ひょうきちの疑問

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日銀の失敗……お金とは権利のこと、権利は必ず行使されるとは限らない

2016-02-26 00:36:11 | 日銀景気対策

2016.2.26(金)

黒田日銀がやっている量的金融緩和とは、具体的には、市中銀行の持つ国債を日銀が買い上げて、その代金を日銀内の市中銀行の当座預金口座に振り込むだけだ。
『円を刷る』ということの実際の意味は、そういうふうにして市中銀行が日銀に持つ当座預金口座の残高が積み上がるということだ。
作業としては、コンピュータに数字を打ち込むだけである。


この場合の数字とは何か。市中銀行が日銀に持つ当座預金口座に数字が打ち込まれるということは、その分だけ市中銀行の権利が増大するということである。
ではその権利とは何か。市中銀行はAから預かった預金を、Bに貸し出すことによって、その利ざやで儲けている。
市中銀行の預金残高が増えるということは、その分、貸し出す権利が増えるということである。


しかしそれはあくまで権利である。権利は行使することができるが、放棄することもできる。
また借り手が現れない場合には、銀行の貸し出す権利は行使することができない。

つまり、日銀にある市中銀行の当座預金口座に残高が積み上がることによって、市中銀行がその預金を貸し出す権利は増大するが、絶対に市中銀行の貸付金が増大するとは限らないということである。
市中銀行は、借り手が現れない場合には、預金をそのまま寝かせておくことだって考えられる。

日銀総裁の黒田東彦が間違っているのはその点なのだ。
権利は行使できるが、絶対に行使されるとは限らない。権利は行使されないこともある。しかも権利には相手がある。権利を行使する相手が現れなければどうすることもできない。

市中銀行が日銀に持つ当座預金残高(≒マネタリーベース)を増大させさえすれば、銀行の融資が増大し、経済が活性化され、インフレが促進されるというのは、
権利がすべて行使された場合の理想を描いたにすぎないのであって、お金という権利の貸し借りが発生する際に満たさねばならない基本的条件を全く無視したものである。


繰り返すが、権利は行使される場合と、されない場合がある。
権利がすべて行使されるというのは、人間社会を考える上での基本的な誤謬の上に成り立っている幼稚な考え方だ。

お金は確かに便利なものだが、金さえあれば何でもできると思っている人は、幼稚に見えないだろうか。


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