30:13
子供のころ、祖父母の家が戸の内にあり、よく渡りました。
懐かしい。
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Unknown (ひでやん)
2012-08-09 14:23:44
大阪市西淀川区加島ではなく
大阪市淀川区加島が正解です!

実家の近くなのでよく利用してます
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モスリン橋 (セナミやん)
2017-04-17 16:21:11
ありがとうございます。
阪急電車で十三を通って通勤してました。
歌も懐かしくよく聞かせてもらっていました。
その歌詞に「モスリン橋」が気になっていました。
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