ダハシュールへやってきた。
のびやかで静かな砂漠が広がる。
鉄分の多い石で建造されたピラミッドの赤と、晴れわたった空の強い青の対比が美しく映える。
屈折ピラミッドの失敗を糧にスネフェル王は、ついにこの優しい姿の赤のピラミッドを完成させた。
唯一内部の撮影が許可されているピラミッドである。(2006年当時)
広大な外の世界と断絶され圧迫された空間の回廊を行く私は、一歩ずつ5000年前の過去へ遡っていく。
暗闇の中を照らしだすランプだけが、現在へつながる唯一のアイテム。
好奇心と少しの恐怖心が入り混じったピラミッド内部探訪を終え、元来た回廊を行く。
先に見える入り口から、溢れる明るい光を見た時は、ホッと安堵のため息がもれた。
ピラミッドエリアへ行くと、可愛いらくだ達に会える。
観光客を守る警官も、らくだが車代わり。
中には器用に、らくだの上であぐらをかいてリラックスしている警官もいる。
らくだに乗ろうと決意したら、毅然とした態度で料金を交渉して欲しい。
さて、お互いが納得したら、いよいよらくだの背中にまたがってみよう。
座高が高い!!よじ登ったら、いよいよここ一番の正念場。
しっかり持ち手を離さない事。
まず前足から立ち上がる。体が後ろ下がりになり「キャーーッ!」
すぐに後足も立ち上げる。今度は前のめりで「ギャーーッ!」
水平になって、あまりの高さに「ウワッ!」
ここまでクリアすれば、あとはアラビアのロレンスにでもなったつもりで、颯爽と砂漠の風を受けてエジプトを感じてみよう。
それでは、いってらっしゃい。
(慣れてくるとピラミッドをつっかい棒にしてこんな事もできます。良い子はまねしない)
今日はカイロタワーにやってきた。
展望台へ上がる。
と!そこはもうカップルのメッカ!
そうか!ここはエジプトの恋人たちのデートスポットなんだと気づく。
せっかく来たのでエジプトカップルの生態を観察していこう。
ムスリム(イスラム教徒)でも当たり前ながら、愛をささやく。
二人でクスクス笑っていたり、男性が一心に女性に話しかけていたり、
カイロの町を見ながら、寄り添っているカップルもいる。
しかしそんな程度で、過度にベタベタしている恋人たちは見当たらない。
そこはムスリムの節度を保っているのか。
その様子は少し前の時代の恋愛模様。
韓流ドラマのような恋人たちに「しっかりがんばれよ!」と思わずエールを送りたくなった。
ギザの大スフィンクスの眼前には、カイロの町が広がっている。
そして多くの人々が生活し、息づいている。
彼は何を見つめ続けてきたのだろうか。
朝は4本、昼は2本、夜は3本は何かという問いかけにあるように、
はいはいする赤子から、成人、杖をつく老人までの「人間」を見つめてきたのだろうか。
蜻蛉のように、はかない人間の一瞬の命のきらめきや喜び、悲しみ、おろかさを見つめてきたのだろうか。
カフラー王がモデルだといわれている大スフィンクス、遠い過去から現在に至るまで受難が続いた。
砂嵐のため、何度も首まで砂漠に埋まったり、マムルーク時代には砲撃練習の的にされ、鼻を失った。
そして現在は環境の変化による老朽化の危機にさらされている。
エジプト人はスフィンクスを親しみと畏敬の念を込めてアブルホール(怖いおじさん)と呼ぶ。
スフィンクスは、自分達を愛してくれて、時には叱咤してくれる、
そして全てを見通している近所の怖いおじさんなのかもしれない。
エジプトの各地で出会ったイケメンを紹介!!
娘と私の旅だったので、どうしても美系男子に目が向いてしまった。男性諸君はあしからず。
治安上ツアーポリスと呼ばれる私服警官がツアーを守ってくれる。銃を携帯している。
いわば私達のボディガードが彼!
アレキサンドリアの海水浴客を水から守るライフセーバー達
パピルス屋でバイトをしながら日本語を習得し、日本語ガイドになったナビール君
友人の息子さんでもうすぐ日本へやってくる大学生のアムル君。娘の良き弟分。
ハンハリーリで出会った将来楽しみな少年。
香水ビン職人の青年
ハンハリーリで働いている日本語勉強中の好青年アハマド君
黒髪に黒い瞳の神秘的な風貌とは裏腹に、彼らはよくしゃべり、よく笑う。そのギャップが好ましい。
もちろん美しい女性も数多くいた。
最後に男性諸君のために、美女を1人ご紹介!!
