娘の出エジプトで大変お世話になった考古学者の河江肖剰さんより、
6月16日、東京帝国ホテル「三田倶楽部」というサロンにて、講演を行うとのお知らせをいただいた。
「行きたい!!」
興味がある!スケジュールも幸運なことに空いている。
それに娘と一緒に講演を聞けるチャンスは、もう巡ってこないかもしれない。(いつも、こう考えてしまう)
夫に相談してみた。ぜひ直接お会いして、娘のお礼も申しあげてくるようにとのこと。
「やったーー!!ヤッラ ビーナ♪ (行こう) 」
定時より少し早く到着した私達は、会場への扉を開けた。
河江さんの姿がすぐ目に留まった。初めてお会いした気がしない。
娘は懐かしそうに軽口をたたき、私はご挨拶とお礼を申し上げた。
講演が始まると、すぐに河江ワールドに引き込まれていった。
タイトルは「ピラミッドを造った力:マンパワー・フィロソフィー・エネルギー」
考古学とは、遺跡を傷つけることなく、まず測量・記録を繰り返し、それから最後に発掘だという。
地道で丁寧な作業の積み重ねがあってこそ、過去からのささやきを聞くことが出来るのだ。
ピラミッドとは何だったのか。
河江さんはやはり王墓だったと考える。
とは言っても現在の墓のイメージではなく、仁徳天皇陵・兵馬俑などに近い現人神が埋葬される場所なのではなかったか。
素人考えで単純に王の墓であって欲しいと考えていた私はスッキリ!!
又、エジプト文明がなぜ他に類を見ないほど長く続いたのか。
その理由としてナイルの氾濫などの自然のサイクルと文明が一致していた、
自然を巧みに利用したからではないかと話された。
自然との共存、日本でも八百万の神々を信仰していた古の昔から行われていたことであるが、
いつの頃からか自然に抗うようになっていった。
エジプト文明は、これからの日本の方向性に指針を与えているのかもしれない。
ピラミッドタウン発掘の話は圧巻だった。
ピラミッド建築の為に多くの人々が働いていた。
その人々がどこで暮らし、どんな生活をしていたのか。
ピラミッドタウン発掘の話が進むにつれ、当時の人々の様子が残像のように浮かび上がってきた。
パン工房の跡から、パンの焼き方まで判明した。
長屋には2000人ぐらい眠れるスペースがあり、大きな家の跡も発見された。
ベッドは現在のように頭の方にボードがついている物ではなく、足の方にあるフットボードだということまで分かった。
ゴミ捨て場(考古学者にとっては、宝の山だとのこと)からは、ビール壺など貴重な遺物の発見がされている。
遺跡の建物跡は、不思議なことにある一定の高さから、まるで切り取られたように水平に残っていた。
再利用のためだったのか、ナイルの洪水によるものだったのかは定かではない。
陸前高田へ作家であり親友でもある田中真知さんと支援にいかれた河江さんが、
被災地で目にした現場に合い通じるものを見た点からすると、ナイルの仕業なのかもしれない。
(「ある夜、ピラミッドで」の作者・田中真知さんともお会いできて感激!
真知さんと河江さんはお二人でピラミッド登頂を果たしたという、やんちゃな経験を持つ♪)
またたく間に講演時間が過ぎ去っていった。
分かりやすく話していただけたので、考古学、エジプトが前にも増して身近に感じられた。
大学時代に、河江さんのような教授の講座があれば、
考古学に興味を持ち、エジプトの現場でヒエログリフを描き写していたかもしれない。
残念!!
河江さんは私の息子と8歳しか違わない。
ヘンな例えをすれば、「20世紀少年」の舞台にもなり、私が何度も通った大阪万博も、
近畿にいらっしゃりながらご存じない。 というか、その2年後にお生まれになっている。
人生の時間を大切に使い、明晰な頭脳と実行力で精進してこられたのだろう。
最後に「考古学の今後への広報活動は?」との質問を受け
「地道に積み重ねていくだけ、地味が大切だと思っています。」ときっぱりと言われた。
ピートリーのような実直さを感じて、大変好感が持てた言葉だった。
「しかしツイッター、フェイスブックなどでの発信は続けていきます。」
ぜひ!続けていただきたい。
河江さんとのご縁もツイッターのお陰であるので…。