アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

ピラミッドタウン(河江肖剰氏の講演)

2011年06月24日 | 日記

 

  

娘の出エジプトで大変お世話になった考古学者の河江肖剰さんより、

6月16日、東京帝国ホテル「三田倶楽部」というサロンにて、講演を行うとのお知らせをいただいた。

「行きたい!!」

興味がある!スケジュールも幸運なことに空いている。

それに娘と一緒に講演を聞けるチャンスは、もう巡ってこないかもしれない。(いつも、こう考えてしまう)

夫に相談してみた。ぜひ直接お会いして、娘のお礼も申しあげてくるようにとのこと。

「やったーー!!ヤッラ ビーナ♪ (行こう) 」

 

 

                 

 

 

定時より少し早く到着した私達は、会場への扉を開けた。

河江さんの姿がすぐ目に留まった。初めてお会いした気がしない。

娘は懐かしそうに軽口をたたき、私はご挨拶とお礼を申し上げた。

講演が始まると、すぐに河江ワールドに引き込まれていった。

 

 

                

 

 

タイトルは「ピラミッドを造った力:マンパワー・フィロソフィー・エネルギー」

考古学とは、遺跡を傷つけることなく、まず測量・記録を繰り返し、それから最後に発掘だという。

地道で丁寧な作業の積み重ねがあってこそ、過去からのささやきを聞くことが出来るのだ。

 

 

                

                  

 

ピラミッドとは何だったのか。

河江さんはやはり王墓だったと考える。

とは言っても現在の墓のイメージではなく、仁徳天皇陵・兵馬俑などに近い現人神が埋葬される場所なのではなかったか。

素人考えで単純に王の墓であって欲しいと考えていた私はスッキリ!!

 

 

            

                

 

又、エジプト文明がなぜ他に類を見ないほど長く続いたのか。

その理由としてナイルの氾濫などの自然のサイクルと文明が一致していた、

自然を巧みに利用したからではないかと話された。

自然との共存、日本でも八百万の神々を信仰していた古の昔から行われていたことであるが、

いつの頃からか自然に抗うようになっていった。

エジプト文明は、これからの日本の方向性に指針を与えているのかもしれない。

 

 

 

                

 

 

ピラミッドタウン発掘の話は圧巻だった。

ピラミッド建築の為に多くの人々が働いていた。

その人々がどこで暮らし、どんな生活をしていたのか。

ピラミッドタウン発掘の話が進むにつれ、当時の人々の様子が残像のように浮かび上がってきた。

パン工房の跡から、パンの焼き方まで判明した。

長屋には2000人ぐらい眠れるスペースがあり、大きな家の跡も発見された。

ベッドは現在のように頭の方にボードがついている物ではなく、足の方にあるフットボードだということまで分かった。 

ゴミ捨て場(考古学者にとっては、宝の山だとのこと)からは、ビール壺など貴重な遺物の発見がされている。

 

 

 

                

 

 

 

遺跡の建物跡は、不思議なことにある一定の高さから、まるで切り取られたように水平に残っていた。 

再利用のためだったのか、ナイルの洪水によるものだったのかは定かではない。

陸前高田へ作家であり親友でもある田中真知さんと支援にいかれた河江さんが、

被災地で目にした現場に合い通じるものを見た点からすると、ナイルの仕業なのかもしれない。

 

 

                

            (「ある夜、ピラミッドで」の作者・田中真知さんともお会いできて感激!

          真知さんと河江さんはお二人でピラミッド登頂を果たしたという、やんちゃな経験を持つ♪)

 

またたく間に講演時間が過ぎ去っていった。

分かりやすく話していただけたので、考古学、エジプトが前にも増して身近に感じられた。

大学時代に、河江さんのような教授の講座があれば、

考古学に興味を持ち、エジプトの現場でヒエログリフを描き写していたかもしれない。

残念!!

