アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

エジプトとの出会い

2010年12月31日 | 旅行

 

 

高校生だった娘の携帯料金が、自分で支払えないにもかかわらず徐々に増え始めていた。

何度注意しても、反抗期まっただ中の娘はいっこうに減らそうとせず、私たち母娘の言い争いの種となっていた。

 

 

 

       

 

 

 

そんなある日新聞を見ていたら、エジプトツアーの広告に目が止まった。

娘は当時からエジプトに魅かれていて、図書館へ行くとエジプト関連の本や写真集をひんぱんに借りてきていた。

「これだ!」と思い、広告を切り抜いて帰宅した娘に見せた。

「携帯を節約したら〇〇ヶ月で、エジプトへも行けるんだよ。こういうのを生きたお金というの!」

「ふぅ~ん」と反抗しながらも、次の月からは使用料金が減っていった。

 

 

 

                              

 

 

 

娘が高校3年になった頃、大学が決まったら奈良へ母娘旅行をしようと約束をした。

そして、大学入学。

約束の旅行を考えていたら、以前のエジプトツアーの広告を思い出した。

『これからはきっと親との旅行にはついてこなくなって、これが最後になるかもしれない。

せっかくなら、思い出作りに思い切ってエジプトへ連れて行ってやろう。』

と天使か悪魔がささやいてしまった。

これがエジプトとの縁の始まりだった。

 

 

 

               

 

 

 

最後どころかそれ以降、高齢の母も加わって何度もエジプトを訪れることになる。

母も娘もそして私も、すっかりエジプトに魅了されてしまったからだ。

84歳の母は「私は前世はエジプト人だったに違いない。」と公然と恥ずかしいことを言う。

 

 

 

      

 

 

 

どこにそれほど魅かれるのか。

歴史ある遺跡、巨大なピラミッド、喧騒のカイロ、青く美しい地中海、明るく優しいエジプト人…

しかし言葉に出すと、どれもしっくりこない。

「恋人のどこが好きって、良いところも悪いところも全部好き!」

エジプトもそんな国。

恋人だといずれ熱は冷めるが、エジプトはなかなかそうはならない。

きっと深くて長い人間の歴史が、刻み込まれているからだろうか。

 

 

      

 

  

今年4月から手探り状態でブログを始めさせていただきました。

誤りも数多くあったかとは思いますが、根気よくお読みいただいた皆さまには本当に感謝しております。

ネタも写真も尽きかけておりますが、来年もなんとか続けていこうと思っております。

またご覧いただけたら幸いです。

今年もまもなく暮れようとしています。

皆さま良いお年をお迎え下さい。

 

 

                                

 

 

 

 

 

 

 


ツイッター

2010年12月28日 | 旅行

                     

 

今年2010年2月、ツイッターを始めた。

お陰で多くの素敵な方々とめぐり合うことが出来た。

 

 

                    

 

 

   

「今日も元気?」と声をかけていただく方々。

猫が好きな方からは、病気になった愛猫を励ましていただいた。

ガールスカウト56団の大切な仲間、スカウト活動に携わっていらっしゃるガール・ボーイスカウトの方々。

56団の元スカウトと、ツイッター上で再会できた時は嬉しかった。

世界じゅうを飛び回って、仕事と勉強に意欲的に取り組む女の子。

ガールスカウト集会のヒントをくださる 某NGOの代表の方。 JICA、ヒローラッツ活動の方々。

 

 

                      

            ブログアイコン・私の娘風クレオパトラ   &   息子風眼鏡ツタンカーメン

 

 

 歳を重ねられていても果敢にツイッターに挑戦されて、素晴らしいツイートで人生の指針を示してくださる大先輩。

温かい心和む絵画を描かれる画家の方。私の知らない外国のことを教えてくださる方。

男の子の子育てに戸惑いながらも、明るく仕事に家事に頑張っていらっしゃる方。

男女共同参画に関わる方々。素敵なイクメンパパとも友だちに。

大好きなショップの方とは、商品についていろいろツイート。

 各国に留学して、苦労しながらも逞しく生活している学生諸君などなど… 

 

 

                     

                                    

 

                      

もちろん!エジプトに関係する方々とも親しくさせていただけるようになった。

素晴らしいお仕事をなさっているエジプト考古学者の方々。

子育て奮闘中のエジプト大好きママ。エジプトの白砂漠に旅行されたエジプト通の方。

ブログを読んでいただくうちに、エジプトに興味を持ったと言ってくださった方。

 

 

                    

                        (娘も最近ツイッターを始めた。娘のアイコン)

 

 

