アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

エジプト最後の夜

2012年02月23日 | 旅行

 

 

 革命で避難し、そのまま帰国した娘のマンションの荷物の整理や引き払い、

お世話になった方々へのお礼とお別れをしたいという思いもあって、訪れていたエジプト。

ついに最後の夜を迎えてしまった。

その夜を、私たちは最も大切な家族と過ごすことが出来た。

 

                  

                         (サウサンの次女モニアは娘の背丈を追い越した)

 

日本語ガイドのサウサンとは、ツアーで出会い意気投合。

大切な友となってくれた。

そのサウサンにエジプト留学の間、娘はどれほど助けられてきただろう。

毎朝の食事のお誘い、買い出し、病気の時、レジャーにと、実の娘のように可愛がってくださった。

 

 

  

            (サウサンの姉の娘ノハ)                             (ノハの大切な猫、シムシム)

 

遠く離れたエジプトの地、この目で見ることが出来なくとも、娘のサウサンに対する敬愛ぶりで良く分かっていた。

彼女のお陰で心配することも無く、エジプトの母に安心して娘を託すことが出来ていた。

サウサンの無償の厚意に甘えた二年間。

その友情に報いるには、彼女のお子達や留学生がいつの日か来日した際、彼女のように母の心でお返しをすることだ。

その日が待ち遠しい。

 

 

     

             (サウサンの息子・カリーム)                     (サウサンの姉の息子アムルと長女マイ)

 

                     

                                (サウサンの長女ジャスミン)

 

 

サウサンの息子カリーム、娘のジャスミンとモニア。

サウサンの姉の娘マイとノハ、息子のアムルの6人とは、まるで兄弟、姉妹のようだった。

 

 

  

 

時には、娘のアラビア語とベリーダンスの先生。

時には、娘が日本語と日本の遊びの先生。

パジャマパーティを開き、兄弟喧嘩の仲裁もしていたようだ。

 

 

    

 

みんなで美味しいケーキをいただき、会話し笑いあった。

そんな宝物のような時間は瞬く間に過ぎていった。

 

  

 

別れの時、あまりの名残惜しさと感謝の念がこみあげて、一人ずつゆっくりハグしてまわった。

女性と男性はハグしないというイスラームのタブーを破って、カリームとアムルにもハグをせずにはいられなかった。

「また来るから…また来るから…」と同じ言葉を繰り返して、息子たちの背中をさすっていた。

 

 

            

 

娘にとって、この二年間のエジプト生活は、何だったのだろうか。

アラビアンナイトの一瞬の夢だったのか、これからも、まだまだ続く現実なのか。

何を感じとり、何を掴んだのか。これからどこへ向かって何をするのか。

娘自身にも、まだ分かってはいないのかもしれない。

娘の人生は、これからも続いていく。

親として、ハラハラするやら、ワクワクするやら…。

まだ暫く見守り続けるよりないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 


悲しみのサッカー場

2012年02月11日 | 日記

 

 

エジプトで悲惨な出来事が起こった。

2月1日、エジプト北東部ポートサイド・サッカー場で

74人もの死者、1000人以上の負傷者をだすという考えられない大惨事だった。

 

          

 

その日は名門サッカーチーム アル・アハリと地元チーム アル・マスリとの試合が行われていた。

警備が普段よりなぜか手薄で、両サポーターが殺気だっており当初から様子が違っていたと証言している観客もいる。

 

    

 

 

試合後、アル・マスリのサポーターがフィールドになだれ込み、アル・アハリのサポーターや選手に攻撃をしかけ

逃げ場を失ったサポーターや多くの人々が、閉じられたままのゲート前で圧死、あるいは負傷した。

 

 

          

 

 

軍の陰謀説などの噂が流れ、2日夜から3日にかけて大規模な反軍制デモが行われた。

しかし真相は藪の中である。

ただ気にかかるのは、アル・アハリのサポーター軍団ウルトラスが

エジプト革命時には最前線に立って警察を攻撃し、相当な恨みをかっていたことだった。

サッカー場においてもたびたび軍、警察批判のシュプレヒコールを挙げ、軍や警察を刺激してきた経緯があった。

 

 

              

                           (若い犠牲者たち)

 

非武装革命、スマート革命といわれたエジプト革命から一年。

 その間のエジプト民主化への道程で、多くの犠牲者の血が流れ続けている。

 

 

         

                           (反軍制デモに集まった人々)

 

              

                            (内務省に向かうデモの人々)

 

今回のデモでは、女性たちの姿も多く見受けられた。

当然のことだろう。

エジプトの少年たちのサッカー熱は熱く、他人事では済まされないからだ。

 

 

           

 

            

    (facebookでのエジプトの人々の多くはアイコンをこのように変更して喪に服した)

 

 

愛しんで育ててきた息子を、こんなことで失ってしまった犠牲者の母親達。

ほんの少し前、喜んでサッカー場へ向かった息子。

自分の命より大切な我が子が、突然この世から去ってしまった。 

もう二度と食事を作ってやれない、一緒に笑って、時には叱ってもやれない。

息子の息遣いも、匂いも感じ取ることが出来ない。

なによりこの手で触れて、この胸に抱きとめてやれない。

耐えられない地獄のような苦しみ、悲しみの中で

エジプトの母たちは、今なにを思っているのだろうか。