 

 

                

 

 

河江さんは私の息子と8歳しか違わない。

ヘンな例えをすれば、「20世紀少年」の舞台にもなり、私が何度も通った大阪万博も、

近畿にいらっしゃりながらご存じない。 というか、その2年後にお生まれになっている。

人生の時間を大切に使い、明晰な頭脳と実行力で精進してこられたのだろう。

 

 

                

 

 

最後に「考古学の今後への広報活動は?」との質問を受け

「地道に積み重ねていくだけ、地味が大切だと思っています。」ときっぱりと言われた。

ピートリーのような実直さを感じて、大変好感が持てた言葉だった。

「しかしツイッター、フェイスブックなどでの発信は続けていきます。」

ぜひ!続けていただきたい。

河江さんとのご縁もツイッターのお陰であるので…。

 

 

 

 

 

 

 


革命の旗

2011年06月21日 | 旅行

 

 

先日、日本語のスピーチの勉強にやってきたマイのママのファトマさんから、お茶の招待を受けた。

ファトマさん一家は、娘のマンションの別の棟に居を構えている。

到着すると1年振りの懐かしい顔。

 

 

                 

 

 

ファトマさんも日本語ガイドで、大の日本贔屓だ。

お土産のリクエストを聞いたら「腹巻と靴下」。しかも「絶対!日本製」がいいとのこと。

日本製品に多大な信頼をおいてくれている。

 

 

                 

 

 

そしてマイの妹のノハも待っていてくれた。

可愛いノハはおしゃまでお転婆な12歳の少女。

3年間の心身の成長には会うたびに驚かされてきた。

 

 

        

                 (初めて会った頃のノハ・左)             (身長も娘を抜いてしまった)

 

以前、みんなでシティスターズまで行った時は、ずっと手をつないで歩いてくれた。

二人でブンブン手を振り回して、なぜか「ウェディングマーチ」を歌って歩いた。

 

 

                

 

 

空に飛行機が飛んでいると、指さして「タイヤーラ!」

道に車が走ってくると「アラベイヤ!」 りんごを見ると「トッファーハ!」

と私のアラビア語の先生だった。

発音が間違っていると、容赦なくビシビシ直してくれた。

ありがとう、ノハ……。

 

 

                

 

 

そして、これまた可愛い新しいメンバー、ペルシャの「シムシム」(ゴマ)

おっとりした性格の男の子。

ノハに乱暴に可愛がられても、文句一つ言わないいい奴。

 

 

    

 

 

ファトマさんには、エジプト革命の話を伺った。

もちろん、体調を崩すほどデモに参加したとのこと。

その時持っていた、うっすらと汚れたエジプト国旗を見せてくれた。

 

 

                           

 

 

「ガイドの仕事が無くて、生活が大変だけど、革命に参加したことは私たちの誇り。」

と言った言葉が印象的だった。

革命後、タハリールを清掃する若者たちの写真を見た。

私の知る限り、今までのエジプトでは見たことのない情景だった。

「自分たちの国だと初めて実感したから、掃除するんだ。」と言った若者がいた。

 

 

                             

 

 

エジプトは経済的にも満たされていない現状が、まだまだ続いている。

にもかかわらず、子どもを3人も抱えたワーキングママであるフォトマさんは、ソファーでゆったりとくつろいで

「何より今が一番 幸せ…。」と素敵な笑顔で穏やかにつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 


ハン・ハリーリの笑顔

2011年06月15日 | 旅行

 

 

ハン・ハリーリで働いている人たちの中には、娘の友人も多い。

 

 

                

                  (エジプトパン・アエーシを売る少年)                         

 

いつも明るく親切な彼らに、滞在中はずいぶん元気をもらっていたようだ。

落ち込んだ時も、活気あるハン・ハリーリで友人と話していると元気になれたという。

 

 

   

                          (ハン・ハリーリの母のようなお二人)

 

 

友人のご家族から食事の招待をうけ

奥様からいただいた心のこもった手刺繍のスカーフは、娘の宝物になった。

 

                              

 

娘や私の友人たちが訪れた際、ハン・ハリーリの友人が付き添ってくれたので、

いろいろな店での買い物が安価に購入出来た。

 

 

             

 

 

お茶のもてなしも何度も受けた。

何より久しぶりに訪れても「ママ~、ママ~!」と満面の笑みで迎えてくれた。

あまり羽振りの良いお客でもないのに…。

そして、この子たちを産んだ覚えもないのに…。

 