一人きりで勇敢にエジプトを旅した女の子。

アラブ出身の礼儀正しいパンクロッカー。カイロ在住の小学生。 富豪のプライベートシェフさん。

ベリーダンス習得中の方。アラブ発掘に携わった方。ビジネスで世界各国、特にアラブを駆け巡って活躍されている方。

アラブ経済に精通されている方。遺跡中心の旅行会社を経営していらっしゃる方など。

 

 

                    

                     

                            (ツイッターの壁紙に使っている)

 

 

ツイッターの扉をクリックしなければ、一生めぐり合うこともなく、お互いの存在さえ知らず、

教えていただくことも、勇気付けられることも、触発されることもなかったのだと思う。

刻々と流れ去っていく沢山のツイート。でもツイートたちは確かに会話し息づいている。

刹那の命のツイートの流れでも、言葉が心に滲み入ることがある。

140字の世界に込められた思いを大切に、ツイ友に感謝しつつ

これからもツイッターを続けていこう! と思う 2010年の年の瀬である。

 

 

                       

                                   (娘の壁紙)

 

 

 

 

 

                  

 


サウサンのマンション

2010年12月24日 | 旅行

 

 

 

強行軍のツアーガイドを終えたサウサンは、疲れているにもかかわらず、

私たちを自宅に招待するため、ホテルに迎えに来てくれた。

あの大門の町で生まれた息子のカリーム君の車で、早速マンションへ。

ピラミッド通りを過ぎると、まもなく目的地のガダーティーにあるマンションに到着した。

 

 

      

 

 

 

薄暗い電灯のともる玄関を通り、シンドラー社の古いエスカレーターに乗り込む。

夜だったことも手伝って、タイムスリップして、

幼い頃の昭和のビルディングに迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。

 

いよいよサウサンの自宅へ到着。

扉を開けると、それまでの印象とはまったく違ったアラブの世界が広がっていた。

高級な調度。素晴らしいじゅうたん。ゴブランや美しいビーズで作られた、手の込んだタペストリー。

 

 

                 

 

 

 

そして、アラブの香料の良い香りが漂う。

サウサンの娘の大学生のジャスミンと小学生のモニアが、はにかみながら満面の笑みで出迎えてくれた。

 

 

                    

 

 

 

サウサンは、ひとつひとつていねいに部屋を見せてくれた。

部屋が3つ、シャワールーム、台所、トイレ、リビング、ダイニングをいれると、結構な広さだ。

贅沢すぎるが、娘がお借りする部屋の間取りとほぼ同じとのこと。

 

 

             

 

 

 

次にサウサンが「一番の自慢はこれ!」といって、誇らしそうにベランダへ案内してくれた。

すると目に飛び込んできたものは…!

なんと音と光のショーのライトアップで白金のように美しく浮かび上がったピラミッドだった!

このピラミッドには、人間なら誰しも ハートをわしづかみにされるだろう。

 

 

                    

 

 

 

白熱灯の温かい明かりの下、アラブ風の長いソファでくつろぎながら

ジャスミンが入れてくれた美味しいミルクティをいただいていると、

ここがエジプトだということも、ベランダから見えるピラミッドも、温かいエジプト人のご家族と談笑していることも

すべて夢の中の出来事のような気がしてきた。

なんと素敵な夢だろう……。

 

 

 

     

                  (右に座っているモニアは娘の滞在2年間でこんなに大きくなった。)

 

 

我に返った私は、不思議なご縁の大好きなサウサンと、この可愛らしいご家族なら、安心して娘のことをお願いできる

こんな幸運なことはないと判断し、アフマド氏のマンションをお借りしたいとサウサンに申し出た。

 

エジプトとの絆がますます深まり、娘の留学が決定的になったこの夜のことは、決して忘れることができないだろう。

そして、あのベランダに姿を現わしたピラミッドの美しさも…。

嬉しさと安堵と寂しさとが複雑に絡み合った気持ちを抱いたまま、私たちはサウサンのお宅をあとにした。

 

 

 

 

 

 


サウサンとの不思議な縁

2010年12月21日 | 旅行

 

 

「切りかけのオベリスク」を諦めて、サウサンにのってもらった相談とは、

留学先の住居のことだった。

当初、アラビア語教室の先生のカイロのお宅をお借りする予定だったが、

奥様が重篤なご病気にかかられ、それどころではなくなったのだ。

 

 

 

                    

 

 

 

そこで、人となりに大変好感を持った日本語ガイドのサウサンに相談してみた。

彼女はカイロ大法学部出身であるにもかかわらず、離婚を経験してからガイドに転身。

女手ひとつで、立派に三人の子どもを育てている素晴らしいスーパーウーマンだ。

「私の隣の棟のマンションに、離婚した夫の部屋が空いてるよ。一度見てみる?」と言ってくれた。

 

 

 

                    

 

 

                   

