アナザースカイ エジプト

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エジプト青年の長い手紙

2013年07月12日 | 日記

 

 

face book,twitter, tumblrをご覧の皆様は、この手紙をご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、ひとりでも多くの方にご覧いただきたいので、ここアナザーにも再投稿いたします。

 

             

 

 

7月2日、シーシー軍最高評議会議長(国防相)が、当時ムルシ大統領に辞任を促し、それを拒否したためムルシは拘束された。

この頃国内は、6月30日に行われた約140万人の抗議デモの成功で、多くの国民の喜びの声で満ち溢れていた。

同時に世界は軍事クーデター勃発と報道、それは瞬く間に世界に広がった。

そして、エジプトの友人たちのface bookには、徐々に「No!Coup!」の文字が増えていった。

 

 

                                            

 

 

7月4日face bookタイムラインで、「ムルスィーの一年」というタイトルの日本人に向けた一文が目にとまった。

Maged Maggoud というエジプトの若い青年が書いたものだった。

今回の政変には、いろいろな風評が飛び交っている。

政治が動く時には、こんなにも私たちが知る由もない 世界の裏の力が働いているのかと混乱する。

なにが真実なのかは、私には判断できない。

なにが真実なのだろうか。

 

 

                     

 

 

この文のムルシ政権下で生きたエジプト人でしか分かり得ない、革命後新政権の1年のエジプト国民の生活。

少なくとも、これは真実に近いのではないかと考えた。

彼の見事な日本語の手紙の中で、僅かに分かりにくい箇所を、彼に質問、確認を繰り返して添削したものを掲載した。

 

 

                                               

                                                               (この文の筆者Maged Maggoud君)

 

「ムルスィーの一年」  Maged Maggoudより

日本で流れるニュースを見て、エジプト人は大統領の任期の4年と、次期選挙を待たずに非民主的な方法で、自ら選んだ大統領を解任したというイメージをもったと思います
その理由を明確に説明するために長文を書きました。
私たちエジプト人の事情を知っていただけると思います。

あの3日間のデモが、クーデターだと思う人も、クーデターじゃないと思う人もいます。
人それぞれの見解だと思います。
しかし、あのデモの人数でわかるように、多くのエジプト人が感じていたのは、ムルスィーは、エジプトの大統領に適していないということでした。
確かにあの大統領を選んだのは、私たちです。
たった一年でエジプトの生活を改善して、先進国にするのは、だれが大統領でも無理でしょう。
これ以後エジプト軍が政治をコントロールしていく恐れがでてきたとの見解が出てきて、日本の新聞、ニュースでも流されています。
なぜあれほど多くの国民が、ムルスィーを大統領として不適格だと考え、デモに参加したのか、エジプト人しかわからない事情は、次のとおりです。
 

1. 毎日の停電
ムルスィーが毎日1,2時間、不定期に停電させたのは、節電といいながらイスラム原理主義ハマスなどにエジプトの電気力で支援を行っていました。
不定期停電のため、エレベータで閉じ込められて息苦しくなり亡くなった人、
新聞記事によると、結婚式のヘアメイクをしていた花嫁が、突然の停電で美容院の機器にトラブルが生じ、彼女は亡くなってしまいました。

2. ガソリン不足。
6月30日の2週間ほど前になるとガソリン不足の問題がピークに達しました。
給油に3,4時間はかかる状態が続き、その結果、ガソリン、交通費は値上がり、道路の渋滞はますます悪化していきました。

