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永田町ひき逃げ事件の犠牲者はイトマン事件でも名前が出た「バブル紳士」だった | AERA dot. (アエラドット)
永田町ひき逃げ事件の犠牲者はイトマン事件でも名前が出た「バブル紳士」だった

6月20日の夕方、永田町の国会議事堂近くの道路で、横断歩道を渡っていた男性が乗用車にはねられ死亡した。亡くなったのは団体職員の大野泰弘さん(67)。その後、搬送先の病院で死亡が確認された。
大野さんをはねた車はそのまま走り去り、200mほど先で別の車をよけようとして横転。警視庁は運転していた濃畑宣秀容疑者(55)をひき逃げなどの疑いで現行犯逮捕した。車は財務省の公用車で、濃畑容疑者は財務省の委託先企業の運転手だった。
テレビニュースなどでは、濃畑容疑者が横転した車からなかなか出ようとせず、警察官に取り押さえられる際、「どうなってんだ、この国」などと言いながら抵抗するシーンが映し出され、注目された。
だが私は、「大野泰弘さん」「67歳」という被害者の名前と年齢に釘付けになっていた。その後、大野さんの住所が「新宿区四谷坂町」と報道され、「やっぱり、あの大野さんか」と、がっくりした。
仕事は「事件屋」「ブローカー」
テレビでは、事故現場に落ちていた、大野さんが身に着けていたメガネや帽子も映し出された。そのうち、大野さんと親しい人からも電話が相次いだ。
「大野さんで間違いない」と確信した。同時に感じたのは、「大野さんは狙われたのでは。事件ではないのか」ということだった。
大野さんの職業について、報道では「団体職員」と報じられたが、大野さんはわかりやすくいうと「事件屋」「ブローカー」という、一般の人からすれば得体が知れない仕事をしていた。
私が大野さんと知り合ったのはもう25年ほど前のことだ。大野さんは経済事件で暴力団など「裏社会」の関与がささやかれる際に、頻繁に名前が登場した人物だった。指定暴力団山口組と大手金融機関との関係に詳しいという触れ込みで、話を聞こうと思った。当時は赤坂や六本木などで大きな不動産取引にも名前を連ねる、いわゆる「バブル紳士」の一人だった。

加藤紘一氏のカバン持ちも
大野さんは、山形県の有名な企業経営者の家庭に生まれ育ったという。大学卒業直後から一時期、山形の大物政治家である故・加藤紘一自民党元幹事長の秘書を務めたといい、政官財にも精通していた。
大野さんのかつての秘書仲間が振り返る。
「山形では誰もが知る食品会社の一族で、そのツテなのか大学時代から加藤先生の事務所に出入りして、秘書になった。加藤氏が出世して閣僚になった後も、地元に帰るとカバン持ちをしていて、まじめにやっているのだと思った。だが、どこでどうおかしくなったのか、事件屋、ブローカーのような存在になってしまい、加藤先生も一族も迷惑したそうです」
私は大野さんから加藤氏の情報や昔話を何度も聞いたことがある。確かに加藤氏については詳しく、家の間取りまで書いて説明してくれ、加藤氏の3女・鮎子氏(現・女性活躍担当大臣)の幼いころの話も聞かせてくれた。
1999年9月にはこんな事件もあった。当時の朝日新聞記事を引用する。
〈14日午前零時半ごろ、東京都千代田区神田神保町一丁目の路上で「男二人に暴行を受けた」と自称コンサルタント業大野泰弘さん(43)から119番通報があった。大野さんは、ろっ骨が折れるなどのけがをした。大野さんは、13日に発売された大手都市銀行を批判する告発本の著者に情報を提供した一人で、「襲った男たちは『分かっているんだろうな。本の件だ』などと話した」という〉
バブル時代、「加藤紘一元秘書」という肩書を利用し、不動産取引で多忙だったという大野さん。バブル崩壊後は旧住友銀行と数々のトラブルが発生した。銀行の「暴露本」が出版されたとき、大野さんは著者にスキャンダル情報を提供したことで恨みを買った、という経緯のようだった。
事件後、大野さんはこう話していた。
「やくざ風の男たちに襲われ、拉致されたのは銀座だった。車に押し込まれ、殴る蹴ると本当に痛かった。殴られながら、住友銀行のことしかないと思った。解放されたのが神田で、そこから119番した。あんな痛い思いはこれまでしたことがなかった」
