アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

応援メッセージ

2011年03月24日 | 日記

 

 

『体験をしたことのない災害が起こった。

テレビに流れ続ける被災地の無残な姿に凍りつくような恐怖を覚えた。

そして追い討ちをかけるように原発事故が起こった。

そんな中、エジプトの友人から多くの心配の声が届いた。

「だいじょうぶですか!」 「とても心配」 「日本は何度も立ち上がる国」 「I love nippon!」

タハリールの合言葉 「顔をあげよ!我々はエジプト人!」 をもじった応援 「顔をあげて!あなたは日本人!」 もあった。

そして「あぶないからエジプトへ来てください」というメールまであった。

そんなメールを見ていたら、この未曾有の災害で忘れ去っていたエジプトへの応援メールの事を思い出していた。』

 

 

                               

 

 

 

エジプト騒乱の最中、関西の学生@kitacounBIZ君がエジプトへの応援メッセージを送ろうとツイッター上で提案をしてきた。

世界に目を向け、民主化への夢を果たそうとしている国の人々へ

日本人からエールを送ろうと考えたのが、若い学生だったことに感銘を受けた。

私は70年代学生運動が沈静化する頃、高校時代を送った。

「三無主義」などという言葉が流行った時代だったが、それでも熱く政治を語っていたように思う。

それに比べると現代の若者は、政治や国際情勢に対して冷めてしまっている傾向にあると思っていた。

 

 

                   

 

 

      

ところがこの@kitacounBIZ君は膨大な量の応援ツイートを英訳し、

フェイスブックを通してエジプトの人々に送るという大変な仕事を

学業やバイトのかたわら、こつこつとこなしてくれた。

印象に残ったツイートを紹介したい。

 
 エジプトのデモ行動は、これまでの革命とは違う21世紀的な手法だと思います。
 
 時代は変わるんだということを、とてもリアルに感じます。
  エジプトが民衆のための国になることを、世界中が祈り見守っています。
 
 イスラム教もキリスト教も、エジプトもアラブも関係ない。生身の人たちが自由を求めて立ち上がった。
  その勇気に感動した。だから、応援する。 そして、これ以上血が流れないように祈る。
 
 アルジャジーラでエジプトの現状を見ました。市民のみなさんが平和的なデモを貫いている姿勢を見て、
  「これならムバラクよりエジプト市民のみなさんが政治を行った方がいい」と思いました。
 
 大学を卒業しても仕事のない優秀な若者がエジプトにはたくさんいる。
  彼らが中心となり、今回のデモが起きた。彼らはエジプトの変革のためなら死んでもいいと思っている。
  その熱い想いがエジプトの未来を明るく大きく変える。
 
 なんだかエジプトのみんながだいすきになっちゃったな♪ 世界はキミたちの味方だよ☆
  たいせつなことを教えてくれたキミたちにありがとう! we are with you!!
 
 あなたがたの国に、歴史に、神話に、世界中が過去も現在も恋しています。
  この距離に想うことしかできないけれど、たくさんの味方がいると知っていてね。すばらしき未来が開けますように。
 
 
 
 
 
                
 
 
 
 
 
 
 
熱いレターに触発されて私達も
 
 エジプトの人たちは、日本人を尊敬していてくれています。
  原爆からの復興、頑張り、日本製品への信頼、日本人の気質をいつも褒めてくれます。
  今こそ、その信頼に答えて日本からのエールをエジプトの人たちに送る時だと思います。
 
 真っ直ぐな生き方、温かい心、エジプト人に教えられたことは数え切れません。
 
 がんばって!!こんなに強い心を持っているなら、この先も絶対大丈夫だ。エジプト人なら絶対大丈夫。
 
 
 
 
 
           
 
     

 

ガールスカウト愛知56団のスカウト達も一生懸命考えてくれた。

● エジプトの人たちは最期まで諦めず、努力した姿勢がすごいと思いました。

 エジプトの人たちの仲間への思いやりが伝わってきました。エジプトへ行ってみたいと思いました。

 大統領がかわってよかったですね。

● エジプトで、同じ地球上でこんな怖い出来事が起こっていたんだ!よく頑張ってすごいと思った。

● デモを行った人々は協力してすごい人達だ。これから平和な国になると思う。平和になったら行きたいなぁ~♥

 

 

                   

 

 

 

これらの応援メッセージは、きっとエジプトの人々の心に届いて、少しはお役に立てたのだと信じている。

そして素晴らしい提案と行動をしてくれた@kitacounBIZ君。

彼に協力された多くの方々の存在が何よりも頼もしく心強く感じた。

 

 

                  

