アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

大砂嵐金崇郎

2013年08月14日 | 日記

 

 

どうしても書いておきたいことがある。

エジプト政変の少し前、遡ること6月中旬、中日新聞のT記者から連絡があった。

以前、2度、娘の革命時の出エジプトと、協力隊派遣について記事にしていただいたことで、ご縁のできた記者さんだった。

 

 

                   

 

今、大活躍のエジプト出身大砂嵐関の取材をしたいが、より情報を聞き取るためにアンミーヤ(エジプトアラビア語)でインタビューをしたい。

そこで、エジプトの友人を知らないかとの問い合わせだった。

昨年、東海TV「アイーダ」の取材の折協力してくれた、私にとってエジプトの娘のような存在のイナースが脳裏に浮かんだ。

彼女は現在幸せな妊婦さん。まもなくエジプトへお里帰りするが、その前のひと仕事を快く引き受けてくれた。

 

 

                                   

 

6月21日、紹介された若いM記者と稲沢の大嶽部屋宿舎へ向かう。

大砂嵐関とは、入門直後からのフェイスブックフレンド。やり取りはしていたが、それだけのこと。私のことはわからないだろうと思っていた。

ところが、大嶽部屋に到着し大砂嵐関と目があったら、まるでエジプトの古くからの友人のようにハグをしてくれてビックリ!!

そんな訳で、キュートでハンサムな顔に満面の笑みをうかべた大砂嵐関に、すっかりハートをわしづかみされてしまった。

 

 

                                        

 

スポーツ紙の記者他、カメラマンを入れると総勢7名のインタビューが始まった。

イナースのアンミーヤと流ちょうな日本語による通訳で、微妙なニュアンスまでくみ取れるインタビューとなった。

「目標は横綱になること。エジプト、中東、アフリカ諸国で相撲を有名にして、続く力士が出てきてほしい。」

今回の名古屋場所はラマダーン(断食)という厳しい状況となるが、それを乗り越えればイスラム教徒の新弟子が入門した時のモデルケースになる。

「ヒストリーメーカー(歴史の創造者)でありたい」と決意を語った。モチベーションがいい。

 

 

 

                 

 

特に印象に残ったインタビューがあった。

スポーツ紙のベテラン記者がちょっと意地悪な質問をした。

「敬虔なイスラム教徒である大砂嵐関は、日本の神事である相撲をどうして受け入れたのか?」

すると彼は突拍子もないことで質問に答えた。

「相撲の発祥はエジプト。古代エジプトの壁画に相撲のような格闘技が描かれている。だから、僕は納得している。」

なるほど!!素晴らしい切り返しと解釈。

 

 

 

                   

 

大砂嵐関は異例のスピードで十両に昇進して、今回の名古屋場所も大いに期待されている。

場所中のほとんどは断食期間に入るので、日没までは食べ物はもちろん水一滴たりとも口にしない。

大丈夫かとの問いにも「取組が多いのも、断食も大丈夫!!」と元気に答えた。

インシャーアッラー(神の御心のまま)の精神ばかりではなく、ここまでの厳しい稽古を努力でこなし、これからも乗り越えていけるとの自信がついたのだろう。

 

 

                                     

 

明るさの中に隠した、並々ならぬ強い意志と決意が垣間見えたインタビューだった。

まだ21歳という若さで相撲への情熱を抱き、大嶽親方に弟子にしてくれるよう何度も願い出て、単身来日。

ここまでコツコツと苦しい稽古に励み、日本文化に懸命に馴染もうと精進して、今ここにアフリカ初の力士、十両の大砂嵐関が誕生した。

 

 

 

                                                  

 (現在エジプトへ帰国している大砂嵐。エジプト世界駅の皆さんとのショット)

 

フェイスブックでは多くの老若男女の方々が大砂嵐関を応援している。

彼の明るくお茶目な愛すべきキャラクターと、真面目に相撲道を精進する姿に打たれた人々が多い。

 

彼にも、エジプト人の人々にも共通すること。それは粘り強さ!

