『やり残したものは、宝もの』 2009年06月12日 | 中学受験 行雲流水録 「琴線に触れる」という表現があります。心の奥深いところにある感情に響くというときに使います。ある言葉が自分の琴線に触れたということは、その言葉が響くような心理状態にあるということかもしれません。同じ言葉でも、何の感慨も抱かずに終わることもあるのですから…。秋元康氏が以前書いた文章が、琴線に触れたと感じたことがあります。それは…。 * * * * * 人は、誰も、あの日、やり残した . . . 本文を読む