ひょうきちの疑問

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新「授業でいえない世界史」 23話 明

2019-08-26 09:18:39 | 新世界史10 明・清

【明】
 次に、中国の1400年代を見ていきます。コロンブスが出てくる前に。 ここでやるのは、明王朝清王朝で約400年間を行きます。
 ここではまだ1300年代です。チンギス・ハーンのモンゴル帝国のあとは明です。チンギス・ハーンのモンゴル帝国はパカパカと馬に乗った遊牧帝国でした。



【洪武帝】 その「元」に反乱がおこる。これが紅巾の乱です。1351年です。その反乱の親分が誰だったか。ガラの悪い農民なんです。名前は朱元璋という。
 彼が洪武帝です。を建国して皇帝になります。1368年です。

▼明の領域


   中国はこれが起こるから恐い。漢の劉邦でもそうです。農民です。ちょっと、ヤーさんぽい親分肌の農民です。しかも貧農です。「兄貴」とかなんとかいわれて子分をかわいがって、だんだんグループが大きくなって、国まで取ってします。
 日本でこれは豊臣秀吉だけです。これやったのは。あとは一切、そういうことは出てこない。でも中国ではこれがザラに起こる。農民出身です。

 「元」は農業が大嫌いです。農業していない。商売で生きていた。しかし朱元璋は農民だから商売が嫌いなんです。「ちゃんと土地を耕してそれで豊かになるんだ」という。商業は抑制的です。モンゴル人のまねをしない。「中国人はまず農業で額に汗してやるんだ」、と農業重視に変わる。
 政治は人次第です。誰を選ぶかは、政策以上に大事です。 そのためには「農民が耕している土地がどこにあって、それがどういう土地で、それが誰のものか」、それをつかむ。そのために土地台帳をつくる。

 当時の土地は今のようなきれいに区画整備された正方形の田んぼではなくて、グニャグニャしてる。昔の田んぼはみんなそうだった。我々が小さいときの田んぼは、ホントにこんなにグニャグニャしていた。機械もなかったからそれで良かった。全部手で鎌で、田植えも手でやっていた。
 この土地台帳が魚のうろこのように見える。そこからについた名前が・・・・・・土地台帳の名前ですけれど・・・・・・魚鱗図冊という。およそ農業と関係がないような名前になっている。「これは漁業の本やろか」と思うような土地台帳の名前です。

  この朱元璋は・・・・・・中国はだいたい北に首都があったんだですが・・・・・・初めて北京以外の南京、南方を首都にした皇帝です。



【永楽帝】 ただ息子の代になると喧嘩でもめたあと、その後の3代目は永楽帝といいますが、「やっぱり南じゃダメだ、首都はやっぱり中国の北にないと」と都を北京に戻す。
 これが大きな方向転換です。甥の2代皇帝を殺して自分が王様になるような人なんです。1399年の靖難の変といいます。ヤワじゃないです。政治の世界というのは。

 よく見てたら、今の日本でここ10年だけでも、大臣クラスで不審な死に方をした人間というのは日本でも5人いる。ある日突然2階で亡くなってましたという大臣もいた。名前は言わないけど。ヤワな世界じゃないです。政治の世界というのは。

  モンゴルの残骸が北京周辺にいる。馬に乗った人たちが。彼らと戦いを挑んで追い払ってしまう。彼らをモンゴルとはいわない。部族名でオイラート、それからタタール。騎馬民族です。これを追い払う。しかしモンゴルは北方に北元という国を建てて対立する。

 そして次には、農業重視から、「やっぱり商業も大事よね、商業にするんだったら、船だ、海だ、おまえ乗り出していけ」ということになる。命知らずの男ではなくて、中国には宦官というのがいる。アレを切られた人です。そういう人に命じて、南海大遠征を行わせる。この人の名前は鄭和といいます。1405年からです。
 北京オリンピックでは・・・・・・10年ぐらい前ですが・・・・・・大々的にこれがテーマになったマスゲームがあった。それぐらい中国では有名な人です。インドからアフリカあたりまで大船団で、何十艘という船を仕立てて「オレに挨拶に来い、中国に挨拶に来い」と触れ回っていく。 ヨーロッパ人よりも前のことです。まだ1400年代だから。

 ヨーロッパ人がインド洋に乗り出してくるのは、このあとなんです。 それよりも先に中国が遠征したのですが、ヨーロッパとは違い、これは単発で終わった。それで満足なんです。中国の貿易圏を広げ挨拶に来らせて、それで満足です。

※ 大航海時代、中国は、航海術などではヨーロッパに決して劣っていなかったにもかかわらず、遠隔の地に出かけて行って植民地をつくるなんてことはしませんでした。鄭和の艦隊がマダガスカルまで出かけて行っても、そのまま帰ってきちゃうわけですよ。ヨーロッパの場合は違います。どこへ行っても、聖なる使者として、そこを支配地にして、自分たちの宗教や思想や生活様式を押しつけようとします。そこで、その手段として武器とか戦術とか経済力とかを用いるわけですが、そういうのは、いわば俗の領域に属することです。それを用いるとき、宗教的タブーなんかに煩わされない。宗教とは関係なく使う。・・・・・・これぞ世俗分離の便利なところです。(一神教 VS 多神教 岸田秀 新書館 P230)