 

             

 

 

昼下がり、フセイン広場に到着する。

観光立国エジプトの経済的打撃は大きいと聞いている。

想像していたより賑わってはいたが、いつもなら列をなす観光バスや観光客らしき人々は、やはり少ない。

 

 

               

 (サウジアラビアからやってきた可愛い女の子)               (欧米人の観光客)

 

 

友人の一人、アハマドが迎えに来てくれていた。

明るい表情だ。無理しているのかもしれないが。

サハビーの店へ行くと、懐かしい顔が笑って出迎えてくれた。

サハビー・アラジン・アブド・ホサーム・ハーティム・レダ…。

みんな元気そうだ!

 

 

                

                (一宮七夕祭りのうちわも喜んでくれた)

 

 

とりあえず良かった!大変なんだろうけど良かった!

しかし、口を開いた第一声は

「ニホン、ダイジョウブ?シンパイシテタ!ニホンジン、ツヨイ!ガンバレ!」

日本の大惨事を知ってくれていて、まずはその慰めの言葉だった。

 

 

             

 

 

濃い味の好きなエジプト人には物足らないかもしれない、お土産に持ってきた日本のお菓子を食べて、

サービス満点の顔で「ラジィーズ!」(美味しい)と言ってくれる。

 

 

   

 

 

その顔を見ていたら、胸に熱いものがこみ上げてきた。

よく使われる言葉だが、「私のほうが元気をもらった。」

というフレーズがぴったりのハン・ハリーリの笑顔たちだった。

 

 

                            

                    (外で観光客を待っている…)

 

 

 

 

 

 

 


非暴力革命

2011年06月11日 | 旅行

 

 

日本語ガイドのマイがやってきた。

東北大震災・津波・原発事故とエジプト革命を、日本語でスピーチ出来るよう手伝って欲しいとのこと。

ガイド更新テストが迫っているらしい。

 

 

             

 

 

アラビア語から日本語、もしくは英語から日本語に4人で悩みながら考える。

 

 

難しかったのは、放射性物質と放射線、放射能の区別の理解。

受け売りの知識、懐中電灯の本体、性能、光に例えて何とか乗り越えた。

 

 

             

 

 

 

エジプト革命で悩んだのは、革命を一言で名づけるなら…という質問。

マイは反体制派が非暴力で革命を成しえたことに、大変誇りを持っていた。

スマート革命、無血革命、ネット革命いろいろ浮かんだなか、

「非暴力革命」に決定。

 

 

             

 

 

 

後日ツイ友さんが「非武装革命」と提案して下さった。それも良かった。

マイは「がんばるね!ありがとう!」と張り切って帰っていった。

 

 

             

 

 

午後はハン・ハリーリへ。

タクシーの窓から革命後の街の様子を見る。

 

 

やはり革命の残照がいたるところに見られる。

 

 

   

 

             

 

 

 

 

 

落書き、国旗、革命の言葉が書かれたポスター、犠牲者を悼む横断幕。

 

 

   

 

   

 

 

 

それらを眺めながら思う。

確かにエジプトの混迷は続いている。道のりは遠いのだろう。

しかし無気力、無抵抗の仮面の下に隠されていたムバラク政権への怒りが

団結し一気に火を噴いた今回の革命。

そこに可能性を感じるのは私だけだろうか。

 

 

             

 

 

 

愛してやまない友人達の住むエジプトの志しなかばの革命が

何とか完遂できることを願わずにはいられない。

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 


カルフールの小さな出来事

2011年06月08日 | 旅行

 

 

お腹がへった…。カルフールフードコートへ。

 

 

              

 

 

 

中華料理、イタリア料理、レバノン料理、マックとおなじみの店が並ぶなか、目新しい店が!

