アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

絵を描き続けて60年

2019年07月18日 | 日記

エジプトとは関係のないプライベートなことで失礼します。

今まで描きためたイラストを、イラストACというサイトに投稿し始めました。

私の生んだイラストの子ども達が、どこかで活躍してくれたら幸いです。

絵はいつも傍らにいて、60年以上私の人生を支えてくれました。

幼い時も、学生時代も、育児に大変な時も、経済的危機の時も、大病を患った時も。

嬉しい時悲しい時も、そしてこれからも。

私(アメンママ)のページはこちら→https://www.ac-illust.com/main/profile.php…

 ダウンロードするのに解凍アプリが必要です。(例・Easy zipなど)
 
 
面倒ならページを見て頂くだけでも、とても嬉しいです。

商業的に作成したもの以外のイラストを投稿しています。

従って男女共同参画ネタが多いので、シーンが限定されています。

今後は、使いやすいイラスト、エジプトイラストももっと描いて投稿していきたいと考えています。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ムルシ元エジプト大統領の死

2019年06月30日 | 日記

 

ムルシ元エジプト大統領が6月17日に亡くなったと聞き、当時を振り返る。

2013年ムルシ政権抗議デモがなぜあれほど拡大していったのか、

エジプト国民の生活はどのような状態にあったのかを日記に記していた。

またエジプト革命に続き、協力隊として政変の真っ只中にいた娘の状況とエジプト撤退なども、記憶が鮮明によみがえる。

このデモに対して他国で様々な声が上がったが、

エジプト青年からの手紙を読んで、国民に目を向けていない為政者への当然の抗議だったと納得がいった。


抗議をする対象を的確につかみ、行動した多くのエジプト国民は素晴らしかったと今も思っている。

●ムルシ政権抗議デモ・友のコメント 2013年7月6日
https://blog.goo.ne.jp/a…/e/45e31e35c3d7d34dadbc133c85dc83e3

 

●エジプト青年の長い手紙 2013年7月12日
https://blog.goo.ne.jp/a…/e/41397b809e17f4fc3f79028491cf3eb3

 

●エジプト政権推移 2013年7月19日
https://blog.goo.ne.jp/a…/e/5ce270c69318b8d2a1b742cfceaa63bd

 

●撤退も勇気 2013年8月2日
https://blog.goo.ne.jp/a…/e/4a4edc7a9dc741a5ce697553b05e497a

 
画像に含まれている可能性があるもの:9人、群衆、屋外

シリア

2019年01月26日 | 日記

2019年1月 シリア難民キャンプ

シリア北西部イドリブ県で大雨による洪水が発生し、

テントが浸水したり流されるなどの被害が出ている。

窓やドアが無い建物や粗末なテントで生活する数千人の子どもたちは

劣悪で危険な状況に陥っている。

また、昨年だけで50万人が避難を強いられ、今冬凍死した子どもも。

シェルターや毛布、暖房用の燃料は不足しており、深刻な事態に直面していると知った。

Save the Children より

ガールスカウト保護者、子ども食堂関係者に呼びかけ

シリア支援に尽力されている山崎やよいさんにお聞きして、

下記の富山ムスリムセンターへ送ることを決定した。

子どもを持つ親として多くの保護者の賛同を得、

集まった衣料を整え、心を込めて送付させて頂いた。

  

名古屋に住む友人達にも呼びかけて、持ち寄った衣料を送付した。

しかし残念ながら 衣料を送る運送費が足りていない。

現金での支援の方が役立つのか、

不足している物資の方が良いのかが ジレンマだ。

以下の写真は富山ムスリムセンターの活動の様子。

  

 

  

 

  

 

  

 

  

劣悪の環境の中、受け取る子ども達の微笑んだ顔が愛おしい。

なんとか頑張ってこの冬を乗り越えてと願わずにはいられない。

 

  

以前、ガールスカウトから同様の支援を送った年もシリアは極寒の地となっていた。

その時のブログ→#mce_temp_url#

Syrian Handsでは、この冬も募金を募って灯油を配布している。

前述した山崎やよいさんは、「女性自身」やNHK「あさイチ」等で

シリアの現状を訴えていられる。

シリア女性の自立支援団体「イブラ・ワ・ハイト」の発起人。

イブラのコンセプトをご紹介しておこう。

「泥沼のシリア紛争の中、生活基盤のほぼ全てを失った女性たちに「針と糸」で収入の道をひらくプロジェクトです。

2011年3月に起こったシリアでの民主化要求デモは、泥沼の紛争へと発展し、甚大な数の被災者を生み出しています。

国際社会の人道支援は追いつかず、特に難民キャンプ外に暮らす避難民や、シリア国内への支援は、極めて限られたものでしかありません。

なかでも、働き手の男性を失った女性・子ども世帯は困窮を極めています。

そのような中、手芸品を制作・販売して、わずかながらでも収入を得ようとするシリア人女性が、シリア国内外に現れ始めました。

過酷な状況の中でも、自ら未来を切り開こうとしている女性たちを支援するため、

私たちはまずシリア刺繍の商品化を進め、刺繍資材を提供し、製品を適正価格で買い取り、販売しています。

この刺繍はシリア紛争被災者の女性が製作したハンドメイド作品です。」

 イブラ・ワ・ハイト(アラビア語で針と糸)より

 

  

2018年9月には、名古屋三越で展示即売会も行われた。

  

美しく愛らしい作品が並んだ。

このイベントで、シリアの現実を知った人も多かったと想像する。 

  

そして、医師 鎌田實氏が代表理事を務めるJIM-NETは、

イラクの小児がん医療支援、シリア難民・イラク国内避難民支援、

福島の子どもたちを放射能から守る活動に貢献している。

 

  

 

  

