良く眠れました。途中二回ほど、右足がピクッとして一瞬起きましたが、あとはぐっすり眠りました。
足の調子が良いように感じました。少し動かせます。どこにあるか分からないようになっていたアキレス腱が見え、触ることが出来、「もしかして、繋がったの!」などと思い、テストまでしてみましたが、動きません。もう一度、落ち着いてアキレス腱を触ると、窪んでいるところがありました。
ゲイルとご主人のロビーさんに朝の挨拶をすると、アキレス腱を見て頂きました。「あなた健康だから、細胞が自分達で繋がろうと寄って来たのかしら!」残念ながら、そんなことは、有りません。凹んでいるところを触って頂きました。
さて、出発です。気持ちの良い朝でした。
病院ではすぐに受け付けをし、一つ分からなかった書類に対し質問をして、“遺書を持っていない”に印を入れ、著名をしました。そして、すぐに中に入って行きました。体重を量ると百ポンドありませんでした。食べ過ぎないように気を付けているからでしょうか、既に筋肉が落ちてしまったのでしょうか…。それから、妊娠の検査。もしも、怪我をして、長く休まないといけない時に、妊娠をしたら都合が良いと思ったことはあります。でも、今子供が欲しいとは全然思わないですし、第一、そう上手くいくものではありません。何の質問もなく、「はい、次は妊娠の検査です」。ちょっとびっくりしましたが、手順に従いました。
ベットに脚を伸ばして座ると、看護婦さんが記入済みの書類を見、私は再確認の質問をいろいろと受けました。そこに今日の手術を担当して下さる先生がいらして、KAの仲間の話をしました。先生は、レイだけではなく、テイメンやテリラの手術もされたそうです。そして、右のアキレス腱に油性ペンで印を付けると、去っていきました。私の前にひとつ手術があるそうです。
看護婦さんが戻ると、右足を見て、「あら、印付いているわね。」などと言いながらも、右足に“YES”、左足に“NO”と、確認として油性ペンでもう一度書き入れました。そして、洗い晒しのペラペラの衣服に着替え、帽子をかぶり、人生初の点滴を始めると、ゲイルを連れて来てくれました。手術は、自分ではどうすることも出来ないからでしょうか、不安もなく、そこにゲイルのエネルギーが溢れ、いろいろと楽しく話しました。珍しい私の姿を、写真に撮ってくれました。
手術は九時からの予定でしたが、時計を見るとすでに四十五分が過ぎていました。私の前の手術に時間が掛かっているとのことでした。
麻酔科の先生がいらっしゃいました。飲食のことを訊かれたので、昨晩十時前から食べていないのでお腹が空いていることを伝えると、麻酔と一緒にそれを解消するミルクのような液体を入れると教えて下さいました。ごつい顔の優しい先生でした。
そこからは、早かったです。手術に付き添う看護婦と紹介されたと思うのですが、その方がいらして、まさか今座っていたベッドがそのまま動くとは思っていないところ、いつの間にかベッドは平らになって、私は横たわり、手術室へ運ばれて行きました。手術台の横に着くと、麻酔科の先生が、ショーのことでしたでしょうか、何かを質問して、私がそれに答えているうちに手早く段取りを付け、事前の説明と同じことを簡単に説明しながら麻酔薬を点滴をしていたところに入れ、「これがミルクの液体ですよ。」と私の目の前に見せると、私は意識が無くなっていく自分を感じていました。何か言わなくては、と思ったのは、無意識になる自分に恥ずかしさがあったような気がします。「眠りにつきます。」
「… …ノリコ。…ノリコ。ノリコ。」遠くの方で声が聞こえました。バイグーやレイと話をしていた時、「そうそう、目を覚ますと、『ここどこだっけ。』って思って『ああ、手術してたんだ。』って気付くんだよね。」などと言っていたので、麻酔からは自分で目を覚ますのかと思っておりましたが、そうではなく、起こされて意識を戻していきました。手術より、麻酔の方が心配ではありましたから、起こされようが、自分で起きようが、目を覚ませたことは良かったことでした。何か質問をされましたが、何だったのでしょう、覚えていません。意識朦朧の内に答えました。まだ目が半分閉じている時に、自分の足を見るとオレンジ色で、ビックリして、もう少し目が覚めました。しばらくすると、全身が少し痙攣していました。看護婦さんが、少し休むか尋ねましたが、ゲイルが待っていると思い、大丈夫と言いました。もう一人看護婦さんがいらして、手早く着替えさせて下さり、車いすに乗せて頂き、別室へ行きました。丁度ゲイルがドアを開けて入ってきました。「今先生と話したけれど、順調だったそうよ。」と言っていました。私は、まだまだ眠りの中、今後のことについていろいろと説明を受け、それを聞いたという紙だったと思います、そこに著名をし、ゲイルの運転で彼女の家に帰りました。
