「エジプトは静かだよ。」という娘とのスカイプの会話から始まった2011年1月25日「警察の日」
前日から例年に比べると、大規模なデモになるとの噂が流れていたのを受けて、娘の会社は自宅待機を命じていた。
あれから1年。エジプトでは様々な事件が勃発し、混迷の時が流れた。
・2011年1月25日…反ムバラク政権デモ始まる。治安部隊がデモ隊をタハリール広場から追い返す
・2月2日 …ムバラク派がデモ隊を襲撃。混乱広がる
・2月11日 …ムバラク氏退陣。軍最高評議会が全権掌握
・3月19日 …選挙を自由化する憲法改正案の国民投票。賛成多数で承認
・4月13日 …司法当局、ムバラク氏を病院で拘束
・8月3日 …ムバラク氏の初公判
・10月9日 …待遇改善を求めるキリスト教徒らが軍部隊と衝突。死者20人を超える
・11月18日 …軍政の即時退陣を求めるデモ始まる。デモ隊と治安部隊との衝突続く
・11月28日 …エジプト人民議会選始まる。イスラム系政党が圧勝
・2012年1月23日…人民議会が初召集
(1月26日付・朝日新聞より)
「革命の日」となった1月25日は、今年から有給扱いの祝日となり、革命の舞台となったタハリールに再び数万人の人々が集結した。
しかし、それぞれの信じる各派ごとにステージが分かれ、ばらばらのシュプレヒコールを叫ぶ。
心を一つに戦った人々の姿は、もうそこには無い。
選挙の結果第一党となったのは、穏健イスラム団体といわれている「ムスリム同胞団」だった。
革命デモを主導してきた「4月6日運動」などの青年グループが起ち上げた新党は、残念ながら惨敗という結果に終わってしまった。
繰り返されるデモ、それによるエジプト経済の悪化が負の作用として働いてしまったのかもしれない。
「エジプトの春」の難しさをつくづく痛感した結果だったが、人口の過半数は30歳以下の若者だと言われている。
今後の政治の動向いかんによっては、若者たちが再び立ち上がる可能性も大きい。
(Manamiさんとエジプトの少女)
今回、臨場感溢れる写真を快く御貸しいただいたManamiさんに厚くお礼申し上げます。
Manamiさんは、娘が革命時避難させていただいていたAERA宿舎でお会いした方。
河江さんと同じく米国古代エジプト調査協会(Ancient Egypt Research Associates)に所属していられる考古学者さんである。
(革命の犠牲者の名を刻んだオベリスクが…)
外国の考古学者の方々の中でしばらく暮らしていた娘は、
姉のように優しく接して下さった日本女性のManamiさんにお会いできて、心の底からほっと安心できたと述懐している。
Manamiさんは今回の1月25日のデモ・イベントに果敢に出向かれ、このような貴重な写真を収められた。
エジプトの地で考古学を追求し、エジプト、日本の為に貢献されているManamiさん。
同じ日本人として誇らしい。
今日も砂漠の風の中、古代からの囁きに挑み続ける日本女性のかっこよく美しい姿が目に浮かぶようだ。