2018年2月には、名古屋柳橋で「がんと闘うイラクとシリアの子どもたちARTとチョコ展」が行われた。

描かれている子ども達はマスクをして点滴に繋がれている。

なぜこのような病を患ったのか、なぜ治療を受けることが困難なのか

なぜ寒さに死にゆく子どもがいるのか、

命の危機にさらされる子ども達がなぜ存在するのか、

その元凶は 戦争 内戦 に他ならない。

シリア、イラク、パレスチナ、イエメンなど多くの紛争状態にある国に

一刻も早く暖かい春が訪れることを祈る。

そして私達の出来る支援は、まず知ることから始まると痛感する。

 


「エジプト革命と発掘隊の危機管理」河江肖剰氏

2018年11月12日 | 日記

 エジプト革命当初、ネットは遮断され、TVもまだ報道規制が引かれていた時期だったので、世界中で一番エジプトの現状が分かっていないのは、タハリールにいる人々以外のエジプト人と在住外国人、観光客だったのではないだろうか。

娘は、河江氏に保護して頂いてからのギザの状態は、河江氏のブログの通り深刻だったと振り返っている。

河江氏のブログはこちら→#mce_temp_url#

欧米各国はチャーター便をいち早く飛ばせて自国民の搬送が始まっていたようだ。

その克明な記録が書かれた河江さんのブログがあったが、今は見当たらない。

  

カイロ空港で待機していた人の記録では、

「2Fロビーを良く観察すると欧米人は少ない、所在なく佇んでいるのは、ほとんどがアジア、アフリカ各国の旅客であることが分かった。

M氏と情報交換をすると、欧米各国は政府がチャーター便を手配し、早朝から自国民を出国させているとの事、このような危機事態における欧米各国政府の対応の速さに感心した。」とあり(パーソナルプロジェクトの勧め《6》より)

ジャーナリストの高野孟氏によると

「外務省設置法の第4条に列記された29の所轄事務の9番目に『海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること』が掲げられているけれども、実際には各国に置かれた大使館はじめ在外公館は、当該国や周辺地域について的確な情報を収集し分析して、邦人が遭遇しかねないリスクを予測して最大限の予防策を講じるといったプロフェッショナルな仕事など、全くと言っていいほどできていない。」と述べている。

 又もっと辛辣に

「私自身、数多くの海外取材を通じて体験しているので、自信を以て断言するけれども、多くの日本の在外公館は、形だけの儀典や日本から来る議員や高官の接待が主任務で、普段は進出企業幹部やマスコミ特派員など内輪の在留日本人を集めてパーティを開くのが副任務。そのために高価なワインを揃えたワインセラーや豪華なカラオケ設備を整えるのが、大使や領事の力の見せ所になるという腐り切った状態にある。」とも。(自衛隊  歴史が証明する軍事力による自国民保護の危うさより)

海外で危機に陥った自国民を救い出すのは国家の責務だ。

税金の中には、本来災害や有事の救援に使うべき費用も入っているはず。

危機管理に関しては、過去に日本人が外国で遭遇した数々の事件の教訓も、全く生かされていないと実感した。

今後ますます増えると思われる海外における邦人(本当は邦人のみならず)の生命及び身体の保護その他の安全に関することについて、

日本政府は欧米各国危機管理に習い、一刻も早いシステムを構築しなければならないと思うが、今の政府ではそれも遠い将来のことだろう。

個人でも、グループでも、組織でも、河江氏のように危機管理を日頃から考えておく事が自らの命を守る事で最も重要だと感じる。



ずっと言いたかった事。そして今でも苦々しく思い出し、また心からの感謝で思い出す事。

2018年11月10日 | 日記

安田さんのニュースを受けて、高遠さん、殺害されてしまった後藤さん、湯川さん、香田さんを思い出す。

「自己責任」の言葉は小泉政権の頃から飛び交い始めたと記憶している。

そして、あの地獄のような日々を救ってくれたのは、日本政府ではなくTwitterのお友達だったことを思い出している。

 

2011年 エジプト革命時、日本政府がやっと手配した実費自己負担のチャーター機はたったの1機。

しかも180人乗り。それでローマまで3往復との事。

エジプト在住の邦人は1000人以上。ルクソールには500人程の観光客が残っていると報道されていた。

どう考えても勘定があわない。

しかもネットが遮断されていて情報は行き渡らず。

外務省は、日本で自力で航空チケットを取れという。

当然エジプトへの便は飛ばず、取れたとしてもネット遮断でどうやってeチケットを送れというのかと抗議した。

しかし、その時一番知りたかったのは、連絡の途絶えた娘の安否だった。

「活発なお嬢様は、ご両親に頻繁に連絡される方だったのでしょうか?公衆電話なら連絡出来るはず」と言われた時は怒髪天をついた!

装甲車が走り回り銃声が聞こえる革命の町で、なぜそんな事が出来る!

私達親子の信頼関係も知らず、よくもそんなことが言えたものだ。

娘の命がかかっている。当然声を荒らげた。

海外で暮らす活発な邦人など、本気で救出する気などなかった。

少なくとも私と話したこの公僕は!

そして日本国とは、こんなものなのかと愕然とした。

 

 

後年「無血革命」「スマート革命」と称されたが、エジプト人の犠牲者は多数。事態はどう推移するかは分からなかった。

娘の身の安全を確保してくださったのは、考古学者河江氏だった。氏は米国古代エジプト調査協会のメンバー。

その考古学者宿舎で安全に 食べる物、眠る場所にも困らず居候で過ごさせて頂いた。

それを無償で許可してくれた米国にも、娘のために宿舎のスペースを空けて頂いた各国考古学者の方々にも、

心から深く感謝申し上げている。

 

何より出エジプトにご尽力頂いた河江氏、金谷氏、バヒトラベル社、貴重なアドバイスを頂いた冨田氏、Twitterの友人のお陰で今の娘がある。

各氏は、もう過去の事と言われるだろう。

しかし私と娘にとっては忘れてはならない事だ。

日本政府が救出しなかった香田さん、後藤さん、湯川さんのご遺族の壮絶な苦しみを思うと。

「自己責任」という言葉で人命を軽んじる事が無くならない限り。

 

 


フセインさんとAL AHLY

2018年02月10日 | 日記

 

北海道で教師をされている フセインさんという素敵なエジプト人の友人がいる。

地元新聞やニュースにもたびたび登場し、エジプトと日本の親善にご尽力されている。

特に教育現場やボーイスカウト集会で、エジプトと日本の子ども達との交流に力を注いでいられる。

                                             

2012年12月 

エジプト名門サッカーチーム AL AHLY(アル・アハリ)は、アフリカ王者として輝き

FIFAワールドカップジャパンに出場するため来日していた頃、そのフセインさんから連絡が入った。

                 

フセインさんはチームの通訳として各地を随行しているとのことだった。

その内容は「アル・アハリの試合に、名古屋のサッカー少年を招待したい。」との驚きの申し出だった!