とても起きていられる状態ではなかったので、ゲイルのお誘いもお断りしてすぐに寝ました。約一時間で目を覚ますと、丁度ゲイルが様子を見にドアを開け、シリアルとヨーグルト、フルーツなどをきれいに並べて持って来てくれました。久しぶりの食事、とてもとても美味しく頂きました。
四十八時間は足を上げた状態にし、渡された冷却機で冷やすそうです。冷却機から管が出ていて、足の周りに着けたサポーターの中を冷えた水が循環するようになっています。繋がれた身で、トイレに行くたびに着け外しをお願いするのも気が引けると思っていましたが、機械を良い位置に配置できて、管を外さずにトイレに行けるようになりました。今日は水を良く飲み、トイレには二十回位行きました。配置が上手く行き、本当に良かったです。
麻酔の最後は局所麻酔にしているそうで、夜までは、鎮痛剤を飲まないで済むだろうということでしたが、抗生物質は飲まなくてはいけません。薬嫌いな私ですが、ここは従いました。鎮痛剤は、痛みがある時だけで良いということなので、出来るだけ飲まずに済ませたいと思いました。友人が言うには、意識が朦朧とするほど強いそうなので、怖いです。フィジオでもらったもう少し弱い薬もあり、それでも良いということでしたので、いざという時は、まずこれを飲もうと思います。
足を上げて冷やしていても、冷たい感覚はありませんでした。でも外側を触ると、冷たい水が回っているのが分かります。ときどき足の指を動かすように言われ、気付くと動かすようにしながら、ゆっくりしました。
七時を過ぎると、感覚が戻ってきました。つまり、痛みだしてきました。八時頃、抗生物質を飲む予定でしたので、ゲイルが作ってくれていたトマトやモツァレラチーズの入ったパスタサラダを、ロビーさんに頼んで、持って来て頂きました。とてもきれいに盛りつけられているそのサラダを、美味しく頂きました。
夜は、手術前に自分で作り、食べきれなかった豆乳ゼリーを持って来ていたのでそれを食べて、薬を飲もうと思っていたのですが、ゲイルが仕事から帰ると、鱈のサラダを持って来て下さいました。ホウレンソウ、アルファルファの上に鱈がのり、グレープフルーツが散らしてありました。とても、おいしかったです。お二人に感謝をすると共に、食の力の大きさを改めて感じました。
足の調子が良いように感じました。少し動かせます。どこにあるか分からないようになっていたアキレス腱が見え、触ることが出来、「もしかして、繋がったの!」などと思い、テストまでしてみましたが、動きません。もう一度、落ち着いてアキレス腱を触ると、窪んでいるところがありました。
ゲイルとご主人のロビーさんに朝の挨拶をすると、アキレス腱を見て頂きました。「あなた健康だから、細胞が自分達で繋がろうと寄って来たのかしら!」残念ながら、そんなことは、有りません。凹んでいるところを触って頂きました。
さて、出発です。気持ちの良い朝でした。
病院ではすぐに受け付けをし、一つ分からなかった書類に対し質問をして、“遺書を持っていない”に印を入れ、著名をしました。そして、すぐに中に入って行きました。体重を量ると百ポンドありませんでした。食べ過ぎないように気を付けているからでしょうか、既に筋肉が落ちてしまったのでしょうか…。それから、妊娠の検査。もしも、怪我をして、長く休まないといけない時に、妊娠をしたら都合が良いと思ったことはあります。でも、今子供が欲しいとは全然思わないですし、第一、そう上手くいくものではありません。何の質問もなく、「はい、次は妊娠の検査です」。ちょっとびっくりしましたが、手順に従いました。
ベットに脚を伸ばして座ると、看護婦さんが記入済みの書類を見、私は再確認の質問をいろいろと受けました。そこに今日の手術を担当して下さる先生がいらして、KAの仲間の話をしました。先生は、レイだけではなく、テイメンやテリラの手術もされたそうです。そして、右のアキレス腱に油性ペンで印を付けると、去っていきました。私の前にひとつ手術があるそうです。
看護婦さんが戻ると、右足を見て、「あら、印付いているわね。」などと言いながらも、右足に“YES”、左足に“NO”と、確認として油性ペンでもう一度書き入れました。そして、洗い晒しのペラペラの衣服に着替え、帽子をかぶり、人生初の点滴を始めると、ゲイルを連れて来てくれました。手術は、自分ではどうすることも出来ないからでしょうか、不安もなく、そこにゲイルのエネルギーが溢れ、いろいろと楽しく話しました。珍しい私の姿を、写真に撮ってくれました。
手術は九時からの予定でしたが、時計を見るとすでに四十五分が過ぎていました。私の前の手術に時間が掛かっているとのことでした。
麻酔科の先生がいらっしゃいました。飲食のことを訊かれたので、昨晩十時前から食べていないのでお腹が空いていることを伝えると、麻酔と一緒にそれを解消するミルクのような液体を入れると教えて下さいました。ごつい顔の優しい先生でした。
