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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

学習のかたち①

2016年06月17日 | 学童保育

先生1人に生徒多数で、先生はのんびり自分の好きな本を読んでいるような状態の中、子供がのびのびと自学自習を進めていく教育が、寺子屋の姿でした。その教育の過程で、生徒と先生が生涯のつながりを持つような関係が成立していったのです。寺子屋では、今でいえば朝7時から午後2時ごろまで毎日6~7時間、小1から小6相当の子供たちが無学年制で、教室によっては50人から100人、1人または少数の先生のもとで学習していました。

しかも、寺子屋は一般庶民の子に開放された大衆的な教育で、この教育が当時の日本人の識字率70~80パーセントという世界でも類を見ない成果を生み出す根源となりました。寺子屋の中で、子供たちはのびのびと笑顔で学び、遊んび、たまにはいたずらをして過ごしていたのです。明るいその教室の様子は当時の浮世絵に数多く残されています。

これと対極的なのが、その当時のヨーロッパの教育です。お金持ちの子弟だけを集め、教師がムチを持って教えこむほど厳しい教育であり、これもまた、当時の絵画に多く描写されています。世界の現代教育は、日本の寺子屋教育ではなく、このヨーロッパの教育の延長にあります。

学習とは、もともと難しいものではありません。誰でも、多少の早い遅い、得意不得意の違いはあっても、同じようにできるようになるものです。それが、今の教育でそうなっていないのは、教える側が、教える側のペースで教え、教える側のペースでテストし到達度を確認するからです。当然、教える側のペースに合わせられる子は成績がよく、合わせられない子は成績が悪くなります。

問題は、子供が自ら学ぶのではなく、教える側=先生が教える伝えることが中心にあるところにあります。したがって、先生のペースより先に進みたいと思っている子も、逆に先生のペースに合わせざるを得ません。つまり、優れた子を作り出すことができず、劣った子を作り出さざるを得ないのが、現代の「教える教育」なのです。

アルゴでは、このような「教える教育」ではなく、自学自習形式の寺子屋教育が実力をつけるためには本質的な教育だという考えのもと日々の指導を進めています。寺子屋教育に参加する生徒が、講師や友達との触れ合いの中で人間的に成長することを目指しています。

自学自習の教育とは、1冊1冊の参考書や問題集を、理解、履修、反復の繰り返しによって百パーセント自分のものにするという学習です。国語であれば読書と問題集読書であり、算数・数学であれば1冊の問題集を解法ごと自分のものにする学習であり、英語であれば1冊の教科書の暗唱と暗写です。こういう学習で、国語・算数・数学・英語の基本的な実力はつきます。

ただし、現在の受験勉強は、実力の勝負ではなく、差をつける競争に勝つための勝負ですから、受験期には独自に1~2年間集中して受験に対応した学習に取り組む必要があります。しかし、受験勉強を前倒しして取り組む必要はありません。むしろ、前倒しによって、遊び、読書、作文、じっくり取り組む必要のある学習などの時間がとれなくなるマイナスの方が大きくなります。そして、そのつけは、かなりあとになってから必ずやってきます。

ただし、受験期の1~2年間の集中的な学習を自分の工夫で取り組むことができるのは、一般的に高校3年生の年齢を迎えてからです。小学5、6年生や中学2、3年生では、自分の工夫で受験勉強に取り組むことがまずできないので保護者の方の支援や塾の必要性が生まれます。保護者の方が志望校の過去問を分析して取り組むという勉強法などその典型です。しかし、これからは、そういう受験勉強自体が旧時代のものになっていくでしょう。

受験勉強が旧時代の学習法だと思うようになったのは、日本の最高学府と呼ばれる大学を卒業して社会の重要なはずの役職についている人たちが、あまりものを考える力がないように思えるからです。若い人ほどそういう傾向が強いと分析されていることを聞くと、現在の受験勉強が、本質を忘れた小手先のテクニック的なものになっているからだと思われてきます。

アルゴでは、このような状況の中、旧社会での教育を担いつつ、これからの新社会の教育を準備していきたいと考えます。これからの社会を考えると、教育に求められるものは大きく変わってきます。現在の、受験に合わせた学習から、自身の将来の仕事や生活に合わせた学習に重点が移っていきます。将来の仕事や生活に合わせた学習とは、全教科のバランスのよい基礎学力の上に(今の高校生の学習のように受験科目だけに力を入れた学力ではなく)、思考力、創造力、人間性を育てるような学習です。

しかし、今の子供たちの学習の様子を見ていると、時間をかけた詰め込み学習によってテストの点数はよくなっていても、真の学力のつく学習をしているようには見えません。なぜ時間がかかるかというと、受験期に入る前から受験に合わせて差をつけることを目的にした学習に対応しようとしているからです。受験勉強は短期間に集中して取り組むもので、それまでは基礎学力を確実につけることの方がより大事なことなのです。
 

そして、なぜ真の学力がついているように見えないかというと、学習の方法に無駄が多く、学習の時間が長すぎるために、じっくり遊んだり、考えたり、本を読んだり、自分の好きなことに取り組んだりする時間が不足しているからです。実力をつける学習の基本は、毎日同じものを同じように反復し、それを百パーセント身につけることです。問題集なら、1冊の問題集をできない問題がな
くなるまでやり尽くすことですが、ほとんどの生徒の学習は、8~9割できたところで新しい教材の履修に移るような形のものになっています。

その原因のひとつは、前述した今の学習が自ら学ぶものではなく、人に教えてもらうものになっていることです。教えてもらわないとわからないような気しています。したがって、時間をかけるわりに力がつきません。力がつかないから更に時間をかけ、そのために読書や自由な遊びの時間が減り、ますます真の学力から遠ざかるようになっているのです。

アルゴは、受験指導を子供たちの出口保障の基本においています。しかし、並行して学習面だけでなく、子供たちの自主的な生活力や他人や自然と共感できる人間力も育てていきたいと考えています。学習とは本来自分でするものです。そうあるべきです。だからこそアルゴのこの姿勢が必要なのだと今思います。


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