行動的な彼女は、その場で元夫(今でも仲良しのようだ)に電話。

ペラペラ早口のアラビア語で会話して「はいっ!!」と私に携帯を渡した。

「大丈夫!彼は日本語ペラペラね。」

すると「はじめまして、アフマドといいます。」と、低い素敵な声。

どう考えても日本人ではないかと思われる程、流暢な日本語だったので一安心。

 

 

 

                   

 

 

 

アフマド氏は、現在カイロ大の教授をされているのだが、

日本語学科第一期生だった若き頃、サウサンと二年間日本に留学経験があるとのことだった。

その留学先の小さな町で結婚、この町で第一子のカリーム君が誕生した。

そこで、その町の名を聞いてみた。

 

 

 

                    

 

 

 すると、アフマド氏の口からついて出た町の名は 「名古屋の中村区の大門というところです。」

「えっ!!」私はエジプト人であるアフマド氏が口にした町の名が信じられなかった。

なんと!それは私が生まれて育った町、懐かしい故郷の町の名だったのである。

ホームスティをしていたという薬屋さんは、もちろん近所の店。

 

 

 

               

    (サウサンからの手紙を持ってホームスティ先の薬屋さんを訪れ、ご夫妻にお渡ししたら大変感激して下さった)                    

 

 

さらにアフマド氏は、私の実家だったテーラーの場所と店の様子まで、鮮明に覚えていてくれた。

 

 

 

     

              (カイロ)                          (昔は中村遊郭で賑わった大門の表通り)

 

 

娘がこよなく愛する アナザースカイ エジプト。

サウサンとアフマド氏が、第二の故郷だといってくれた大門の町。

はるか遠く隔たったエジプトと日本の小さな町が、意外なところで繋がった。

 

 

 

              

                 (カイロの映画館)                     (大門・味噌煮込みうどん山本屋)

 

 

こんなにも広い地球上で、この二つが結びついた偶然の不思議。

あまりの驚きと感動で、私は部屋を見るまでもなく、もう心を決めていた。

 

 

 

                      

                                        

 

 


アスワンハイダム・切りかけのオベリスク

2010年12月17日 | 旅行

 

 

 

一通の少女からの手紙と募金が、かけがえのない遺跡を水没から救うきっかけとなったと聞いた。

手紙を受け取ったユネスコは、世界じゅうの学者、建築家たちに呼びかけ、

水没の運命にある遺跡の移築アイディアを募り、研究を重ねた。

国境を越え人種を越え募金が集まり、奇跡の移築作業は、見事成功を収めた。

 

 

 

                     

 

 

 

こんなエピソードを聞くと、戦争で破壊を繰り返す我々人間にも、建設的な行動がとれるのだと、ほっとする。

世界がひとつになった行動のお陰で、アブシンベル、イシス神殿などの過去からの贈り物は、今も美しい姿を留めている。

 

 

                     

                             (アスワンハイダム記念塔)

 

水没危機の原因となったアスワンハイダムは、

現代のエジプトにとっては、それでも建設しなければならなかったダムのようだ。

古代エジプト文明と近代化のジレンマ。

 

 

      

 

 

 

複雑な思いに駆られながら、青いナセル湖の水をたたえたアスワンハイダムに別れを告げ、

次に向ったのが「切りかけのオベリスク」のあるアスワン南部。

 

 

                    

                    (後ろに写る人影と比較するとわかる巨大なオベリスク)

 

 

オベリスクとは、先端部がピラミッド状になった巨大な石の柱で、モニュメントの一種だと言われている。

約4000年前から、多くのファラオが競うように建立し続けた。

 

 

                    

                           (石切り場はこんな高台にある)

 

 

はるか昔にデザインされたとはとても思えない、近代的センスを感じさせる花崗岩の石柱である。

「切りかけのオベリスク」は完成していれば、長さ42m、重さ1170tにも及ぶエジプト最大のものであったらしい。 

 

 

   

 

 

 

実は私はこの「切りかけのオベリスク」を見ていない。

ガイドのサウサンと、お茶を飲みに行ってしまったからだ。

娘が一人奮闘して、フォトを撮ってきている。

 

 

                    

                            (切り口はあまりでこぼこがない)

 

 

 

「切りかけのオベリスク」を諦めてまで、お茶をしたのには理由があった。

サウサンにある相談をしていたからだ。

その顚末は 次回に…。

 

 

 

 

 

 

 

 


日本人会・秋祭り

2010年12月14日 | 旅行

 

 

「お母さん!私でも皆さんに喜んでもらえた仕事があったよ!」と嬉しそうなメールが届いた。

日本人会・秋祭りでのことらしい。

 

 

                    

 

 