一緒に来日中のサポーターが招待してくれるとのこと。

なんと、ラッキーな!!!

 

                         

   

そして、アル・アハリは準決勝に駒を進めていた。

少年期にワールドカップを見て、選手達の華麗なサッカーの技術を目の当たりにできたら、どんなに素晴らしい影響を受けるだろう。
 
エジプト選手の強さにも驚くだろうと想像すると、心が躍った。

脳裏に浮かんだのは、従兄弟が教師を務める名古屋(元名古屋学院)中学校のサッカーチーム。

                                                           

                       

高価なチケットなので恐縮しながらも、サポーターの方々が滞在する名古屋のホテルまで、受け取りに向かった。

用意して頂いたチケットは42人分!!大変なご負担をお掛けした。

アル・アハリチームからも費用が出ていると話して頂いた。

レアなユニホームをプレゼントして下さったサポーター代表の方は、にこにこ微笑んで

「イメージカラー赤を着用して、力いっぱいエールを送って下さい。」とのこと。

「もちろんです!」とお答えした。

 

                      

そして偶然にも 名古屋中学の体育ジャージは 赤!

サッカー少年達は、赤の集団となり服も頬も赤に染め、一丸となって応援したことだろう。

私はこっぴどい風邪を引いていて、喉から手の出ている従兄弟に涙を呑んでチケットを譲り、自宅で力いっぱい応援した。

 

        

                           

 

 

                    

 

残念ながら、アハリの快進撃は準決勝で潰えたが、

この出来事は、エジプトサッカーチームのいまさらながらの強さと、

日本の子ども達への惜しみない援助、そしていかに日本を大切な友人と思って頂いているかを再確認した。

 

                            

ますますファンになった私は、後日エジプトへ行った時、

カルフールにあるアル・アハリのファンショップへ出かけて、グッズをいっぱい購入した。

今も私の宝物、いろいろなシーンで着用している。

 

                                                                                         

 2011年東日本大震災の時には、犠牲者、被災者に心を寄せ、試合前に黙祷を行ってくれた。

「私たちの心は 日本と共にあります」の言葉と共に。

                         

 

そしてアル・アハリにも、悲しい歴史がある。

2012年2月1日 エジプト北東部ポートサイド・サッカー場で

74人もの死者、1000人以上の負傷者をだすという大惨事が起こった。

アル・アハリが 地元チーム アル・マスリと闘っている時にそれは起こった。

世にいうポートサイド事件だった。

エジプト革命1年後に起きた事件で、軍の陰謀説などの噂が流れ、

2日夜から3日にかけて大規模な反軍制デモが行われた。しかし真相は藪の中である。

詳細は→http://blog.goo.ne.jp/akemenesu1953/e/98cf0223ea99c0adba133c1e17d54a8b


北海道の生徒達と犠牲者に黙とうをささげたフセインさん。

この悲惨な事件は、ファンにもエジプト国民にも私達にも、暗い影を落とした。

今回ワールドカップでのアル・アハリの活躍は、これら犠牲者に捧げられたものだったのかもしれない。

そしてその勇姿は、日本の少年達の心に強く刻まれたに違いない。

お声を掛けて頂いたフセインさんに深く感謝。

そして、がんばれ!!アル・アハリ!これからもファンであり続けるから。


真夏のエジプト屋台

2017年12月05日 | 日記

 

2016年7月31日。

一宮市国際交流協会と市職員長岡さん、FBフレンドさんからお誘いをいただき、

エジプト関連のブースを出店することになった

世界各国のさまざまな文化や、グローバルに活躍する団体を紹介するこのイベント、

題して「七夕グローバル商店街」

 

                                  

ガールスカウトでブースの経験はあったが、個人としては初体験。

一人では無理!

みんなに手を貸してもらって、一宮市民のもっと多くの方々に「エジプト世界駅」を読んでもらい、エジプトの素晴らしさをアピールしようと、張り切って取り組むことにした。

                                                                       

①フリーペーパー「エジプト世界駅」の配布

②エジプトの遺跡、文化、現在のエジプトを写真展示などで紹介

③エジプト民芸品などの物販

④元エジプト・スーダン派遣協力隊員によるアラビア語のワークショップ

骨組みはできた!


                                                                   

あとは、肉付けだ。

こんな時、頼りになるのはガールスカウト関係者。

ヤングリーダー、団委員長、一緒に旅したエジプト大好きの保護者委員、

そして娘。

頼もしい仲間が手伝ってくれることになった。ありがとう!


                      

「エジプト世界駅」編集長夫妻、イラストレーター・スタッフの方のご協力を得て、

フリーペーパーもエジプト工芸品も、沢山集まってきた。

うちにある ありったけのエジプトグッズもかき集め、少しずつイメージ通りの屋台の形が出来上がっていった。

 

 

           

いよいよ当日。

有希リーダーと娘は、早朝からセッティングにテキパキ動いてくれた。

にぎやかな おもちゃ箱のように楽しいエジプト屋台が完成した。                                                        

 

                      

団委員長から、台湾まぜそば「はなび」の差し入れが嬉しい!