そこからは、早かったです。手術に付き添う看護婦と紹介されたと思うのですが、その方がいらして、まさか今座っていたベッドがそのまま動くとは思っていないところ、いつの間にかベッドは平らになって、私は横たわり、手術室へ運ばれて行きました。手術台の横に着くと、麻酔科の先生が、ショーのことでしたでしょうか、何かを質問して、私がそれに答えているうちに手早く段取りを付け、事前の説明と同じことを簡単に説明しながら麻酔薬を点滴をしていたところに入れ、「これがミルクの液体ですよ。」と私の目の前に見せると、私は意識が無くなっていく自分を感じていました。何か言わなくては、と思ったのは、無意識になる自分に恥ずかしさがあったような気がします。「眠りにつきます。」
「… …ノリコ。…ノリコ。ノリコ。」遠くの方で声が聞こえました。バイグーやレイと話をしていた時、「そうそう、目を覚ますと、『ここどこだっけ。』って思って『ああ、手術してたんだ。』って気付くんだよね。」などと言っていたので、麻酔からは自分で目を覚ますのかと思っておりましたが、そうではなく、起こされて意識を戻していきました。手術より、麻酔の方が心配ではありましたから、起こされようが、自分で起きようが、目を覚ませたことは良かったことでした。何か質問をされましたが、何だったのでしょう、覚えていません。意識朦朧の内に答えました。まだ目が半分閉じている時に、自分の足を見るとオレンジ色で、ビックリして、もう少し目が覚めました。しばらくすると、全身が少し痙攣していました。看護婦さんが、少し休むか尋ねましたが、ゲイルが待っていると思い、大丈夫と言いました。もう一人看護婦さんがいらして、手早く着替えさせて下さり、車いすに乗せて頂き、別室へ行きました。丁度ゲイルがドアを開けて入ってきました。「今先生と話したけれど、順調だったそうよ。」と言っていました。私は、まだまだ眠りの中、今後のことについていろいろと説明を受け、それを聞いたという紙だったと思います、そこに著名をし、ゲイルの運転で彼女の家に帰りました。
とても起きていられる状態ではなかったので、ゲイルのお誘いもお断りしてすぐに寝ました。約一時間で目を覚ますと、丁度ゲイルが様子を見にドアを開け、シリアルとヨーグルト、フルーツなどをきれいに並べて持って来てくれました。久しぶりの食事、とてもとても美味しく頂きました。
四十八時間は足を上げた状態にし、渡された冷却機で冷やすそうです。冷却機から管が出ていて、足の周りに着けたサポーターの中を冷えた水が循環するようになっています。繋がれた身で、トイレに行くたびに着け外しをお願いするのも気が引けると思っていましたが、機械を良い位置に配置できて、管を外さずにトイレに行けるようになりました。今日は水を良く飲み、トイレには二十回位行きました。配置が上手く行き、本当に良かったです。
麻酔の最後は局所麻酔にしているそうで、夜までは、鎮痛剤を飲まないで済むだろうということでしたが、抗生物質は飲まなくてはいけません。薬嫌いな私ですが、ここは従いました。鎮痛剤は、痛みがある時だけで良いということなので、出来るだけ飲まずに済ませたいと思いました。友人が言うには、意識が朦朧とするほど強いそうなので、怖いです。フィジオでもらったもう少し弱い薬もあり、それでも良いということでしたので、いざという時は、まずこれを飲もうと思います。
足を上げて冷やしていても、冷たい感覚はありませんでした。でも外側を触ると、冷たい水が回っているのが分かります。ときどき足の指を動かすように言われ、気付くと動かすようにしながら、ゆっくりしました。
七時を過ぎると、感覚が戻ってきました。つまり、痛みだしてきました。八時頃、抗生物質を飲む予定でしたので、ゲイルが作ってくれていたトマトやモツァレラチーズの入ったパスタサラダを、ロビーさんに頼んで、持って来て頂きました。とてもきれいに盛りつけられているそのサラダを、美味しく頂きました。
夜は、手術前に自分で作り、食べきれなかった豆乳ゼリーを持って来ていたのでそれを食べて、薬を飲もうと思っていたのですが、ゲイルが仕事から帰ると、鱈のサラダを持って来て下さいました。ホウレンソウ、アルファルファの上に鱈がのり、グレープフルーツが散らしてありました。とても、おいしかったです。お二人に感謝をすると共に、食の力の大きさを改めて感じました。
バトンと影絵観たさに2度、足を運びました。
また必ず観に行きます。
今はゆっくりしてください。
今はゆっくり休んでください。
のんのん先生の真面目さや強さ、いつも感じます。
心身ともに大変かと思いますが、のんのん先生のこと、応援しています。
お大事になさってくださいね☆☆☆