昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

新上五島へ「ざーまによか旅」 21回目

2012-01-05 04:30:00 | 68西海・長崎県・五島列島
チャーター船はすぐに岩場を離れていきました。


(岩場を離れたチャーター船)

ここが、キリシタン洞窟です。永禄9年(1566) 、外国人宣教師の手によって、五島全域にキリシタン信仰が広まり、時の領主がキリシタンに改宗すると、多くの家臣、領民が帰衣し、各地に教会が設けられました。
 しかし、その後、豊臣秀吉による禁令、徳川幕府による一層の過酷な迫害が起こり、五島も領主の世代交代などでキリシタン弾圧が始まりました。明治元年、五島のキリシタン探索は、ますます厳しさを加え、 五島崩れといわれる最後のキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れました。この弾圧の嵐は、若松周辺でもそれぞれの集落で起きました。そのような中、この近くに住む里ノ浦地区のキリシタン達は、迫害を避けて、この洞窟に隠れました。洞窟は奥行50m、高さ5m、幅5mのT字型で、入り口はかなり広い海蝕台場の背後にある岸壁の裏側にあって、海岸からは見えない格好の隠れ場となっています。里ノ浦の山下与之助、山下久八、下本仙之助らは話し合って、当分の間の生活用具や物資を持ってひそかに、この洞窟に隠れました。しかし、ある朝のこと、不用意にも朝食を炊く煙を沖を通る漁船に見つけられ、役人の知るところとなって捕らえられ、算木責めなどの拷問にかけられました。この時以来、この洞窟をキリシタンワンド洞窟と呼ぶようなりました。昭和42年、苦しみに耐え、信仰を守り抜いてきた先人達をしのび、鎮魂の願いを込め、洞窟の入口に高さ4mの十字架と3.6mのキリスト像が建てられました。


(キリスト像と十字架)

早速、その洞窟を目指しました。


(洞窟へ)

洞窟までには、岩が点在していて、それを飛び移って行きました。


(岩場を飛び移り移動)

入口に到着しました。


(入口に到着)

中は、意外に広く感じました。


(中は、意外に広い)
(写真撮影:2011.11)
コメント
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