今日の応援スタッフが集合したところで、グローバル商店街が賑わってきた。

スタッフのファッションは、

ピラミッドエリアで購入したアラブ風スカーフ、

ハン・ハリーリで買ったワンピース、

エジプト世界駅のスタッフポロシャツ、

私は、エジプト友人・フセインさんから頂いたバレーボールをするクレオパトラTシャツと、エジプトにさりげなくこだわってみた(笑)

 

  

うだるように暑い中、接客に頑張るスタッフに本当に感謝。

                            

娘担当の「アラビア文字でしおりをつくりましょう」のワークショップにも、お客さんが♪

 

                 

ガールスカウトのちびっこも遊びに来てくれた。

ちびカッコいい二人は、このあとエグザイルのダンスに参加。


                               

 有希リーダーと娘の母校、木曽川中学のガンちゃん先生が訪れて下さって、感激!

 

                                                     

可愛い女の子が「omotya otositano. sagasiteeee」とやってきた(笑)

探し物はみつかり、めでたしめでたしと思っていたら、娘のエジプト友人の娘さんだったことが、あとから判明!

 

               

いろいろな国のお客さんも、たくさん訪れてくれた。

浴衣がよく似合う。

民族衣裳が素敵!

 

               

 JICA研修で来名しているお友だちとも会うことができた。

お土産までいただいた。

              

まさに「グローバル商店会」の名にふさわしい、多くの外国のお客さん。

そして、アフリカ支援にご尽力の舞さんと再会!

素敵なパートナーと息の合ったブースを出店していらっしゃった。


                                

エジプトよりも暑い一日。

エジプトを熱く元気に伝えた。

エジプトや多くの国の人達とふれあい、心にまたひとつ大切なものが残った。


今日、めぐりあった人達の国は平和だろうか?

子ども達は笑っているだろうか?

今、日本で何かを学んでいる彼らは 祖国に戻った時、

平和で子ども達が笑う国、きっとそんな国作りに貢献するのではないかと想像する。

世界中が、地球人として仲良く手を繋いでいくことができる未来。

私は そんな未来がきっと実現すると信じていきたい。

 


 


私の愛した料理店「ツタンカーメン」メモリーズ

2017年11月26日 | 日記

 

名古屋・栄近く矢場町にあった エジプト料理店「ツタンカーメン」

今は無い。

残念なことに、2016年10月末で閉店してしまった。


                 

この店の開店を知った時、エジプトに飢えていた私は、やっと名古屋にもこの日が来たかと嬉しかった。

名古屋でエジプト! 懐かしい味とエジプトに会いに行ける。

 

                                   

古代エジプトユニホームの可愛いウェイトレスさんは、エジプトのお嬢さんだったり、日本のムスリマのお嬢さんだったり。

エジプトの友人も働いていた時期があった。


                 

そして、スパイシーな香りと味に、たまらなく懐かしさを感じる料理の数々。

これらの料理を作るシェフさんは、アレキサンドリア出身と聞いた。

エジプト料理の持ち味を保ちつつ、日本人向けに考えられた繊細な「ツタンカーメン」の料理。


                                

コフタ(牛か羊のひき肉の料理)、ケバブ、モロヘイヤスープ、コシャリ、

アエーシ(エジプトのパン)、マカロニベシャメル(エジプト風マカロニグラタン)、

バミヤ(牛肉、オクラの入ったトマトベースのシチュー)、葡萄の葉やピーマンの中に炊き込みご飯が入った母の味マハシもあった。


                  

デザートのアルマズィーヤ(エジプト風プリン)、オムアーリ(生クリームとミックスナッツのミルフィーユ)も美味しかった。

 

                        

「ツタンカーメン」は、いろいろな方々と食事を楽しんだ場所でもあった。

マネージャーの大槻さんは、ハードボイルドな雰囲気のイケメン。

その印象とは真逆の、温かく細やかな心配りで もてなしていただいた。

 

横にいる朋ちゃんは、いろいろな国を訪れ、世界の困難な状況にある人々に思いを寄せることが出来る優しく強い女性。

年下ながら、教わることも多い娘のような大切な友。

そして、すでに帰国していた娘とも何度も訪れ「懐かしいね」とエジプトを思い出していた。

 

 

                          

名古屋場所の大砂嵐が来店することを知って、会いに行ったこともあった。

大砂嵐は、いちファンの私のことや、中日新聞の取材のことも覚えていてくれた。

新聞社、外国のテレビ局も取材に来ていて「大砂嵐 立派になって、、、」と親のような気持ちで眺めていた。


                  

フェイスブックで仲良しのハニーさんとEmadさんにも、やっとお会いできた。

エジプトの地で、昔からの友人とレストランで出会ったような 陽気で楽しい心弾むひとときだった。


 

                     

アラブ音楽コンサートも開かれた。

エジプトの伝説の歌姫 ウム・クルスームの曲が流れると、もうそこはエジプト。

街角、タクシー、テレビから流れる慣れ親しんだアラブ音楽。

演奏と料理に身をゆだねて、エジプトを感じていた。

エジプトへ行きたくなって、涙がちょちょぎれる!!!

素晴らしい演奏をして下さったお三人のお一人、カーヌーン奏者の増田さんとお話できた。

「エジプト世界駅」をご存じだったことに感激!承諾を得て、記念に写真に収めさせていただいた。

演奏に感動した娘が、増田さんのCDを購入。なごや地球ひろばのBGMに流すそうだ。

             

今を時めく気鋭のエジプト考古学者 河江さんの出版お祝い会にも参加させていただいた。

この会の発起人の方々も、全員熱烈なエジプトファンだった。

河江さんの著書「ピラミッドタウンを発掘する」は、ピラミッドを造った人々が、どのように生活し仕事を成しえたのかを、

河江さんの言葉でいう「人間臭く」解明していく興味深い一冊。

 