                   

 

 

『そうだった!エジプト政変の頃、みんなで本当に一生懸命応援をした。

そして今度はエジプトの人々から多くの応援メッセージが届いている。

そのメッセージは、きっとエジプトの人々がそうであったように、日本人の辛く悲しい心に温かい灯を点す。

それが勇気となり負けない心となって、必ず日本は立ち直る。

にっぽん!頑張ろう!ヤバーン!ラッベナー ユワッファアック! 』

 

 

 

 

 

 

 


2011エジプト革命

2011年03月11日 | 日記

 

 

  

徹夜したあげく、ムバラクの続投会見で失望した朝、日本は建国記念日の休日だった。

エジプトはどうなるのか。デモは継続されるのか。人々は諦めてしまうのか。

 

 

                                

                                                   (娘が持ち帰った新聞)

 

 

 

一日単位に糧を稼ぐ人も多いと聞く。

働くことの出来ない状態が18日も続いている。

エジプト人は団結力はあるが熱しやすく冷めやすい。

そんな印象を持っていた私は、もうこれで終結してしまうのかもしれないと考えていた。

ところが、今回の反政権デモの人々は違っていた。いっこうにデモをやめる気配を見せなかったのだ。

それどころか益々火がついたようにタハリール広場で、ガズマ(靴)を掲げ抗議を続けた。

 

 

                  

 

 

 

そして同日

タハリール広場の壁面にかけられた、スクリーン用の布に映し出されたスレイマン副首相から

ついに「ムバラク退陣!!」の言葉を聞いた。

パソコンの中の人々の声は、怒りから歓喜の声に変わり、

地鳴りのようにタハリール広場に広がっていったかのようだった。

私達も思わず叫んでいた。

「マブルーク!マブルーク!」(おめでとう!おめでとう!)

ツイッターのツイートも「おめでとうエジプト!」「エジプト革命なる!」「マブルーク!」の文字が

すごいスピードで流れ続けた。

 

 

                  

 

 

 

この革命でひとつの歌が生まれた。

1
もう帰らないと言って僕は出てきた

すべての道に血で文字を書いた
聞こうとしない人にも話を聞かせたら
邪魔するモノはみんな崩れ去った

夢だけが僕らの武器だった

目の前に明日は開けてる

ずっと前から待っていた
探しても見つからない僕らの居場所

この国のすべての通りから
自由の声がわき上がる

2
空に顔を向けた僕らには
もう空腹なんてどうでもいいんだ
重要なのは僕らの権利
僕らの血で歴史を刻むんだ

君も僕らの一員なら
もうそんなことは言わないでくれ
「もう行こう、夢なんてほっとけ」とか
「“私”なんて言うのはよせ」だなんて

この国のすべての通りから
自由の声がわき上がる

  http://www.youtube.com/watch?v=SJgjIsfPKmE

 

 

            

 

 

 

人々の強い心を、心地よいエジプト方言のアラビア語で表現した詩と、明るいメロディーは

エジプト革命の象徴の一曲となるだろう。

素晴らしい訳詩をされた @abu7anan さん 

スマートな字幕を付けていただいた @ghhoti さんに拍手をお送りしたい。

そして平和的に忍耐強く、勝利を掴む最後までデモを貫徹したエジプトの人々に

最大の尊敬の拍手を!

 

 

                  

 

 

 

これから民主化への長い道のりも困難を極めると想像される。

しかしエジプト人は、こう答えるかもしれない。

「そんなこと、言われなくてもわかってるよ。

我々は覚悟をもって大切な一歩を踏み出したんだ。乗り越えてみせるさ!!」と。

 

 

 

 

 

 

 


革命前夜

2011年03月08日 | 日記

 

 

エジプト反政権デモは、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。

 

 

                    

                      (一見穏やかなギザの町・奥にピラミッドが見える)

 

今までの動向は、(エジプト時間)

1.25(火)  「警察の日」に1万人の大規模デモ。「怒りの日」と名づけられる。

         娘は会社のボスから自宅待機を命じられる。

         娘とスカイプ。今回のエジプト騒乱の予兆まったくなし。明日は出勤するという。

1.28(金)  「怒りの金曜日」 夜間外出禁止令発令 p.m4:00~a.m8:00

         ネット、携帯が遮断される。

         この日をもってエジプト在住邦人は正確な情報を収集できなくなる。

1.29(土)  エジプト考古学博物館のミイラ2体破壊される。

         娘の住むギザでも銃声が聞こえ始めたとのこと。

1.30(日)  河江氏のご厚意で、娘は「米国古代エジプト発掘隊拠点宿舎」へ避難させていただく。

1.31(月)  大使館からの情報も、ネット遮断されているため在邦人は情報収集できず。

         情報が伝わらなかったこと、政府チャーター機が観光客、在住邦人を救出できる人数に

         まったく達していないことなどから外務省へ質問の電話。 

         日本でチケットを取るより無いとの回答!(怒)

