エジプトへの外務省渡航情報がなかなか引き下げられる様子もなく、大エジプト博物館設立に携わっていられるJICA専門家の方、エジプト協力隊の人たちも娘を含め、
日本で退避中という、デラシネのような生活が2か月余り続いていた。
退避中に任期満了となった隊員、任期わずかで戻ることは、もはや叶わぬ隊員も出てきていた。
娘はあと5か月の任期を残すという悩ましい状態だった。
(エジプトでの活動の日々)
そんな頃、スーダンへの振替派遣の提案をいただいた。
スーダンは、2009年ガールスカウト活動のなかで「世界の貧困」がテーマの勉強集会を開いた時、取り上げた国。
長年に渡る内戦で荒廃し、当時「世界失敗国ランキング第2位」の国だった。
不衛生な環境と水、マラリアなどの感染症のため子どもの死亡率が高く、多くの問題を抱えているという認識だった。
近年では南北スーダンの分離を巡った問題も記憶に新しい。
本音を言えば、2011年エジプト革命、2013年政変に遭遇してきた娘を、スーダンへ送り出すことには相当な抵抗があった。
娘自身も、エジプトへ戻ることを心から希望していたので、ずいぶん悩んでいたようだった。
要請を受けるかどうかのタイムリミットが迫った頃、娘は「残りの任期をスーダンへ行って、全うしたい。」と決断を述べてきた。
エジプトで努力して準備を進めたが、政変のため実現しなかった2つのプロジェクトのこと、スーダンへ行った後、エジプトへの再派遣が決まっても後悔しないこと、
今後「エジプト協力隊」ではなく「スーダン協力隊」として記録されることなどを消化しての決心だったのだろう。
内心飛び出していくだろうと予想していた夫と私は、無事を祈って送り出そうと腹をくくることにした。
ガールスカウトでの勉強会で、当時 娘が書いたブログが見つかった。
http://blog.goo.ne.jp/gs-aichi56/e/8fb8e7808474c8fab1caaadbd19b01d5
そしてスカウト達が調べて作ったスーダンの展示物がこちら
http://blog.goo.ne.jp/gs-aichi56/e/48d7a40138464af1d2e75cb05a936130
再派遣を決めてからは、目まぐるしい毎日が始まった。
中学、高校、ガールスカウト時代のお友達、職場の先輩達と次々とお会いした。
兄である息子と、親友だった息子の嫁にも会いたいと、九州に住む二人の新居に押しかけ、苦労を共にしたエジプト隊の皆さんともお会いできた。
ハードなスケジュールで日本を存分に満喫して、10月21日 スーダンへの第一歩を元気に踏み出していった。
娘と過ごした2か月半の暑い日本の夏は、娘と共にあっけらかんと去って行った。
先日、スーダンからの写真が届いた。
「スーダン ハルツームに到着。砂が赤茶色くて、賑やかな所に慣れていたので、耳鳴りがしそうな程静かな所です。そして想像していたより4倍暑い!」と。
スーダンの赤い土を踏みしめて、気温39度のなか 少々バテながら、しかし元気に歩いている姿が目に浮かんだ。
娘の熱い!スーダンの夏はまだまだ続く。がんばれ!