講座で聞いた忘れられない言葉がある。

ピラミッドを造ったのは「自分のひいじいちゃんの、そのまたひいじいちゃん、ひいひいを60回ぐらいいったおじいちゃんが作ったと考えよう。」と。

宇宙人でも超古代人でもない私たちと同じ人間のひい⁶⁰じいちゃんが作ったのかと思うと、親近感が湧いてきた。

 

                 

大学時代から46年の付き合い、大親友 麻早と彼女の愛娘ちゃんとも訪れた。

二人にとって初体験のエジプト料理だったが、きれいに完食。

気に入ってくれて良かった。女王冠もお借りして、はしゃぎまくって楽しかった~♪

FMのDJという重要な仕事についているマイカちゃんは、二児のママ。

てんやわんやの子育て真っ最中。

しかしゆったりマイペースで子ども達に愛をいっぱい与えながら、楽しく育児に取り組んでいた。

 

                                 

ツタンカーメンオーナー・Faragさんに偶然お会いできたこともあった。

カイロ大アハマド先生と大変親しいとお聞きして、先生のお話に花が咲いた。

きっとアハマド先生はカイロでクシャミをされていただろう。


                               

多くの友と料理とおしゃべりを楽しんでいた「ツタンカーメン」

突然、閉店の知らせを聞いて大変なショックだった。

閉店間近に駆けつけ、最後の食事を共にしたのは、

「エジプト世界駅」の大切な仲間、編集長のアブドさんと、協力者Mayaさんだった。

ベリーダンスの先生としてもダンサーとしてもご活躍のMayaさんは、心からエジプトを愛する美しい人だった。

本場エジプト人アブドさんは、「ツタンカーメン」の料理を、日本語で「やばい!うまい!」を連発。

娘を交えた4人でのエジバナは、尽きることがなくフィナーレに相応しい夜となった。

名古屋にエジプト料理店が根付かなかったことが、心から悔しい。

あんなに素敵な店だったのに。。。。

しかし、必ずまたいつの日か「ツタンカーメン」に会いたい。出来ることなら名古屋で!

私の愛した店「ツタンカーメン」shokran giddan. 輝く愛しい思い出をありがとう。



忘れがたき故郷 エジプト・スーダン

2017年10月31日 | 日記


娘は2012年からエジプト派遣、2013年から2015年までスーダンの協力隊活動を終え、

一時帰国を除くと5年間の海外生活に、終止符を打ち帰国した。

スーダンでの約一年半の日々は、エジプト同様 忘れがたい友情の地となったようだ。

活動の思い出を、ここに記録しておきたい。


             

スーダンでは、女性に向けた職業訓練コースを充実させるための活動が主なものだったと聞いた。

職業訓練センターの先生方と共に授業の進め方を考え、提案もした。



           

 

料理上手なスーダン人は、目分量で代々の味を伝えてきたので、いわゆるレシピというものが存在していない。

分量を量って料理手順を記す、レシピ作りも提案。

家庭料理はレシピなど不要だが、料理や菓子などを商品化する場合は、均一な味や見たた目が求められると考えたからだ。


                

 料理のレシピを作成する。手順を確認する先生達。

 また、ほとんどの国がそうであるように、教室の掃除や器材の片付けを学生自身が行う習慣が無いため、その試みもしたようだ。

教室の片付け、掃除から始まり、道具を決められたところへ戻すだけで、限られたスペースが有効に使われるようになった。

 

              

主に担当した服飾科、食品加工科では、多くの道具や材料が教材として使われる。

始めの頃はそれらがよく散乱していた。

片づけることが、合理的で効率的だということを根気よく伝えていく。

なかなか理解されなかった提案も徐々に浸透し、知らぬ間に生徒達の中でリーダーが現れていた。

前向きで柔軟な彼女に、よく助けられ励まされた。

先生方、少女達との間に、忘れることの出来ない友情が芽生えていったようだ。


                      

 

職業訓練センターのボスと先生は、父のように温かい愛で協力隊員をバックアップしてくださった。

別れがたいスーダンのお父さん達。

 

           

 

スーダンの風景も素晴らしかった

新婚旅行で人気の町カッサラの風景。そしてタカ山。

                                 

 

娘には、第二、第三の忘れがたき故郷が増えつつある。

世界を知る。そこで生活を共にし、友として互いを認めあい尊重し愛していく。

世界が平和で争いが無くなり、共に生きる時代が来るとしたら、

こんなシンプルなことが最も大切なことなのかもしれないと、娘の活動を通して思った。

 

                        

最後に 

在エジプト日本大使館広報誌「あるやばん」に掲載された活動レポートを。

日本語訳はこちらから→http://amenmama.tumblr.com/post/93976232240

写真は エジプト、スーダン、日本のかしまし三人娘。

国籍の違う三人娘の奇跡の写真が撮れたのは、エジプトJICAに勤務する親友がスーダン出張となり、娘を訪ねてくれたから。

私はこの写真がとても気に入っている。

留学、協力隊を経て、娘が得た様々なもの、

そして エジプト、スーダン、日本の友情を象徴しているような一枚だからだ。

 

                                     

  


13.愛するエジプトへ 娘のJICAレポート

2017年09月06日 | 日記

12/17/2013 05:01:19 PM

エジプトを離れて4ヶ月が経ちました。

今はニュースでしかエジプトの様子を知ることは出来ないけれど、

きっと現地では、今日も賑やかな時間が流れているのだろうと思い描いています。

            

                         


6月30日から始まった大規模デモ、前大統領辞任などの政情不安により、エジプトボランティアは自宅待機が続き、8月中旬国外退避となりました。

日本での待機中、私は任国振替のお話をいただき、10月末からスーダンの首都ハルツームで活動中です。

他のボランティアは、11月よりまたエジプトで活動を再開しました。

                           


私がエジプトと出会って10年が過ぎました。

エジプトは、私に数え切れない程の輝く思い出と、貴重な出会いを与えてくれました。

                        