         しかしチケットの手配まったく上手くいかず。

2・1(火)   「100万人行進」呼びかけ。タハリール20万人デモ

2.2(水)   親ムバラク派乱入、500人以上が怪我。 ネット回復。

         金谷氏ご尽力のお陰で4回目のチケット確保。

         この日までにとったチケットは欠航、デモの悪化、ネット遮断だったため日本でとった

         Eチケットの送信ができないなどの様々な理由によりキャンセルしていた。

2.4(金)   「追放の金曜日」 娘はこの日に空港へ向かい、無事出国。

 

 

                             

                             (米国古代エジプト発掘隊ヴィラ)

 

この間アルジャジーラ(本社をカタールにおく24時間衛生TV局)は、

果敢に現場から映像を送り続け、「男前の放送局」と称賛された。

日本の学生がエジプトの人々に応援メールを送ろうと呼びかけてきた。

賛同した私達も#egyptletterへエールを送り続けていた。

 

 

                     

                          (分かりにくいがギザの町を守る自警団)

 

「怒りの日」から17日経過。

膠着状態が続く中、ついに2月10日、ムバラクの退陣の噂が流れ、事態が動くかに思われた。

夜中から明け方近くにムバラクのスピーチがあるというので、ついにエジプト革命なるかと期待して待った。

エジプトの人々もいやがおうにも盛り上がっていた。

世界各国、特にアメリカもムバラクの退陣スピーチだと信じて疑わなかった。

オバマはこれからのエジプトへの期待と要望のスピーチまで行なった。

そして…

老いを隠すためのライトを目一杯当てたムバラクが現れた。

演説が始まった………

 

 

                    

 

 

……「辞めない!!」

タハリール広場全体は深い失望の闇に包まれた。

それが怒りに変わり、人々はガズマ(靴)を高く掲げてシュプレヒコールを叫び始めた

「ムバラク イルハル!ムバラク イルハル!」(ムバラク 出て行け!)

私と娘も失望して、不安に駆られながら画面を見つめていた。

大丈夫だろうか、エジプト。くじけてしまわないだろうかと…

 

 

 

 

 

 

 


犠牲者

2011年03月04日 | 日記

 

 

 

娘がエジプトからの帰還を果たしてからも、エジプトの動向からは目が離せなくなっていた。

娘と私は毎晩遅くまでネットに釘付けになっていた。

次々と衝撃的な事件が起こっていった。

 

 

                    

 

 

 

考古学博物館の展示品の破壊と盗難、暴徒化した親ムバラク派の正体

そして反政権デモの人々との衝突、犠牲者の増加。

ニュースが次々と入ってくるたびに胸が痛くなる。

 

 

                         

 

 

  

無抵抗に両手を広げて歩いていた青年が、無残にも親ムバラク派によって射殺された映像も流された。

こんな理不尽で信じられない事が、今!現実に起きていることに愕然とする。

犠牲となった方々の元気な頃の顔写真が、次々と紹介される映像も流れた。

若者が多い。中には女性も…。

 

 

                    

 

 

 

人間の歴史は権力や金、国土を広げるためなどの目的で、戦いを繰り返してきた。

そのたびに尊い命が簡単に奪われる。

今回の平和的に行なわれていたデモでも、親ムバラク派と治安警察による暴力で

365人もの(保健省調べ)多くの命が奪われた。

 

 

                    

 

 

 

いったいこの男達はわかっているのだろうか。

女がどんなに大変な思いをして、10ヶ月もの間 胎児を腹の中で育て、

どんなに死ぬほどの苦しみに耐えて、子どもをこの世に送り出し、

どんなに慈しんで、その子を育て上げてきたのか。

わかってはいないだろう。

わかっていたら、人は人の命を絶つなどということは出来ない。

犠牲者の方々は未来を断ち切られ、どんなに悔しく無念だったことだろう。

 

 

                    

 

 

 

しかし今、最も地獄の苦しみに身をおいているのは犠牲者のお母様ではないだろうか。

我が身よりも大切な我が子が、恐怖と絶望の中で亡くなっていったのだ。

その気持ちを思うと想像にあまりある。怒りがこみ上げてくる。

犠牲者の方々とそのご家族、特にお母様に哀悼の意を表さずにはいられない。

黙祷…