娘のアラビア語の先生のお孫さんでサグダちゃん。この子も将来楽しみである!!
日本語ガイドのワイールは、瀬名秀明氏が「八月の博物館」の取材旅行に訪れた際のガイドを務めた。
あとがきにワイールへの感謝の叙述がある。
田中四郎著「エジプトは誘惑する」には本文に実名で出てくる。
ハッサンは、日本の某有名会社のお茶のCMにガラベイヤを着て市田ひろみさんと共演した。
橋田壽賀子さん・泉ピン子さんのガイドも勤めた。
サウサンは、雑誌「FRaU」の取材旅行で鏡リュウジ氏のガイドとモデルを務めた。
ハムデーとアビールもほぼ完璧な日本語で、一緒にいると日本人と話しているような気になってくる。
彼らはカイロ大学日本語学科を卒業しているエリート達である。
特に日本語学科は狭き門とのこと。皆一様に勉強家で日本史などに精通している。
そして大の日本びいきである。
日本人の気質、戦後の復興の頑張りをほめてくれる。
日本文化の奥深さ、街や道路の美しさをうらやんでくれる。
日本製品や企業に全幅の信頼を寄せていてくれる。
自信を無くした私達が見失っている日本の長所を、心から讃えて思い出させてくれる。
この良き友人達の思いに、今の日本は答える事ができているのだろうか。
エジプトでも冬は寒い。
カルフールまで娘の冬の寝具を買いに行く。
タクシーで15分ぐらい走るとショッピングセンターが見えてくる。
二人でショッピングは久し振りなので、うきうきテンションがあがる。
エジプトで使っている携帯のプリペードカードをボーダフォンで買う。
前から欲しがっていたバッグを思い切って買ってやる。
冬用の掛け布団と毛布。本当にこれで大丈夫だろうか。
日用雑貨のコーナーで買った物の数々。
娘は欲しい物があっても、なぜか遠慮する。
エジプトの地で自由にやっている自分に、これ以上の贅沢はいけないと自分を律しているのかもしれない。
当たり前ではあるが、エジプト留学費用は自ら働いて捻出した。
予想以上に1人頑張っている。
今日の買い物は、娘へ贈るささやかな応援歌のつもりである。
歴代のファラオの中で、ラムセス2世ほど人間性が伝わってくる人物はいない。
エジプトの各地に彼の彫像が点在している。
代表的なものにアブシンベルの巨大な4体の像すべてが、ラムセス2世である。
なぜ4体か?若いラムセスから歳を重ねていくラムセスらしいが、違いがほとんど分らない。
彼の伝記は、勇猛果敢である。
ヒッタイトとの戦いでは、ほとんど負け戦であったところ、王であるにもかかわらず
一人で猪突猛進、敵を打ち負かしたとある。
戦だけでなく女性に対しても精力的で、7人の王妃と数不明の側室を持ち、
子どもにいたっては200人ほどいたといわれている。
第一王妃は世に名だたるエジプト三大美女の一人ネフェルタリである。
彼は当時の寿命としては奇跡的に90歳まで生きたといわれている。
そんな元気なラムセス2世も、現在はエジプト考古学博物館のミイラ室で眠っている。
その顔は、古代エジプトの1ページを力の限り 駆け抜けた王としての自負なのか、
好々爺として少し微笑んでいるかのようである。
広大な砂漠に、山のようにそびえ立つ人工物 ピラミッド。
黄金の光とオーラを放つ、永遠の美男子 ツタンカーメン。
古都テーベのネクロポリス群。
水没から救うため、世界がひとつになった アブシンベル神殿。
これらは5000年もの過去からのかけがえのない遺産。
そのエジプト文明の謎に魅了され、挑戦し続けた人びとが数多く存在した。
その中でもハワード・カーターはツタンカーメン王墓を発掘するまでは
経済的にどんなに困窮しても、母国イギリスへ決して帰ろうとはしなかった。
若くして早世したシャンポリオンは、ロゼッタストーンの研究を憑かれたように続け、ついにヒエログリフを解明した。
(シャンポリオンがしたといわれているサインの落書)
彼らの発見は、エジプトにますます輝きを加えることとなった。
エジプト学に生涯を捧げた先人達に感謝と尊敬の念を感じずにはいられない。