どうしても書いておきたいことがある。
エジプト政変の少し前、遡ること6月中旬、中日新聞のT記者から連絡があった。
以前、2度、娘の革命時の出エジプトと、協力隊派遣について記事にしていただいたことで、ご縁のできた記者さんだった。
今、大活躍のエジプト出身大砂嵐関の取材をしたいが、より情報を聞き取るためにアンミーヤ(エジプトアラビア語)でインタビューをしたい。
そこで、エジプトの友人を知らないかとの問い合わせだった。
昨年、東海TV「アイーダ」の取材の折協力してくれた、私にとってエジプトの娘のような存在のイナースが脳裏に浮かんだ。
彼女は現在幸せな妊婦さん。まもなくエジプトへお里帰りするが、その前のひと仕事を快く引き受けてくれた。
6月21日、紹介された若いM記者と稲沢の大嶽部屋宿舎へ向かう。
大砂嵐関とは、入門直後からのフェイスブックフレンド。やり取りはしていたが、それだけのこと。私のことはわからないだろうと思っていた。
ところが、大嶽部屋に到着し大砂嵐関と目があったら、まるでエジプトの古くからの友人のようにハグをしてくれてビックリ!!
そんな訳で、キュートでハンサムな顔に満面の笑みをうかべた大砂嵐関に、すっかりハートをわしづかみされてしまった。
スポーツ紙の記者他、カメラマンを入れると総勢7名のインタビューが始まった。
イナースのアンミーヤと流ちょうな日本語による通訳で、微妙なニュアンスまでくみ取れるインタビューとなった。
「目標は横綱になること。エジプト、中東、アフリカ諸国で相撲を有名にして、続く力士が出てきてほしい。」
今回の名古屋場所はラマダーン(断食)という厳しい状況となるが、それを乗り越えればイスラム教徒の新弟子が入門した時のモデルケースになる。
「ヒストリーメーカー(歴史の創造者)でありたい」と決意を語った。モチベーションがいい。
特に印象に残ったインタビューがあった。
スポーツ紙のベテラン記者がちょっと意地悪な質問をした。
「敬虔なイスラム教徒である大砂嵐関は、日本の神事である相撲をどうして受け入れたのか?」
すると彼は突拍子もないことで質問に答えた。
「相撲の発祥はエジプト。古代エジプトの壁画に相撲のような格闘技が描かれている。だから、僕は納得している。」
なるほど!!素晴らしい切り返しと解釈。
大砂嵐関は異例のスピードで十両に昇進して、今回の名古屋場所も大いに期待されている。
場所中のほとんどは断食期間に入るので、日没までは食べ物はもちろん水一滴たりとも口にしない。
大丈夫かとの問いにも「取組が多いのも、断食も大丈夫!!」と元気に答えた。
インシャーアッラー(神の御心のまま)の精神ばかりではなく、ここまでの厳しい稽古を努力でこなし、これからも乗り越えていけるとの自信がついたのだろう。
明るさの中に隠した、並々ならぬ強い意志と決意が垣間見えたインタビューだった。
まだ21歳という若さで相撲への情熱を抱き、大嶽親方に弟子にしてくれるよう何度も願い出て、単身来日。
ここまでコツコツと苦しい稽古に励み、日本文化に懸命に馴染もうと精進して、今ここにアフリカ初の力士、十両の大砂嵐関が誕生した。
(現在エジプトへ帰国している大砂嵐。エジプト世界駅の皆さんとのショット)
フェイスブックでは多くの老若男女の方々が大砂嵐関を応援している。
彼の明るくお茶目な愛すべきキャラクターと、真面目に相撲道を精進する姿に打たれた人々が多い。
彼にも、エジプト人の人々にも共通すること。それは粘り強さ!
だから大砂嵐関が語ったように、エジプトも大丈夫!と確信している。
爽やかな真面目な若者に刺激を受けた一日だった。
大砂嵐関、会えて本当によかった。感謝。
(インタビュー風景と通訳のイナース)
(雑誌、エジプト世界駅に載っている私のページをアピールしてくれた)
(インタビュー中もお茶目なアイコンタクト)
(若き中日新聞記者Mさんがこんな素敵な記事に。私はエジプトゆかりの人らしい。光栄だ)