馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

日々雑感

2012年11月29日 | ぼやき
 
「柱ごよみも だんだん痩せて 残るどの日に 逢えるやら」

僕の下手な書画は、我が家では一切飾ることは禁止されています。ただ唯一「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」だけはお許しいただけるものです。今年も早いものでまた一茶の句を引っ張り出しました。

 年末の総選挙が決まりました。国会での党首討論で「16日に解散します」と野田総理が捨て身の「解散宣言」です。論敵の安倍総裁が驚きの表情を見せ狼狽えてしまいました。予想外の「解散宣言」でそれ以降の党首討論は「ドッ白け」でした。特に、安倍総裁の次に登場した小沢一郎の哀れな姿は他党からも「何かかわいそうだったね。」と同情されるテイタラクでした。20年にわたり日本の政界を掻き回し続けた政治ゴロの終焉を見た人も多かったことでしょう。「小沢は終わった!」と思ったのですが・・・・?
 自民党の幹事長として宮沢内閣を作りましたが、自分の思い通りにならなくなると自民党を離党、新生党その後、新進党、自由党、と次から次へと政党を作っては壊してきました。最後の自由党の頃には側近も離反して「極小政党」になり、当時の森総理大臣に「もう小沢一郎氏は、政治家として終わりだ」という発言も飛び出し、多くの国民もそう思いました。ゾンビ小沢を蘇らしたのが鳩山、菅らの民主党で、当時民主党は政党の体を成していないことから小沢一郎が合併をもちかけ、平等合併をして民主党を手に入れました。そして政権交代を実現しました。が、またまた意のままにならなくなった民主党を離党「国民の生活が第一」なる政党を懲りずに作りましたが、その存在も希薄で党首討論での弱弱しい姿に「小沢は終わった!」の感を強くしました。
 
嘉田滋賀県知事が立ち上げた「日本未来の党」へ作ったばかりの「国民の生活が第一」を解党しそのまま合流してしまいました。
 これて自由党から民主党に移った時と同じパターンでは?小沢一郎は政権交代可能な「二大政党論者」だったのが、小沢の離党が引き金で一〇以上の政党が乱立しました。あの「二大政党論」は嘘か!また、民主党を離党した理由は「消費増税反対」だそうですが、平成19年秋、当時の福田康夫首相に小沢氏側から(自民党と)一緒に消費税増税をやろうということで話があり幻の大連立成立寸前だったはずです。結局、小沢一郎と言う男には主義主張があるわけではなく、政治ゲームをしているだけの男です。自民党を離党してから19年、この間日本では「失われた20年」と言われる空しい時間が経過しました。今度こそ小沢一郎が話題になることが無い賢明な選択が行われることを切に願います。
 僕は嘉田由紀子知事のファンです。俗に言うタイプの人です。今回の合流の報道を見て嘉田知事が小沢や亀井など時代劇の悪代官のような連中に操を汚される苛立たしさを感じて嫉妬しています。