4日目、終日エジプトで過ごせる日は今日で最後となった。
明日、午後には空港へ向かわなければならない。
御一行はこのとおり、疲れも見せず足取りも軽く、素敵な笑顔。
息子、二人の娘とエジプトの大地を踏みしめることが夢だった私も、心が弾む。
コプト教会(原始キリスト教会)とコプト教徒の住む町オールドカイロは、静かな佇まい。
ヨーロッパの古い町へ迷い込んだようだ。
640年アラブ軍が侵入するまでは、主な宗教はコプト教だったが、現在の信者は人口の1割ほど。
コプト教の人々は、手首内側に十字架のタトゥーを入れている。そして心なしか落ち着いた人が多い。
アッラーの意味が含まれる挨拶はしない。たとえば「アッサラーム・アレイコム」「インシャー・アッラー」など。
ここエル・ムアラッカ教会は、塔門を利用してぶら下がるように建てられたために、ハンギング・チャーチとも呼ばれている。
静かな教会内で信者が一心に祈っていた。
天井から光が差し込み、神の啓示が降りてくるような空間だ。
コプト博物館、ベン・ズエラ・シナゴーグ、聖ジョージ修道院を巡る。
2012年3月17日逝去したコプト教のトップ、シェヌーダ3世教皇が、時の人、ムバラク元大統領(左)、フセイン・タンターウィー(中央)、ムルシ元大統領(右)と、写真におさまっている。
タンターウィーという人物は、エジプト革命後、暫定政権下でムルシ政権が発足した2012年6月30日まで国家元首を代行した人物である。
コプト教会や同教徒の自宅などへの襲撃、放火が、6月30日政変以降 特に続発した。
焼き討ちにあったコプト教会は総数17にものぼり、アレキサンドリヤ図書館の一部も被害に遭ったとの情報が入ってきた。
しかし、何度も書いてきたが、庶民レベルでは、イスラムとコプトとの間に異宗教の壁があるようには思えない。
革命、政変ではムスリムの礼拝の時間を、コプト教徒たちが人間の鎖で守ってきた。
多くのムスリムの人々は、コプトへの襲撃について「イスラムの教えではこのようなことは許されない!」とフェイスブックでも厳しく批判していた。
カイロ、ハン・ハリーリに現れたサンタに、ムスリムの人々も大喜びだった。
娘が交流してきたエジプトボーイ、ガールスカウトは、コプト教会が運営していた。
コプトもムスリムも同胞団も、すべてエジプト国民。本来はとても優しい国民性をもつ。
そんなエジプト人同士が争うのは、残念で悲しいことだ。
そんな中2014年3月15日、明るいニュースが飛び込んできた。
キリスト教の一派コプト教徒のハーラ・シュクラッラー氏(59)が世俗主義の立憲党の党首に就任したとのこと。
女性、しかもコプト教徒が主要政党の党首に就くのは初めて。
クリスチャンでありながらムスリムと結婚、動画を見ると、ユーモアがあって知的な女性だ。
若い党員、支持者が多いとのこと。今後のエジプトに一石を投じるか、期待したい。
ハーラ氏の動画はこちら→http://www.youtube.com/watch?v=W28NboeB1CY&feature=share&list=PLblwmgOZDF8LT2s4ml1rvpz80R6Ozf5xu&index=2
町を散策すると、メンバーの大好きな露店のお土産屋さん。一斉にもう夢中。
町の壁面に、本や地図をディスプレイした本屋さんも面白い。
ボーイスカウトだった息子はカイロの地図をお買い上げ。
いつか、カイロの町を夜間ハイクでもするのだろうか。
喧噪の町カイロにあるとは思えないほど静かな町並み。古都の様に落ち着いた美しい佇まいの町並みに心が休まる。
娘に「『ゼルダ』のカカリコ村のようだね。」と言ったら、
「お兄ちゃんと一緒のこと言ってる!お兄ちゃんもさっきそう言ってたよ。頭の中一緒だね。」と笑われた。
息子とはゲーマー仲間で、協力し合って数々のゲームを攻略してきたので、頭の中はそんなものだ。仕方ない(笑)
おしゃれなオールドカイロ男子にも遭遇、被写体におさまってもらった。
エジプト版スタンドバイミー?ゴーディとクリス!
異次元のような空間で、一時の安らぎを得た私たちは、もう一つの宗教イスラムの寺院、銀色に輝くモスクへ向かう。
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