戦没者の遺骨収集のボランティア
大野さんは政官財と裏社会との関連についても詳しかった。戦後最大の経済事件といわれるイトマン事件でも、旧住友銀行の関連で自分の名前が出たと語っていた。
2005年、指定暴力団山口組の六代目組長に司忍組長が就いた。ナンバー2にはその右腕、高山清司若頭が座った。
まったくマスコミ報道がなかった時点で、
「もうすぐ司組長がトップに、カシラには高山がなりますから」
と教えてくれたのは大野さんだった。半信半疑だったが、ズバリ的中していた。
もっとも、「空振り」も少なくなかった。
「自民党の最高幹部が極秘で北朝鮮に行く」
「アメリカのトランプ元大統領が、おしのびで横田基地にやってくる。トランプ元大統領が乗ってきた飛行機で一緒にアメリカに飛ぶ」
など、どうみても「ホラ」としか思えないものもあった。
だが大野さんは、「本当なんですよ」といつも真顔で話し、何時間でも繰り返す。
面倒に感じることもあったが、丸い大きなメガネからのぞく人なつっこい目、なぜか人をのめりこませる語り口調。憎めないキャラだった。「事件屋」を自称しながら、太平洋戦争の戦没者の遺骨収集や慰霊というボランティア活動にも熱心で、人から頼み事をされると断れないというお人好しの一面もあった。
08年、東京の不動産賃貸会社に対して、
「反社会的勢力と深い関係があることを知っている。記事にされたくなければカネを出せ」
などと脅したとして、恐喝未遂の疑いで警視庁に逮捕され、その後、実刑判決を言い渡された。
これで懲りたかと思ったが、社会復帰後も大野さんの「事件屋」ぶりは変わらなかった。
ヨーロッパのある国の大使と関係があるとして、
「東京の一等地の土地で大きな取引があり、それを仲介する。100億円規模だ」
「ワインを無税で輸入できるので、一儲けして政界にもカネを流す」
「ある国に大量の聖徳太子の旧1万円札がある。日本に持ちこめば現金として使える。30億円分を調達している」
といった雲をつかむような話をよくしていた。
またある政治家と親しく、今年1月から2月ごろには、以前、贈収賄事件で逮捕された政治家の「コンサルタント」と称して、
「なんとか無罪をとりたいので協力してくれないか」
と頻繁に電話があった。話を聞いたがとうてい無理な相談で、大野さんの努力はむなしく、有罪判決だった。
警察は「事件ではない」
大野さんは99年に襲われた事件以降、非常に用心深くなった。一緒に喫茶店から出る時も周囲をキョロキョロと見まわし、先に出るのはいつも私。地下鉄の駅ではホームの後方に立ち、発車間際に乗り込んでいた。
それゆえ、大野さんが事故に遭って亡くなるとは信じられなかった。
大野さんはつい最近まで、
「財務省と取引できる極秘のことを握っているので交渉しているんだ」
と何人もの人に話していた。
そして、事故に遭った車は財務省の公用車。現場も財務省から遠くない場所と聞いて、私は背筋が冷たくなった。本当に単なる事故だったのだろうか。
大野さんをよく知る弁護士も、同じ思いだった。
「政治に、金融に、裏社会に、いろいろなところに首を突っ込んでいた大野さんがあのような事故で亡くなるとは思えない。事件だという気がする」
大野さんが亡くなって数日後、ご遺族から連絡をいただいた。
「あの日は午後4時くらいに自宅に帰ると言っていた。だが、帰らないのでどうしているのかと思ったら、警察の方がお見えになり、『すぐに支度して病院に』と言われました。駆け付けるともう意識はありませんでした。ただ驚くばかりでした。狙われた、事件だという声も聞きましたが、警察は、事故で事件ではないとのことでした」
私も捜査関係者に話を聞いたが、
「犯人は、特定の人物を狙った様子はなく、パニックになって暴走したことが事故となった。大野さんがこれまで警察沙汰になったことが何度かある人物であることは把握しているが、事件性はない」
とのことだった。
いずれにせよ、大野さんはもう戻らない。ご冥福をお祈りいたします。
(AERA dot.編集部・今西憲之)
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