エジプトのおかげで日本を飛び出す勇気が湧き、アラビア語が上達し、ひとりで出来ることも増えました。

遺跡に囲まれ、何千年も昔の古代に思いを馳せる時間を過ごせました。

温かいエジプトの人々とエジプトの文化を通して、イスラームとコプトという宗教が正しく理解できるようになりました。

           

              


そして何より、エジプトの大好きな友人たちとの出会いは私の宝物です。

日本では、到底知り合えなかったエネルギーに満ちた 尊敬する方々との出会い。

協力隊という道を指し示してくれたのもエジプトでした。

協力隊員の逞しい考え方、生き方、隊員同士の一生続く友情を見せてくださった方との出会いのおかげで、

毎日が更に刺激的で充実したものに変わっていきました。

           

 

エジプトで共に働き、時につまずき、でも笑いながら寝食を共にした日々。

そんな日々を再び過ごすことは叶わないかもしれないけれど、この先もきっとずっと続くエジプト隊の皆との絆。

                      


愛するエジプト、どうかもうこれ以上傷つかずにすみますように。

エジプトらしさを失わず、苦しくても今は踏ん張り、強く、明るく、前に進んでいって欲しい。

エジプトが好きな、エジプトの味方は沢山いるよ。きっとまた、世界中からのお客さんで溢れ、

賑わう人気者のエジプトへすぐ戻れるから。私は心からエールを送ります。

                              


離れていても、どんな瞬間でもエジプトが頭から離れることはありません。

私も新しい場所スーダンで、新たな目標に向かって進みます。

エジプトでの経験、後悔を今後この地での活動に繋げていきます。

 

エジプトが好き。

スーダンもきっと好きになる。

                     



 


12.ワリードとらくだのペプシ 娘のJICAレポート

2017年08月02日 | 日記

06/18/2013

私には、ギザの三大ピラミッドエリアで働く一人の親友と、一頭の親友がいます。

らくだ御者のワリードとその相棒らくだのペプシ。もう5年以上の付き合いです。

                                                            


                       


らくだ御者とは、観光客をらくだに乗せて、ピラミッドや、その周辺の砂漠エリアを巡り、絶景ポイントで写真を撮ることを生業にしている人たちのことです。

                                                               


ワリードは相棒のペプシをとても可愛がっています。

ペプシを決して仕事道具だとは思っていない優しいワリード。

ワリードはペプシに鞭を使わず、合図を送る時は、力を入れずに「ぺしぺし」と軽く当てるだけ。

「ぎーぎー」と奥歯を鳴らすような音(らくだ語)でペプシとコミュニケーションを取り、足場が悪いところを歩くときは、

「大丈夫、怖がらなくていいよ。」と優しく声を掛けます。

お客さんを降ろした後は、「頑張ったね。」と撫でてやり、ペプシが満足するまで一日何度も餌をあげます。


                        


                                                              


ギザの辺りには、らくだ専用の床屋やアクセサリーを作っている人がいて、星やピラミッドの様な三角形の模様に毛を刈って、タトゥーのように見せたり、

ボンボンの可愛いアクセサリーを体や顔に付けてあげる溺愛ぶりです。

                                                                   


これまで数え切れない程何度も、私や、私の大切なゲストをもてなして楽しませてくれたワリード。

予想以上のらくだの背丈と、前足からのっそり立ち上がる不安定な感じに、最初は悲鳴を上げながら乗っていた私も、

ワリードのおかげで随分と上手く優雅に乗れるようになりました。


              

 

ピラミッドエリアや私の家の近所で顔役の彼のおかげで、現地のエジプト人でさえ、かわすのに一苦労の気合の入った

馬車やらくだの客引きに捕まることもありません。

みんな顔を見ると「おかえりー!げんき??」と笑顔で迎えてくれるだけです。

                                                                   

                                                                    

 

仕事中だけピラミッドとの調和を取るためエジプトの伝統衣装ガラベイヤを着て、普段はカジュアルな格好をしていることも、

「お茶しに行こう!」と言って私の家の前まで車ではなくらくだで迎えに来てくれるところも、大好きです。

                                                                 

 

                    


ワリードには可愛がっている二人の少年の弟子がいます。

彼らは授業が終わった後や、学校が休みの日に、

ワリードのもとで熱心に修行しています。

                                                              


近い将来、彼らもワリードのようにらくだを愛し、

沢山の観光客を笑顔に出来る立派ならくだ御者になりますように。

ペプシと少年たちの成長が楽しみです。




11.エジプトで一番好きな場所 娘のJICAレポート

2017年06月21日 | 日記


2013年4月15日 記す

エジプトには、少しの滞在では巡ることが出来ないほど多くの観光スポットがあります。

圧倒的迫力で存在しつづけるギザのピラミッド、遥か何千年もの歴史を持つ壮大な遺跡の数々、果てしなく広がる砂漠、真っ青に透き通る紅海、

エジプトは世界中の観光客を魅了し続けています。


                      


そんなエジプトの中でも、何年経っても一番好きな場所、それはハーンハリーリです。

ふと気がつくと、足が勝手に向かってしまうほど心魅かれるハーンハリーリ。

エジプトを離れる前日の夜は名残惜しくて、やっぱりここを訪れます。

                 

ハーンハリーリは、世紀後半から続く、中東最大のスーク(市場)です。

歴史あるモスクが立ち並ぶイスラーム地区の一角に、ひしめき合うように、多くの店が軒を連ねます。

古代エジプトの神々の置物、金や銀のアクセサリー、ストール、パピルス、ガラスの香水瓶、香辛料、ベリーダンスのコスチュームなど、

エジプト土産がぎっしり詰まった場所です。

                      

タクシーに乗り、ハーンハリーリが近づいてくると、まるで遊園地に行く時のように気分が高揚してきます。

喧噪のハーンハリーリでも、朝はまだ静寂が立ち込めています。

出勤した店員さんたちが、黙々と店先に商品を飾り、床や通りを丁寧に掃除し、お客さんたちを迎える準備をします。

昼になると、各国からのゲストが続々と姿を現し、店員さんたちも徐々にテンションを上げていき、お客さんを呼び込む声にもエネルギーが増していきます。

こうしてハーンハリーリは本来の活気のある顔に変わっていくのです。


                         