3.ムスリム同胞団の支持と他宗教への迫害
ムルスィーは、ムスリム同胞のメンバーでしたが、大統領に就任当初は、同胞団の一員ではなく、エジプト国民ことを考える大統領として任務につくと声明を発表していました。
しかし、大統領に就任しても、依然として同胞団を支
持し、大臣、高官は、すべて同胞団のメンバーから選出していました。
そして、ムルスィーは、ムスリム同胞団の長官バディーの傀儡でした。すべてバディーの言う通りの政治を行っていたのです。
ムスリム同胞団はコプト教(エジプトのキリスト教)教徒の迫害も行ってきました。
耐え切れなくなった多くのコプト教徒がエジプトを出て、海外へ渡っていきました。
またイスラム教、シーア派の迫害も行っていました。
6月の初め、同胞団がシーア派の住む住宅に放火し、5人のシーア派の人が死亡するという事件が起きました。
しかし、その時ムルスィーは、この事件の犯人たちを逮捕するどころか、不問にふしてしまいました。

4. エチオピアとの水の問題
エチオピアが多くの電気の供給のために新しいダムを作るため、水量が必要となりました。
ナイル川の水域のエジプ
トが権利のあるナイルの水量を使用すると、エチオピアから一方的に宣言された際も、ムルスィーは話し合うなどの策を何も講じませんでした。
イスラエルが提案した、エチオピアのダムはもう着工が始まりました。

5. 税金の値上がり
経済が安定していない苦しい生活の中、5%だった税金はムルスィーになってたった1年で20%に値上がりしました。

6. 警察との問題
ムスリム同胞団が作った国儀に、警察に関しての規定があります。
・警察官は誰も殴ってはいけない。たとえ犯人であっても
・警察官自身が誰かに殴られても、殴り返してはいけない
・警察官の携帯しているピストルも使ってはならない。

その結果、辞職する警察官が増加し、犯罪を取り締まることが難しくなってしまいました。
大きな犯罪や殺人事件な
どめったに起こらなかったエジプトの治安は、またたく間に悪化していきました。

7. デモに参加する国民に脅迫声明 
ムルスィー大統領就任1周年の30日の直前に、ムスリム同胞団は声明を発表しました。
「30日にデモに参加する人々の命の保障はない、ムルスィーに反対する国民は地獄へ送るぞ!」という驚くべき脅迫の声明でした。

8.イスラムを利用して芸術、女性たちに規制の圧力
歴史あるカイロ国立バレエ団に対して、バレエは教義に反するから見てはならない。
女性たちが外出することは禁止。
女性は二カーブを着用しなくてはならない。(黒い服で体全体を覆って、目しか見せない服)

たった1年で、これだけの強権政治を行ったムルスィー。
任期の4年を待つとエジプトはどんな国になってしまうのだろう。そして、任期を終える頃、きっとムルスィーと同胞団はこう言うだろう。
「大統領はモハメッド預言者(イスラム教の創始者)と同じ人間なので、ムルスィーを変えてはいけない。辞任させてはいけない」と。
国民は、このムルスィーと同胞団の愚かな政治にNO!と訴えるのにはデモしかないと思いました。
そして脅迫声明にも屈せず、あの多くのエジプト国民のデモにつながったのです。
今回は軍、警察も同様に考え、デモに参加しました。
平和的に非暴力でデモを行おうと呼びかけていましたので、エジプト革命と比べると死者は少なかったのですが、それでも死者、負傷者がでたことはとても残念です。

今回のデモは、いつも規制する側の警察も軍も国民の味方でした。それほど多くの国民がムルスィーには失望し、危機感をもっていたのです。
日本で流れる報道は、結果だけを流しています。一番大切な私たちエジプト人の理由や苦しみは語られていません。それはイーブンではないと考えます。

私たちはこの1年、本当に辛い思いをしてきました。そうでなければ、あれほどの人たちが集まって、抗議するはずがありません。
これを読んだ方が少しでも、理解していただけることを願っています。

 

 

                  

 

 

                                       

 

 


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6 コメント

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現地の生の声、大事ですね (vaivie)
2013-07-20 23:18:57
初めまして。
共感するところがあり、トラックバックで記事を書かせていただきました。
現地の生の声を紹介していただき、ありがとうございます。
返信する
vaivieさんへ (アメンママ)
2013-08-04 20:28:21
ありがとうございます。
本日コメントに気がつき、トラックバックを読ませていただきました。