 

 

  

 

               

 

 

なんと「雨夜」(あまや?)と書いてある。寿司の店らしい。

 

 

               

                       (感じのいい雨夜の店員さん)

 

 

興味はあったが、勇気がなく、娘2人の強行意見でレバノン料理に決定。

といっても「シャワルマ」のように、パンに削いだ牛肉が挟んであるエジプト料理とかわらない。

 

  

                                                (人気のりんごのミリンダ)

                

 

 

お腹を満たし、ウィンドウショッピング。

客が少ないし、外国人もほとんど見当たらない。

 

              

 

 

 

吹き抜けにエジプト国旗が掲げられていた。

そういえばカルフール・マアーディー店は、

エジプト革命の時、略奪で店内が破壊されたとニュースが流れていた。

 

 

              

 

 

 

入り口近くの光が差し込む喫茶店で、お茶にする。

落ち着いて辺りを見渡すと、以前と変わらずショップのバイエーアもガルソーンも明るく働いている。

 

 

 

  

                                             (本屋や家の形のケーキ)

 

 

お茶が来るまで席を立ち、娘達をカメラに収めようとシャッターを切った瞬間、

少年が前を通っていった。

 

 

              

 

 

思わず「あーーー!!」と声を出してしまった。

その声に気づいた少年は、わざわざ戻って懸命に謝りはじめた。

なんと律儀で、気持ちの良い少年だろう。

私の声がよほど大きかったのか、娘達もまわりの人々も笑っている。

 

 

              

 

 

「マアレシュ、マアレシュ!」(気にしないで、気にしないで)

私のほうが謝りたい気分で少年にそう言ったら、やっとニコッと笑って去っていった。

エジプトは変わっていない、きっと大丈夫だと思わせてくれる小さな嬉しいエピソードだった。

 

 

 

 

 

 

 


食料品2

2011年06月02日 | 旅行

 

 

 

引き続き カルフールの食料品売り場へ。 

大きなカートが少しずつ埋まっていく。何か幸せな気分♪

 

 

 

   

 

キャベツやレタス・きゅうりなどの野菜たちは、日本の昔の野菜のように元気で味が濃い!

珍しい白いナスはマハシなどに使う。

マハシは野菜の中にご飯を入れて、トマトソースで炊く。 私たちの大好物だ。

 

 

 

  

 

 しし唐、パプリカ、芽キャベツ、アーティチョーク、ラディッシュなど、、、カラフル!!

ピーマンも肉厚で香りも強く、シャキシャキ美味しい。

後ろの値札は1キロ当たりの値段。1エジプトポンドは現在14円ぐらい。

 

 

 

  

 

大根、サトイモ、サツマイモ、生姜、白菜、ライムもあったので、エジプトでも鍋ができる。

漬物屋のように、樽にいっぱいの香辛料がずらり。

 

 

 

  

 

アラブ名物コフタやケバブの冷凍食品があるのは、さすが!

魚屋は、なじみの魚が多い。魚を氷に埋め込むようにディスプレイされている。

エジプトは暑いから…。

 

 

 

  

美味しそうなケーキ。840円!

 なんと、あられも売られていた。

 

 

 

                   

 

エジプトのローカルなパン「アエーシ」。とても美味しい。

少し温めるのがお勧め。 インドのナンに似ている。

 

 

 

  

  

 

エジプト料理のお惣菜。忙しい時は便利。

私達も、もも肉のロースト、バシャミッル(ラザニア) 、ソーセージと野菜のソテーなどを買い込む。

 

 

 

  

 

レジでは、係りの人が食品を袋に詰めてくれる。

 

                 

 

カメラをかまえたら、カメラ目線でポース!どこへ行っても陽気で楽しそうなエジプト人♪

 

 

 

 レシートを見たら、これだけ買って3,820円ほど。 

              

 

                 

 

 

 しかし、娘はカルフールで食材を買うという贅沢はめったにしないと言う。

エジプト革命で知ったエジプト国民の平均年収は20万円と言われている。

月収にしたら17,000円…

となると、どれだけの人々がカルフールでの買い物を享受できているのだろうか。

古くからある商店やロバでやってくる行商から食材を買っている人たちが圧倒的に多いのだろう。

はしゃいで買い物をしたことが、恥ずかしくなってきた。

古さと新しさ、貧困と富裕が混在する国、エジプトの一面をみたような気がする。