※ 鄭和の艦隊は、非常に原始的ながらも大砲などの火力の武器を持っていましたが、軍事力で東南アジアやインドと有利な交易体制を構築しようとしませんでした。一方、ヨーロッパは武力で脅して交易を行います。たとえ脅しの手法が残虐なものであったとしても、利益さえ獲得できれば良い、とヨーロッパは考えたのです。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P102)



 だから中国貿易帝国というのは成立しない。 このあと貿易で7つの海を支配していくのは、あの小さな島国のイギリスです。



【北虜南倭】 以上を海の世界だとすると、もう一つ明が苦しんだのは北方の騎馬民族です。これを北虜といいます。それから南の海では倭に苦しめられる。 これを北虜南倭という。倭は日本です。北虜の虜はモンゴル、騎馬民族。騎馬民族と、海賊の日本人に苦しめられた。日本人は海賊です。 日本史には出てくるけれども、日本人は海賊になって、朝鮮半島、中国沿岸をやっさと荒らし回る。福岡、唐津、長崎はそのメッカです。唐津には松浦党という海賊集団がいる。これにほとほと中国は困る。「日本の海賊ぐらいへっちゃらだろう」、そうじゃない。日本の海賊は強いのです。

 それで国の北側は、秦の始皇帝の時代からあったものを大々的にやりかえて、今のような頑丈な万里の長城を作り直す。これが北の守りです。今の万里の長城はこの明の時代に完成します。
 また日本の海賊に対しては、海禁政策といって海を閉ざします。日本流にいえば鎖国です。逆にいうと鎖国政策をとったのは日本だけじゃないですよ。

 逆に自由貿易する方がこの時代にはどうかしている。「ちゃんと海は守れ、どんな悪い人間が海から来るかもしれない」というのがこの時代の常識です。
 実際にこのあと悪い人間がヨーロッパからいっぱい来て、香港は取られる、マカオも取られる。つい最近までそうだった。香港が中国に戻ったのは、ついこの間、君たちが生まれる少し前の1997年です。ほんの20年前にイギリスはやっと香港を返した。そうやってとことんぶん捕られます。
 海を閉じて日本の海賊を防ぐ。日本の海賊を倭寇と言います。

 結局こうやって商業は抑制される。モンゴルは商業が大好きだった。その前の宋も商業が大好きだった。しかし明は商業を抑制する。中心は農業です。
 ただ全く貿易がゼロになったわけではない。許可制です。規制をかけます。日本にも。だから特定の人間だけは中国と貿易をする。この貿易が勘合貿易です。許可制です。自由貿易じゃない。 勘合というのは、「勘ぐる」合い札です。かまぼこ板みたいなものに字を書いて2つにちょんぎって、上半分を中国語が持って、下半分を日本が持ちます。
 港に入る時に「おまえ海賊だろう、証明はあるか」と言うと、「この勘合があります、どうぞ合わせてください」「そうかおまえはちゃんとした商人だ」となる。そういう証明書です。

 しかし約200年続いた明も1644年に滅んでしまう。また農民反乱です。 この首領を李自成といいます。この人は王様にはなりません。もうちょっと複雑です。この混乱に乗じて、中国の万里の長城なんのその、国が弱いとそれを乗り越えて、北からまた異民族が押し寄せてくる。それが次の清になります。



【貨幣経済】 その前にちょっと横に逸れます。この時代の東アジア海域です。
 明は商業を押さえようとしましたが、しかし庶民の間では何が発達していくか。貨幣が発達していくんです。お金は商売の味方です。お金があると商業は発達する。

※ 洪武帝が敷いた穀物生産中心の農本主義の原則は帝の死後は守られず、貨幣経済の拡がりとともに、利益率の高い商品作物の栽培に移行していきます。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P99)

※ 北宋、金王朝、南宋、元王朝、明王朝などの中世の中国王朝は、すべて紙幣増刷により財政を補塡し、市場の信用を失い、衰退もしくは滅亡しています。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P97)


 それで農民たちは、食うためじゃなくて、お金を稼ぐために、自分で食うためのものをつくらずに、「これをつくれば高く売れるぞ」という作物を作っていく。これを商品作物といいます。今の農家では当たり前です。しかし昔の農家では、自分が食うために米を作る。自分が晩飯のおかずにするために野菜を作っていた。
 でもそうじゃない。そこで桑を植える、といってもわからないでしょう。(かいこ)を飼うためです。まだわからないかも。桑の意味が。蚕は何を食うか。知らないからといって君たちのせいじゃない、見たことないからね。
 蚕の糸が絹になります。英語でいうとシルクです。あのシルクロードのシルクです。金と同じ値段で売れるシルクです。 これを米俵いっぱい積んで持っていけば、億万長者です。
 我々が子供の頃は当たり前に桑の木があった。ここらへんの田舎の田んぼが、今のようにきれいになる前は、クリークの護岸に桑を植えてあった。桑の木をなぜ植えたかというと、蚕が食うのは桑なんです。これが糸を吐く。それがです。動物繊維です。