        

そして夕暮れになると、店先の銀細工のランプに明かりが灯り、スークは幻想的な光に包まれます。

                 

夜のハーンハリーリは、昼とは違った魅力を見せてくれます。

スークの店先に溢れる光の洪水、アラブのお香のエキゾチックな香り、喫茶店から漂う水たばこの甘い匂い、

買い物や散歩に繰り出す人で溢れ、夜遅くまで賑やかなハーンハリーリ、私にとってのエジプトの象徴が、一気に感じられる時間です。

                    


       

いつも行く度に、店から出てきて「お帰り!」と満面の笑みで声を掛けてくれる友人たちと挨拶を交わし、

大好きなエジプト土産に囲まれ、お店でお茶をご馳走になりながら、みんなと話をする時間が最高に幸せです。

お客さんの呼び込みのために、簡単な各国の言葉を話せる人も沢山いますが、中には私の友人たちの様に、それぞれ自分の好きな国の言葉を熱心に勉強し、

仕事に活かせるように努力している人もいます。

そんな彼らのガッツを見ていると、私も見習わなければと気合が入ります。

                  

                            

幼い頃の日本の夏祭りや、年末年始の買出しのような、わくわくする賑やかさがここにはあるのだと思います。

今日もそんなハーンハリーリの店先で、陽気でおしゃべり好きな店員さんたちが、エジプトの楽しいお土産とともに、お客さんに喜んでもらおうと待っています。

       

 

 

 


10.エジプトものづくり 娘のJICAレポート

2017年06月21日 | 日記


2013年2月22日 記す

エジプトには、ものづくりに携わる隊員が多数います。

私が所属する施設の活動目的は、エジプトにある伝統工芸品・技術の保持と、

女性たちが手工芸品を製作する技術を身に付け、継続的に現金収入を得られるようにすることです。

私たちが、製作者である職人や女性たちの代わりにカイロで開催されるバザーに参加し、販売しています。

                     

現在カイロの都心部では、外に働きに出る女性も増えてきましたが、まだカイロ郊外や、地方の町や村には

「女性は家にいるべき」という概念が根強く残っています。

しかし、一家を守り、子どもたちの健康や教育を一番に考えている母親たちが、少しでも現金収入を得られれば、それが子どもたちのために使われ、

子どもたちの育成に重要な環境が改善されます。

そして、技術を身に付け、活き活きと仕事をする母親の姿が、きっと家族みんなを明るくする影響力を持つと思います。

                                

 

広大な砂漠にあるバハレイヤオアシスや、紅海にある小さな町ハルガダでは、実際に隊員たちが女性たちに技術指導にあたり、

商品開発、品質向上、販路開拓を行っています。

                                                                                       

 

                                                                              

また、カイロにある別の施設では、聴覚障害のある人たちがものを作る技術を学び、働く機会を得られるように、

彼らに技術指導し、一緒に商品を作っている隊員がいます。

アレキサンドリアとカイロには、障がいのある子どもたちに、ものを作る楽しさを知ってもらえるよう、陶芸を教えている隊員もいます。

その隊員たちは、子どもの活動や、施設の運営資金の足しにするため、子どもたちや施設の人たちと作った商品を販売しています。

                     

 

                                                                


私たちが販売するひとつひとつの商品には異なる背景があり、売上がそれぞれ製作者の人たちの幸せに繋がります。

私たちは、自分たちの活動と並行して、「エジプトものづくりチーム」として分科会活動をしています。

                                                                   

                           

Egyptian Handicraftsというブランドとして、カイロで開催されるバサーに参加し、販売、活動のPRに力を注いでいます。

私たち「ものづくり隊員」と一言でいっても、村落開発普及員、デザイン、養護、陶磁器、作業療法士、服飾、

青少年活動、美術、手工芸、プログラムオフィサーと、職種も専門も様々、活動内容もそれぞれ違います。

                                                                      

ものづくり隊員が一同に集まると、多くのアイデアや意見が得られるので、刺激的、建設的なミーティングになります。

ミーティングは定期的に行い、情報交換、勉強会を通して、自分たちの活動に活かせるようにしています。


                       

 

                     


個性豊かなメンバー、このチームだからこそ出来る活動は無限大です。

今後益々お互いを高め合いながら、それぞれが持つ特技を最大限駆使して、エジプトに貢献出来る活動を行っていけるように皆で努力していきます。


                                                               


                                                               

これまでも多くの先輩隊員たちが、長い時間を費やし努力を重ね、エジプト各地で現地の人たちと共に、多くの商品を作り上げてきました。

私たち隊員は、任期満了になれば帰国しなければなりませんが、エジプトの人たちに、その技術と心をしっかりと引き継ぎ、販売していってもらいたいと思っています。

そして、それがエジプトの女性たちの支援になり、子どもたちの幸せへのステップになることを心から願っています。


                                                                 

 

 


9.革命から2年 娘のJICAレポート

2017年05月12日 | 日記


2013年1月30日 記す

1月25日、革命以前までは「警察の日」という国民の祝日でした。

2年前のこの日、カイロのタハリール広場を中心として大規模デモが起こり、年間続いたムバーラク政権が国民の力により崩壊しました。

25日は「エジプト革命記念日」と名前が変わり、前大統領の名前が付けられていた地下鉄の駅も名前が変わりました。

2年前のデモ隊と治安部隊の大衝突の後、変わってしまった町を見た時の衝撃は今でも忘れられません。

毎日通勤で使っていたピラミッド通りは、ほとんどの店やホテルの窓ガラスが割られ、

あちこち放火されて燃えた跡が残っていました。

            