参議院選挙は終わってしまいましたが、
「選挙で選ばれた政権は本当に民意を反映しているのか、
なぜ政権は、選挙の勝利を100%の信任とおごり、
平気で民意を踏みにじるのか、
そのことに対する国民の審判はどう下されるべきなのか、
国民は、どのように政権の暴走を止めることが出来るのか。
これらの問題は、エジプトだけのことだろうか。」
の箇所は私の心のうちを表現していただいたと共感を覚えました。
このブログをFBに紹介させていただいてよろしいでしょうか?
多くのエジプトの友人たちが(日本語が堪能な人が多いので)きっと共感し喜ぶと思います。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (vaivie)
2013-08-08 16:21:17
アメンママさん、こんにちは。

トラックバック、その他の私の記事もお読みいただき、ありがとうございます。

FBでご紹介いただけるのも嬉しいです。
ただ、マスコミ報道に対する素朴な疑問から、自分なりに調べたり考えたりしたものですから、間違いもあり、偏ってもいるかもしれません。
みなさんがご自分で判断する際に、こんなことを言ってるやつもいる、と、参考のひとつにでもしていただければ幸いです。

しかし、なかなか自分の頭で考えられない人、いるんですねえ。
返信する
vaivieさんへ (アメンママ)
2013-08-11 13:26:33
こんにちは。いつもありがとうございます。
そして、おっしゃるように、論点のないコメントは暴言だと思い無視いたします。

ところで、このブログは2009年の娘のエジプト留学からのんびり更新してまいりました。
振り返りますと、初めの頃はうららかなエジプトをしたためていて、今から思うと懐かしい思いでいっぱいになります。

革命時はネットも遮断され、不安の真っ只中にいた娘は、考古学者の河江肖剰さん(先日世界ふしぎ発見にご出演されました)に助けていただき、事なきを得ました。

その頃から、このブログもエジプトの政治、問題や動向に触れるようになっていきました。エジプトが、触れざるを得ない状況になっていきました。

FBでも、いろいろな考え方をされる方と、意見の交換をしております。
エジプトを心配している多くの親しい友人や私は、vaivieさんのご意見に近い人も多く、某局の「アラビア語会話」でご活躍のKさんのお母様からは次のようなコメントをいただきました。
「ご紹介ありがとうございます。エジプトに関するご意見で、多彩な日本の方がいらっしゃるのですね。心強いです。ジャーナリストにも語学や読書、多様な探究心が求められますね。」

私までうれしくなりました。これからも、参考にさせていただき、第二の故郷のように愛するエジプトのことを考えていきたいと思っております。
コメントありがとうございました。
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Unknown (ムスレマより)
2013-08-22 10:39:20
興味深く読ませてもらいました。
預言者モハメッド(イスラム教の創始者)というのはこの青年が書いたのでしょうか?モハメッドは(彼の上に平安あれ)預言者であり、創始者ではありませんのでご注意下さい。彼はもちろんわかっているはずですので、和訳の時点でのミスかも知れませんが、ムスリムには大切な点です。
また、電気は7パーセントをガザに送電していたと政府も発表しています。パレスチナを救う事は罪でしょうか?
返信する
Unknown (ムスレマより(追伸です))
2013-08-22 10:58:30
何か書かれた物をと思い探して見ました。

「イスラーム史」
ムハンマドは最高最後の預言者
 ムハンマドは唯一神アッラーからの啓示を伝えるために「言葉を預かった者」であって、創始者や教祖というわけではありません。その啓示をまとめたものがコーランです。したがって、イスラームを実践する人々をムスリム(イスラーム教徒)といいますが、彼らはコーランに従って日々を送るので、教え導く人は必要ありません。聖職者といわれる人々がいないのも理解できます。ムハンマド死後、カリフと呼ばれる人々がイスラーム国家を指導していきますが、この人たちは“預言者”ではなく、あくまで“ムハンマドの代理人”という立場でした。
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