アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

革命その後

2012年01月30日 | 日記

 

                  

 

 「エジプトは静かだよ。」という娘とのスカイプの会話から始まった2011年1月25日「警察の日」

前日から例年に比べると、大規模なデモになるとの噂が流れていたのを受けて、娘の会社は自宅待機を命じていた。

 

   

 

あれから1年。エジプトでは様々な事件が勃発し、混迷の時が流れた。

・2011年1月25日…反ムバラク政権デモ始まる。治安部隊がデモ隊をタハリール広場から追い返す

・2月2日      …ムバラク派がデモ隊を襲撃。混乱広がる

・2月11日     …ムバラク氏退陣。軍最高評議会が全権掌握

・3月19日     …選挙を自由化する憲法改正案の国民投票。賛成多数で承認

・4月13日     …司法当局、ムバラク氏を病院で拘束

・8月3日      …ムバラク氏の初公判

・10月9日     …待遇改善を求めるキリスト教徒らが軍部隊と衝突。死者20人を超える

・11月18日    …軍政の即時退陣を求めるデモ始まる。デモ隊と治安部隊との衝突続く

・11月28日    …エジプト人民議会選始まる。イスラム系政党が圧勝

・2012年1月23日…人民議会が初召集

                                     (1月26日付・朝日新聞より)

 

    

 

「革命の日」となった1月25日は、今年から有給扱いの祝日となり、革命の舞台となったタハリールに再び数万人の人々が集結した。

しかし、それぞれの信じる各派ごとにステージが分かれ、ばらばらのシュプレヒコールを叫ぶ。

心を一つに戦った人々の姿は、もうそこには無い。 

 

 

                

 

選挙の結果第一党となったのは、穏健イスラム団体といわれている「ムスリム同胞団」だった。

革命デモを主導してきた「4月6日運動」などの青年グループが起ち上げた新党は、残念ながら惨敗という結果に終わってしまった。

繰り返されるデモ、それによるエジプト経済の悪化が負の作用として働いてしまったのかもしれない。

 

 

  

 

「エジプトの春」の難しさをつくづく痛感した結果だったが、人口の過半数は30歳以下の若者だと言われている。

今後の政治の動向いかんによっては、若者たちが再び立ち上がる可能性も大きい。   

 

 

              

                                                        (Manamiさんとエジプトの少女)

 

今回、臨場感溢れる写真を快く御貸しいただいたManamiさんに厚くお礼申し上げます。

Manamiさんは、娘が革命時避難させていただいていたAERA宿舎でお会いした方。

河江さんと同じく米国古代エジプト調査協会(Ancient Egypt Research Associates)に所属していられる考古学者さんである。

 

 

                                

                              (革命の犠牲者の名を刻んだオベリスクが…)

 

外国の考古学者の方々の中でしばらく暮らしていた娘は、

姉のように優しく接して下さった日本女性のManamiさんにお会いできて、心の底からほっと安心できたと述懐している。

Manamiさんは今回の1月25日のデモ・イベントに果敢に出向かれ、このような貴重な写真を収められた。

 

 

                                                 

 

エジプトの地で考古学を追求し、エジプト、日本の為に貢献されているManamiさん。

同じ日本人として誇らしい。

今日も砂漠の風の中、古代からの囁きに挑み続ける日本女性のかっこよく美しい姿が目に浮かぶようだ。

 

 

 

    

 

 

 


エジプト料理教室

2012年01月20日 | 日記

 

 

エジプト留学前のお話…。 

初めての海外旅行としてエジプトを訪れた娘は、すっかりその魅力の虜になったようだ。

アラビア語を習いたいと思い立ち、格安で教えていただける教室を探し出した。

旅行先で聞いたエジプト人が話す早口なアラビア語。

彼らが何を話し、何を考えているのか、どうしても知りたくなったという。

 

         

    (特に仲良しのお二人、エジプト在住中、娘に会いに行っていただいた。)

 

某大学の教授をされていたサラ・ナイマご夫妻とご息女ノハさん、3人の先生に正則アラビア語を学ぶこととなった。

厚いノートに単語や文をミミズのような文字で書きつらね、風呂に入ってもお経のようにぶつぶつフレーズを唱える日々が続いていた。

その教室で年に2回ほど、エジプト料理教室を開催していることを知って、

家族の参加も可能だったので、興味津々の私たちも参加させていただくことになった。

  

         

                                                (ノハ先生の可愛いご子息)

 

本当にエジプトの方?と思うほど、美しい日本語の文字で書かれたノハ先生手作りのレシピ。

それを参考に、楽しくワイワイおしゃべりしながら作り上げていく。

夫は美しいノハ先生にデレデレしながら、びっくりするほど懸命に働く!(少し怒!)

 

 

         

 

参加者には、アルゼンチン、パキスタン、中国の方々もいらっしゃった。

国境を越え協力して一つの料理を作る!なんて素敵なことだろう。

 

 

         

 

 

これまでに作ったもの

バミヤ(オクラのトマト煮)、マカローナ・ビルバシャメル(エジプト風マカロニグラタン)、ハワウシ(ミンチ肉のエジプト風パン包みホイル焼き)、

ショルベトゥ・アッツ(レンズ豆のスープ)、マハシ(炊き込みご飯を葡萄の葉で巻いたもの)、コフタ(エジプト風ミニハンバーグ)、

ショルバ・ホダール(野菜スープ)、モロヘイヤスープ、エジプト風サラダ、カターエフ(ドライフルーツの揚げギョウザ風)等々。

カルカデー(ハイビスカスの花のお茶)、タムルヘンディー(ナツメヤシのジュース)も。 

 

 

          

 

娘とある日、こんなことを話していた。

「ノハ先生とタレントのフィフィさんって、頭が良くてサバサバした明るい性格が似てない?」

教室へ行って、娘がノハ先生にそのことを伝えたら「うん!そうだよ!フィフィは私のお姉さん。」

えーっ!ほんの冗談のつもりが!瓢箪からフィフィさんである。(失礼)

 

 

        

 

 

しばらくして、再び料理教室が開催された際、フィフィさんも参加され生徒さんたちはびっくり!そして大喜び。

雨上がり決死隊の深夜番組「アイチテル」の頃から、筋の通ったしっかりした考え方する方だと感心していた。

エジプト革命の際は、エジプト人としての論理を冷静に展開し、祖国への愛と誇りをブログに綴っていらっしゃった。

今となって思えば、このご家族の一員だったことになんら不思議はない。

和気あいあいで、親思い子思いの素敵なご家族である。

 

 

         

 

 

娘が初めてアラビア語検定にチャレンジし合格した時、ノハ先生はご自分のお父様に向かって

「パパ!パパ!千明ちゃん頑張ってえらいよね。こんな子どもか妹が欲しいよね。」と過分に喜んでいただいた。

春からノハ先生は、エジプトへ戻られると聞いた。

春から娘が住むであろう場所から、さほど遠くないところにお住まいになるようだ。

娘はぜひお会いすると今から楽しみにしている。

暖かいエジプトの春は、もうそこまでやってきている。

 

 

 

 

 

 

 


本年もよろしくお願いいたします

2012年01月03日 | 日記

 

 

悲しみと激動の2011年が幕を閉じ、新しい年が始まりました。

2012年はどのようなことが起こり、どのような歴史を刻んでいくのか、期待と不安の入り混じった心境です。

願わくば、皆様のお心が安らかな年であって欲しいと思います。

いつも「アナザースカイエジプト」をご覧頂き、ありがとうございます。

旅も残り少なくなりましたが、最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。

本年もよろしくお願いいたします。