デモの中心となったタハリール広場は、いつも友達との待ち合わせに使っていた場所。

道路は、投石に使うためコンクリートが剥がされ、ひどい状態という、激しい衝突の跡が残っていました。

次々と目に飛び込んでくる光景は、私の知っているカイロの町とはあまりに違っていました。

変わり果てて傷だらけの町を見て、まるで自分の大切な人が、理不尽に殴られ、傷つけられ、

大怪我を負ってしまったような気持ちになり、胸がずきずきと痛みました。


           

エジプトは、私が自らが選択して暮らした地、愛する人々が暮らす地です。

人懐っこくて、親切な人が多く、友人以外にも、スーパーでいつもおまけしてくれるおじさん、

親切なバスのドライバー、道を教えてくれたおばさんなど、沢山の人々の顔が脳裏を過ぎります。


        

誰も怪我しないで欲しい、誰も死なないで欲しい、もうこれ以上一滴の血も流さないで欲しいと強く思いました。

でもエジプトの未来を諦めて欲しくはないとも。


       

今でもデモがある度にそう思います。

非武装革命と言われたエジプト革命、しかし、エジプト民主化への過程で、多くの犠牲者の血が流れ続けています。

革命やデモで亡くなった人々、昨年2月に起こったサッカー場での悲惨な事件で亡くなった人々、

エジプトの人々は、そんな彼らのことを決して忘れることなく、エジプトの未来のために戦っています。


       

しかし、2年前と今と大きく違うところは、国民が一丸となってムバーラク政権と戦っていたのが、今は国民同士が分裂してしまっているということです。

経済が悪化しても、それでも革命をやってよかったと皆が口を揃えて言っていたのが、今では、「この国に疲れてしまった」と言う人がいるということ。


         

エジプトがより良い国を創りあげていくことには、多くの時間を費やすことが必要かもしれません。

でも、決して諦めずに一歩一歩進んで行って欲しいと思います。

革命の時に生まれたフレーズ、「irfa3 rasak fooooooo2 enta masri !!!」

顔をあげよ、あなたはエジプト人なんだから! もう一度、誇りを取り戻して欲しいと強く願います。

                

革命時のタハリール広場では、イスラーム教の礼拝時間が来ると、コプト教徒たちが手を繋ぎ「人間の鎖」で

礼拝中のイスラーム教徒たちを取り囲み、前大統領支持派や治安部隊の攻撃から守りました。

宗教の違いを越えて、エジプト国民がひとつになる瞬間を見ました。

エジプトの人々が暴力に屈せず、助け合い、労わり合い、平和的にデモを続けるその姿に、世界中の人々が注目し感動しました。

そんな素晴らしいエジプトを再び私たちに見せて欲しいのです。

 

                      


現在世界には、目を背けたくなるような現実があります。

戦争や災害の災禍の地に暮らしている人たち、その地に大切な家族や友人が暮らしている人たち、

そこで暮らし友情を育んだことのある人たちは、今どんな気持ちでいるのでしょう。


                        

人間としての尊厳を傷つけられ不条理に亡くなっていく人々が多いという現実から、

エジプト革命以来、ますます目を背けてはいけないと思うようになりました。

小さな存在の私たちに何ができるのか、これからも自問していきたいと思います。




8.一目惚れ・奇跡の出会い 娘のJICAレポート

2017年05月01日 | 日記

12/26/2012

それは、私にとって衝撃的な出会いでした。

一目見たその瞬間から、私のハートをがっちり掴んで離しません。

私は自他共に認めるエジプトグッズコレクターです。そんな私も虜になってしまう程、素敵なものがありました。

アクセサリーの様にずっとそばに置いておきたくて、インテリアの様にずっと眺めていたい、そんな気持ちになるものと出会いました。

オールドカイロと呼ばれる、コプト教(エジプトのキリスト教)の教会が多く立ち並ぶ町があります。

イスラーム色が溢れる場所が多いカイロで、一風違った趣と歴史あるその場所に、El Nafeza はあります。

                     


                       


El Nafezaは、先輩隊員が活動している手漉き工房です。

エジプトでは、藁や麻くず、バナナの茎などの農業廃材が燃やされ、環境破壊の大きな一因となっています。

エジプトといえば、世界最古の紙パピルスが有名です。

El Nafezaではその廃材を利用し、古代エジプトで用いられた伝統的な製法と、インドや日本で得た技術をミックスし、温かみのある手漉き紙を作っています。

                                                            

工房では、聴覚障害を持つ人たちが紙漉きから製本、組立てまで、一つ一つ丁寧に手作業で仕上げています。

伝統的なイスラミック模様や自然をモチーフにした模様が鮮やかな手漉き紙にあしらわれています。

ごみ処理や排気ガスなど環境問題を抱えるエジプトで、エコを実践しながら、エジプトテイスト溢れる、日本人には親しみのある紙工芸品を作っています。

                        


工房に配属されて活動していた先輩隊員は、立派に2年の活動任期を終え、間もなく日本に帰国します。

私は、彼女がいつも商品を一つ一つ心を込めて大切に扱う姿がとても好きでした。そしてバザーでは、お客様とじっくりとお話をして販売する姿勢を尊敬していました。

一つ一つ手作りで作られているので、紙の色や模様、商品の種類が豊富で迷ってしまうお客様に、

相談に乗ったりお勧めしている姿には自分たちの商品に対しての愛が感じられました。


                                       

そんな先輩の姿から、私は沢山の事を学びました。

彼女が生んだデザインや新商品は、今後も国内外問わず、沢山のお客様に愛され大切にされていくと思います。

そして、私も今後自身の活動先やエジプトものづくりチームでの活動を通じ、そのお手伝いが少しでも出来たら光栄です。

El Nafezaは、アラビア語で「窓」を意味します。

アートや文化の風、より良い未来に向かう風を一緒に感じて欲しいと願いながら、先輩は工房の方たちと活動を行ってきたのだと思います。

 

                                       

本当に2年間お疲れ様でした。

そして、今後益々のご活躍を心よりお祈りしています。

丁寧に、心を込めて作ってくださった商品は、これからもずっと私の宝物です。大切にします。