馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

往馬(生駒)神社

2016年01月06日 | 歴史
5日、奈良県平群郡の往馬神社に行ってきました。この神社は大変古い歴史を持つ面白い神社です。未だ幕の内ということで晴れ着姿の善男善女が参拝していました。
絵馬殿には安部敬二郎さんのサルの絵が数十点奉納されていました。
    
本殿は春日造の立派なものです。この神社の原風景は、恐らく神奈備の山である生駒山をご神体とし、太古の昔からこの山に鎮座していたものと考えられます。本来は山頂近くに鎮座していたものが時代につれて次第に人里近くに移動し中世の頃に現在地に定まったものと思われます。
   
生駒神社を語る前にこの神社の立地する生駒山の古代の政治状況を簡単に述べておきます。神武東征軍は生駒山西麓の孔舎衙=クサカ(現:東大阪市日下)侵攻しましたが、鳥見=トミ(生駒山東麓・現:登美ヶ丘などの地名アリ)の長髄彦=ナガスネヒコとの戦いに敗れて紀伊半島を迂回した熊野から吉野を経て大和 橿原で初代天皇として即位しました。このように古代人にとっては「神さぶる伊古麻高嶺」は国の衛であり信仰の対象の山でありました。その山に鎮座したのが生駒の大神だったのです。

往馬坐伊古麻都比古神社
 延喜式神名帳大和国平群には「往馬坐伊古麻都比古神社 二座 並大。月次新嘗」と搭載されています。二座とある事から伊古麻都比古・伊古麻都比売の男神(比古)女神(比売)で豊穣を願う農業神でありその地域の産土(ウブスナ)神であったと思われます。
神社発行の「往馬大社 御由緒書」によろと現在本殿祭神は伊古麻都比古・伊古麻都比売(産土神)、気長足比売(オキナガタラシヒメ・神功皇后)、足仲津比古(タラシナカツヒコ・仲哀天皇)、誉田別(ホンダワケ・応神天皇)、葛城高額姫(カツラギタカヌカヒメ・神功皇后の母君)、気長宿禰王(オキナガスクネオウ・神功皇后の父君)の七柱。この他に境内に十三の摂末社などが祀られています。また境内には神功皇后の本地佛である十一面観音像を安置する観音堂があります。この像は運慶作と伝えられています。

 鎌倉時代の「生駒曼荼羅」(重要文化財)、室町時代の「生駒曼荼羅」(県指定文化財)には八幡神合祀したことが描かれていると言われています。そして、生駒の大神は八幡神が主祭神としてその座を奪ってしまいます。
 元々、産土神である伊古麻都比古・伊古麻都比売を祀る当社が主客転倒の形で八幡神が隆盛を極めた理由は、極々簡潔に言うならば奉祭氏族が時代の政治情勢に応じて生き残るための手段であったと考えます。
 
「住吉大社神代記」(重要文化財)という古代史研究の上で重要な文献があります。古事記・日本書紀とは違った内容の古代史が書かれた謎の多い本です。この本の中に「胆駒神南備山本記」と云う部分があります。この住吉神社との関係から「神功皇后」とが結びつき、また神功皇后と深い関係にある八幡神が登場したと考えるのは自然なことです。
 この神社も詳しく調べれば底の知れない謎に満ちた興味津々の神社です。本来ならばもっともっと詳しくご紹介したいのですが、恐らく多くの方は眺めてスクロールしてしまうでしょうから・・・。