だから大砂嵐関が語ったように、エジプトも大丈夫!と確信している。

爽やかな真面目な若者に刺激を受けた一日だった。

大砂嵐関、会えて本当によかった。感謝。

 

 

 

                 

 (インタビュー風景と通訳のイナース)

 

 

                 

 (雑誌、エジプト世界駅に載っている私のページをアピールしてくれた)

 

                                   

 

 

                                    

(インタビュー中もお茶目なアイコンタクト)

 

 

                                          

 (若き中日新聞記者Mさんがこんな素敵な記事に。私はエジプトゆかりの人らしい。光栄だ)

 

 

 


撤退も勇気!!

2013年08月02日 | 日記

 

 

エジプト協力隊の事実上の国外退避が決定した。

 

自宅待機が6月28日から始まり、食糧、飲料水を買い込んで、一歩も外へ出ない日が続いた。

その後、7月14日よりJICAのドミトリーへ移動。

仲間との再会、安全と思われる日中から夕方までの、近隣への外出を許可されて、少し甦った日々を過ごした。

しかし、毎日近くで聞こえるデモ隊の喧騒を聞き、仕事に戻ることもできない隊員たちの心は、疲れ切っていた。

 

この間の動向は

7月3日 軍がムルシ大統領を解任

7月4日 最高憲法裁判所長官マンスール氏が暫定大統領に就任

7月26日深夜~27日朝 治安部隊とムルシ擁護派デモ隊の衝突で75人以上が死亡

 

「いつまで、この状態が続くのでしょう。エジプトは心配ですが、私たち自身にも危険を感じはじめています。国外退避をしたいです。」

との心情を漏らしている隊員も一人や二人ではなかった。

 

そしてJICAが動いたのが、7月29日。

モロッコ、ヨルダン国外研修、一時帰国待機のいずれからを選択、一時退避することが決定された。

当初、一時帰国の希望者も多かったが、休暇扱いで航空チケット代が自費となることと、

地域によっては、エジプトが好転すれば仕事に戻ることが出来る可能性がある隊員、一時帰国をしたばかりの隊員、まもなく任期が終了する隊員たちは、

モロッコ、ヨルダンへの退避を希望した。

娘は仕事の本拠地がカイロのため、後ろ髪を引かれながらも、一時帰国を選択した。

 

8月8日になるだろうラマダン明けの情勢が懸念される。

ラマダン中はイスラム教では、争い事を厳しく禁じている。

にも拘らず、ラマダンの真っ最中の日中でも、手に水と銃を持つムルシ擁護派のデモに参加している一部の人々の写真や動画が

フェイスブックのニュースフィードに流れている。

 

 

明日8月3日からエジプト協力隊員の国外退避が始まる。

どの協力隊員のウォールを覗いても、再びこの国に戻りたいという心情が溢れている。

赴任国エジプトが望んだ国では無かった隊員もいただろう。エジプトでの生活やコミュニケーションに苦労もいろいろあっただろう。

でも皆再びこの地へ戻りたいと切々と訴えている。こんなにも愛される国、エジプト。

きっとエジプト人の人情に触れた、かけがえのない毎日だったのだろう。私には解る気がする。

エジプト、最善の方法で乗り越えてほしい。

祖国を愛する国民のためにも、

そしてこの地に戻って、活動の再開を望む、エジプトを愛する協力隊員のためにも。

 

 

                      

・福島訓練所から一緒のエジプト3人娘

・エジプトでのアンミーヤの先生

 

 

                     

                           

・同僚のモナさん

・諸事情で学校へなかなか行くことのできないチビッコとも活動した

 

 

                    

・白砂漠にもみんなで行った

・エジプトのガールスカウト・ボーイスカウトとも接触

 

 

                     

・同僚のバドルさんとは、多くのバザー出張をした。

 

                    

・エジプトの偉い人らしい方ともお会いした

 

                    

・大きなホールで取り組んでいる仕事のプレゼンもした

・韓国の協力隊の人たちとは大の仲良しになった

 

 

                    

・スフィンクスの足元へ入れた時はインタビューを受けた

・シュールなディズニーらしき愉快な仲間とも遊んだ

 

 

                                       

・大好きなエジプトを抱きしめて、再びこの地に戻ることを誓う!がんばれ!協力隊!!