 この勘合貿易によってまた貿易が発達していく。そういうところに、ヨーロッパ人が来る。イギリスの前に、ポルトガル、スペインが来る。順番はポルトガル、スペイン、次にオランダがきて、4番目がイギリスです。
 ここでガッポリ全世界をゆがめてしまう。イギリスは小さい国ですが、海賊の国です。バイキングといいます。中国に良いものがあるぞと目を付け、 まず陶磁器。これはヨーロッパにはなかった。それから生糸。この生糸を縦糸、横糸で織ったものが絹です。絹織物です。これがヨーロッパで高く売れる。中国は買う方ではなくて、売る方ですよ。

 ではなぜこんな高いものをヨーロッパ人は買えたのか。この100年ぐらいあと、スペインが何をするか。南米を植民地にして、銀山を見つける。原住民のインディオを強制労働させて、山を削って銀を掘らせる。彼らがバタバタと死んでいくと、こんどはアフリカ人の黒人奴隷を連れて行って強制労働させる。
 銀がガッポリ手に入る。その銀で中国の絹を買うのです。そこで殺された南米の人ほど気の毒な人はない。つまりメキシコ銀で買う。
 今、日本は金も銀も出ませんが、この時代にはガッポリ出ます。だから中国の絹は日本も買っています。日本と中国の交易も盛んになる。中国は銀であふれていきます。

※ 初期に紙幣の発行で経済を支えていた明は、銀の大量流流入を受けて、従来の銅銭にかえて銀により税を徴収するようになる。16世紀末の地税と人頭税を一括して銀で納入させる一条鞭法である。高価な銀が大量の銅銭と交換されたことから、中華帝国を悩ませてきた銅不足が解消された。世界規模の銀の流通が、中国のお金のシステムを紙幣から銀と銅銭の組み合わせに変えたのである。(知っておきたいお金の世界史 宮崎正勝 角川ソフィア文庫 P59)

※ 銀の普及を受け、16世紀末の万暦帝期において、宰相張居正が一条鞭法と呼ばれる新しい税制を施行しました。一条鞭法は銀納一括の税制であり、これによって事実上、銀が通貨となり、銀本位制経済が構築されました。この頃、中国のみならず、銀は東アジアや世界における国際通貨としての地位を確立します。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P104)




【日本・琉球】 では日本はというと、明の終わり頃に日本は戦国時代を脱して、全国統一に向かう戦国大名が出てくる。織田信長はカット、徳川家康もカットして、そのまんなかの豊臣秀吉です。
 彼が何をトチ狂ったのか、日本を平定した後は、中国を征服しに行くんですね。中国を征服しに行く時には、直接東シナ海を突っ切ったら難破するから、まず壱岐・対馬を渡って、朝鮮から陸路で行く。
 そのために朝鮮を征服しないといけない。朝鮮出兵です。失敗しますけど。 これが韓国と日本の、今でもまだ外交上の火だねになったりもしている。韓国人は豊臣秀吉が大嫌いです。

 しかし江戸時代になると、あんなに喧嘩していた朝鮮と早くも国交が回復していく。こういう中国と朝鮮と日本との関係があるという事も知っていてください。
 江戸幕府は中国とは国交はありませんが、中国船が日本にボンボン来てます。これが長崎です。だから長崎には、昔の港の隣に長崎ちゃんぽん街があります。あの近くです。長崎に唐人屋敷ができます。唐人というのは中国人のことです。実は九州のあちこちにも唐人町があるでしょう。この近くにもあります。中国人の町ということです。
 そればかりか、日本人は受け入れるだけではなくて、貿易の利益を求めて・・・・・・これは当たれば大きいが難破して死ぬ危険も高い・・・・・・東南アジアまで出かけて貿易取引をしていく。東南アジアのタイとか、プノンペンあたりに日本町ができてくる。これが江戸の初期です。

 それから沖縄のこと。昔は琉球といって別の国だった。琉球王国という独立国だった。江戸時代にはそこを日本の一部にしますが、中国も「オレのものだ」としていた時期がある。
 沖縄もさるもので、わざとそこをあいまいにして、「オレは中国の一部でもあり、日本の一部でもある」ということにする。それで何をしていたか。中継貿易をしていた。中継貿易をするにはこの関係が一番都合がいい。それでがっぽり儲ける。
 いま沖縄は米軍基地でいろいろもめてますね。アメリカは沖縄に基地を持つことで中国を封じ込めています。



【明の滅亡】 その明がいよいよ滅亡します。1644年に。さっきもちょっと言いましたがきっかけは農民反乱です。李自成の乱です。滅んだのは1644年ですけど、この人が皇帝になったわけじゃない。
 これで終わります。ではまた。


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