【清】
中国が混乱したら、必ず異民族が北から押し寄せる。今度は満州族です。中国北方、北朝鮮のもっと北、戦前まで満州といっていた地域です。明治以後、日本の領地になった時代もある。
満州族は本来は女真族といいます。覚えていますか、約500年前に北宋を滅ぼして南に押しやった民族です。その時は金という国をつくっていた。長いこと死んだふりしていましたけど、これがまた復活して中国に侵入してくるんです。
地図でいうと満州は朝鮮北方です。彼らは元に滅ぼされた後も朝鮮北方で力を蓄えていた。ここからは北京が近い。北京を一気に落とします。北京を落とせば象徴的な意味で中国の中心だから、中国をとったことになる。これが清です。1636年の建国です。
▼清の領域
この国は1900年代まで続きます。明治期の日本が戦った日清戦争の相手はこの清です。建国者は異民族だから中国名じゃない。本名はヌルハチ。ヌルヌルしているような感じですが、そうじゃない。言葉が違うんだから。高貴な名前です。
復活して最初は金を建国する。でも500年前の金と区別するためにこれを後金といいます。それを中国風に清と名前を変えて、北京を占領する。
そうすると、ここにもといたのは漢民族です。満州族は漢民族じゃない、中国語しゃべってない人たちです。中国語をしゃべってない人たちが中国を支配する。では中国語しゃべってる人たちはどうなるか。台湾に逃げたりする。このことは次に言います。
満州族は漢民族じゃない。彼らはモンゴルまで征服する。彼らは異民族を3つ支配する。
1.まずモンゴルを従える。この満州族が。
2.次に、チベットという名は、本当は吐蕃(とばん)といって別の国があった。ここを征服する。
3.この新疆というのは、これはトルコ族です。トルコってこんなとこにあった。それが千年かけて、何千キロも移動して、今のトルコに行った。その人たちが残っている。ここを新疆という。民族はウイグル族という。
これらを全部征服します。だから今もチベットと新疆は、中国から独立しようという運動がある。時々血が流れる。死人が出る。そういう地域になっています。
こういう地域をひっくるめた国を満州族が作った。これが清です。最初は後金といっていましたが、清と名前を変えます。これがこのあと約300年続きます。
【台湾】 では追い出されたもともとの中国人、この以前の明の支配層はどうするか。台湾に逃げるんです。そのリーダーが鄭成功という人。
江戸時代の日本にもやってきて、「オレに応援してくれ。満州族を打ち破るから」という。そういう工作をする。母親は日本人です。母親は平戸の人です。
それは良いとして、しかし彼らも抵抗むなしく滅んでいって、台湾まで含めて中国統一をした。これが1600年代後半、1683年。ここからは300年間は、ずるっと行きます。
【最盛期】 最盛期は約150年ぐらい続きます。3人の有能な皇帝が出ます。中国の旧漢字体は難しいです。日本人がいま余り使わないような字もある。
まず康熙帝。それから雍正帝。それから乾隆帝という3代が、一番強かった頃です。
康熙帝は1600年代です。雍正帝は1700年代、18世紀。乾隆帝も18世紀です。1700年代が清が一番強いころです。
この頃ヨーロッパは戦争のさなかにあります。それと同時に海外植民地の獲得合戦をしています。それに比べると中国は安定しています。生産力、今でいうGDPも中国が上です。ヨーロッパはこの富が欲しくてたまらない。合法的に取引しようというのではありません。彼らは武力を使ってきます。敵を分断させたうえで武力を使ってきます。
このころは日本と中国の関係は悪くはありません。
【領土】 領土は、地図でさっきも説明した通りです。直轄領として一番大事なところは、自分たちの本拠地である満州、それと漢民族が住んでいた中国本土。しかしそれでも足らない。
藩部として、トルコ系のウイグル。もう一つ言えば、ジュンガルという部族もいます。彼らはウマに乗った人だちです。ここを押さえてここを新疆とした。
さらに吐蕃を征服してチベット。この2つは今も中国です。
北方のモンゴルも領土の一部でした。いま外モンゴルはすでに独立しています。
【統治】 服装も、もともと中国人じゃないから、中国服とは違います。実は髪型も違う。満州の髪型は弁髪です。今でも男の人が・・・・・・流行りなのか知りませんが・・・・・・女みたいに頭の後ろを長く束ねて長くしている人がいますが、あれです。しかしもっと奇抜なのは、後ろに束ねて、頭の前半分を剃るんです。そういう髪型です。髪型を強制的に変えられるのはイヤでしょう。それを問答無用で強制的にやっていく。
そして「なんだ満州人の野蛮人が」と満州族を批判をするような小説や本などを封じる。批判の禁止です。そういう本を書いたりすると投獄される。監獄に送られる。これを文字の獄といいます。
こういう弾圧をして、中国人をまとめていったのが満州族です。これが300年以上続きます。
【税制】 ではこの満州族時代の税金の取り方です。
ヨーロッパ人は中国のほうが進んでいるから、貴重なものを買うんですね。何で買うか。銀で買う。だから中国には銀が溢れてくる。
そこで、今まで米で税金を納めていた農民たちも、お金つまり銀で税金を納めるようになる。これを地丁銀制といいます。
いまお金というとゴールドつまり金が中心ですけれども、アジア世界は銀です。お金を取り扱う所は銀行です。なぜ銀行というか。金だったら金行と言っていい。日本も銀が中心だったんです。中国も銀です。だから銀行です。納税も地丁銀制です。銀の全国的流通が行われていたということです。
※ 清王朝は、過去の王朝の紙幣乱発の反省から、紙幣を発行しない。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P97)
【華僑】 一方で田舎の方では地主が占めている。彼ら地主のことを故郷の「郷」、そこのお金持ちである紳士の「紳」、郷紳という。地主ですね。農民に重い年貢を課す。だから貧しい農民は苦しいんですよ。
「イヤなら出て行け」と言われて実際に出て行く。中国の貧しい人たちは。「ああ出て行ってやろう」ということで、貧しい農民が中国から逃亡して主に東南アジアに行く。
前に言ったように、いま東南アジアでお金持ってるのは、東南アジア人ではなくて中国人の子孫です。彼らを何というか。華僑といいます。
日本でも長崎の中華街は華僑です。横浜の中華街も華僑です。ご先祖様さまは中国人です。だから商売は上手です。
東南アジアの経済は今でも華僑が中心です。だから「東南アジアと商売したい、貿易したい」と思ったら、彼らと交渉することになります。彼らは中国語をしゃべるのかというと、英語をしゃべっている。
ここまでがアジアです。
ここでいったん終わって、ヨーロッパに行きます。 ではまた。
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