7月28日14時54分配信 読売新聞 より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090728-00000597-yom-soci
2011年度から必修化される小学5、6年生の英語の授業について、
文部科学省が全国の公立小学校約2万1000校などを対象に調査を実施したところ、
昨年度に小学校で実施された英語授業のうち7割近くで外国語指導助手(ALT)が活用されていたことがわかった。
生の英語を学ぶ機会が定着してきたことが浮き彫りになった形だが、
一方では、簡単に授業を投げ出してしまうALTもいるなど、“質”の問題が浮かび上がっている。
「また辞めるのか」。
7月中旬、埼玉県内の市教育委員会の担当者は、業者から米国人ALTが交代するとの電話連絡を受け、頭を抱えた。
4月以降、辞めるのは3人目。
1人目は「通勤時間が長い」と小学校に現れず、
2人目と3人目は「一身上の都合」などを理由に、1学期の授業だけで、学校から消えた。
2学期からは4人目が来る。担当者は「継続性が大事なのにこんなに交代するなんて。
児童たちにも説明ができない」と困惑する。
「人件費を切りつめるから辞めてしまうんだろう」と、埼玉県内のある学校長はうち明ける。
この学校のALT派遣を請け負った業者は、入札で、昨年の業者に比べてALT1人あたり31万円も安く落札した。
文部科学省によると、ALTを活用した小学校の授業のうち、国が仲介する「JETプログラム」によるものが25%で、残りは民間業者への委託など。
この市の場合、40余りの小中学校にALT約20人を派遣する民間業者と契約を結んだが、校長は「風邪で半日休み、給与とボーナスを両方カットされたALTもいた。
なりふり構わぬ業者が増えれば、教育の質は保てなくなる」と危機感を募らせた。
関係者によると、業者の新規参入が目立つようになったのは、小学校英語の必修化が打ち出された06年ごろから。
かつてはJETプログラムで採用したALTを自治体が直接雇用するのが主流だった。
しかし、自治体側はALTが住むアパートを契約したり、交代要員を確保したりしなければならない。
民間業者に委託すれば、こうした手続きは不要になるため、業者を活用する自治体が徐々に増えてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【私のコメント】
7年前に書いた文だが、今でもほとんど当てはまるので、そのまま転載する。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/5151/link_62.html より
◇ALTの給料
ALTの制度はあくまでも一時的なものであり、日本がこのような大不況の状態になれば、当然廃止されるものと思っていたが、5年経ち10年経っても一向にそういう話は聞こえてこない。
一体、国民はALTにどれぐらいの給料が払われているのか知っているのだろうか。
一人当たり年間400万円前後の給料が支払われているのである。
通常の大卒新任の教師よりもはるかに高い給料である。
しかもそれが教員免許も持たず、本職の教師ではない同年齢の外国人に対して支払われている。
しかもその金は日本人から集めた税金なのである。日本全体が彼らに支払っている金額は膨大な額である。
こんな国が他にあるだろうか。国民全体がこれほどの不況に苦しんでいるというのに、これは一体何なのだろう。
◇国民の誤解
私は一般の国民に一つの誤解があると思う。ALTが一人前の教師として一人で教壇に立ち、日本の英語の先生と同様、生徒への全責任を背負って一人で授業を行っているという誤解がありはしないかと思う。
いうまでもなく、ALTは、正式の英語教師の補佐役に過ぎないのである。一人で授業を任されることはない。いつも正式の英語の教師とペアになって、そのアシスタントをするに過ぎないのである。
しかも彼らのモチベーションは概して低い。アルバイト気分ある。彼らは教育をしに日本に来ているのではない。私の隣のALTなどはしょっちゅう職員室であくびをしている。全員がそうとは言わない。しかし概してモチベーションが低いのは事実なのである。特にアメリカからのALTはその傾向が強い。これが国民性なのかとも思うが、どうもそれだけではないような気がする。
今でも日本の経済政策はアメリカ一辺倒である。小泉純一郎が竹中平蔵を起用してからその傾向はますます露骨になった。そんな首相と大臣を抱えている限り、ALT制度は果てしなく続いて行くであろう。
もともとこの制度は、アメリカが巨額な貿易赤字に苦しみ、その結果ジャパンバッシングが始まった1980年代にその根があると思う。
そのことはみんな本当は気づいているのだと思うが、国際化の美名のもとに何かがカモフラージュされているのである。
その結果やってきた日本にやってきたALTは、生徒の成績をつけることもなく、担任をするでもない。
掃除監督をするでもなく、校務分掌を担当するわけでもない。部活動の顧問をするわけでもない。
実は学校の教師にとって今一番大変なのは、授業以外のそのような仕事なのである。全くのお客様である。明治期の御雇い外国人教師が給料も高い代わりに、日本の教育に責任を持ち、それに心血を注いだのとは全く事情が異なるのである。
そのような実態を国民が知ったら、どう思うだろうか。そのような一番大変な仕事を一切せずに、それでいて同世代の正式の教師よりも高い給料をもらっている。一体どういう訳なのか。
しかしそれが十数年前には、黒字減らし対策だったのである。
しかし今のような深刻な経済不況のなかで、どうしてそのような黒字減らしを続ける必要があるのだろうか。政府はそのことに対しては、頬っかむりを決め込んでいる。
◇日本は多民族国家ではない
日本は多民族国家ではなく、日常生活において英語を使用しないと生活が成り立たないという人はほんの一部の人にすぎない。また仕事上、恒常的に英語を話さないと仕事にならないという特殊な仕事に携わっている人もまれである。
英会話力で外国人と対等に渡り合えるような英語教育は、初等中等教育で行うべきことではなく、大学のような高等教育機関で行うべきことだと思う。本当に真剣な学生なら、自分から進んでそういう勉強に励むであろうし、それ以上に自分のお金を使ってでも英会話教室や、海外留学をするであろう。
◇カリキュラム上の余裕がない
中学生や高校生のようなまだ専門化していない段階で、ALTによる教育を行うことは、学校全体の教育活動のなかでは、壮大な非効率を生み出すことになる。まず今の学校教育にはそれだけのカリキュラム上の時間の余裕がない。英会話力は、いわゆる「読み書きそろばん」とは質的に違うものである。ALTによる英会話力を優先することによって、「読み書きそろばん」に類することがおろそかになっていくのである。
ただでさえも授業時間の削減が求められている。
どこの学校も授業時間の確保に四苦八苦している。生徒の学力も低下している。
授業内容はどんどん削減されている。
日本の子供たちの学力低下、そして人間としての質の低下は一般に思われている以上のものがある。
国際化という高い建物を建てるよりも、足元からそれが崩れないような対策を講じることが急務だと思う。