秋祭りではいろいろな炊き出しを作るが、今回はなかなか薪に火がつかなかったようだ。

そこで、娘の出番となった。

 

 

                    

  

 

ガールスカウトキャンプでは、小学生の頃から火起こしが大好きで、いつもその役割をかって出ていた。

火を上手く操って、パチパチと音を立てて炎が燃え上がるさまは、確かに達成感を味わえる作業だ。

煙にまかれて黒いススをつけながら、次々と火をつけて回ったらしい。

 

 

                     

 

 

        

                                              (ガールスカウト時代の火起こし)

 

                                      

                                (可愛いスカウトたち)

 

 

お祭りとなると血が騒ぎ、いつも以上に張り切る娘の様子は、まさに私の血を引いている。

「どうしてそんなに上手なの?煙くないの?」と聞かれた娘は

「だって、ガールスカウトですもん!!」と誇らしげに答えたらしい。

 

 

                    

                             (青年海外協力隊の方たちと)

 

 

火がついてしばらくすると、エジプトの空の下、焼き鳥やお好み焼きの香りが漂いはじめて

泣きたいぐらい懐かしかったようだ。

会社のボスや仲間が、千明を心配して様子を見に来てくれた時は、

「なんか、保護者会にやって来た親のようで、テレくさかったけど嬉しかったよ。」と言っていた。

 

 

     

 

  

秋祭りは、異国の地で大変な仕事をされている日本人の方々の、ひとときのバルサムになっているのだろう。

日本を感じて味わって英気を養い、また明日からエジプトや日本のために、元気に頑張っていただけるのだと思う。

 そんな素晴らしい方々にお会いできて、娘はきっと何かを感じたのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 


エジプトで働く

2010年12月10日 | 旅行

 

 

生活が軌道に乗ってきた娘に、日本語ガイドの友人から仕事の話をいただいた。

空き時間を有効に過ごすためと、生きたアラビア語の勉強にもなるからと働くことを決意。

 

 

                   

                             娘のデスク。散らかっている。

 

     

                                    「サッカーラ」の皆さん

 

 

エジプトでは、アンミーヤ(エジプト方言)を話すことが出来る日本人の仕事はけっこう多い。

「サッカーラ」という旅行会社で働くことになった。難をいえば、通勤時間に2時間半程かかること。

 

 

                    

                        乗り合いバスを見つけてこれから出勤!

 

 

朝6時起きで、乗り合いバス、公共交通機関を3つ・4つ乗り継いで出勤。

5ヶ月程頑張ったが、一時帰国を区切りに退いた。

 

 

     

                                「サッカーラ」の皆さん

 

 

次に働くことになったのは、ボス、ボスの弟、弁護士の友人、娘の4人だけのアットホームな旅行会社だ。

 

 

                    

 

 

 

ボスは、娘曰く「天使のようないい人」だそうで、「エンジェル・ボス」とあだ名をつけた。

へんな関西弁の日本語を少し話すことが出来るらしい。

 

 

                    

                           エンジェル・ボス オフィスを改装中

 

 

 

最近友人に頼まれ、週に1回インドネシア人学校の子ども達に、日本語を教え始めた。

ガールスカウト活動から離れて寂しい思いをしていたが、リーダー経験を生かして楽しくやっているようだ。

 

 

                    

 

 

 

そして九州大学のカイロ事務所の手伝いも始めた。

 

 

                    

 

 

 

いずれも就業時間が短いので、このような仕事のかけもちが可能なようだ。

周りが全てエジプト人の中で働くことは大変だと思うが、元来、机の前での勉強よりも働く方が好きな娘。

仕事のお陰で、アラビア語も少しは上達したのではないかと思う。

まさに「習うより慣れよ」である。

 

 

                    

                               オフィスがあるビル

 

 

そしてプロとしては間に合わない事も多いだろう娘を、温かく迎えてくださったエジプトの方々に感謝。

今日も明るい日差しの中、元気に早足でタハリール広場を闊歩していく娘の姿が目に浮かぶ。

 

 

 

 

  

                    

 

 


エジプトの友人たち

2010年12月07日 | 旅行

 

 

留学してしばらくは、家の中で大人しくしていた娘も、学校見学や長期ビザの取得、食材、日常用品の買い物などで、

外へ出ざるを得なくなった。

 

 

     

          (妹のようなモニアとノハ)               (カイロ大法学部のジャスミン・弁護士を目指している)

 

 

一人でエジプトを歩くために、エジプト人の友人に教えてもらったギザ・カイロの地図を、徹底的に頭にたたき込んだようだ。

本来、外向的な娘の行動範囲が広がるにつれ、エジプト人の友人も増えていった。

 

 

     

          (弟のような高校生アムル)                 (日本語ガイドになったマイとヌール)

 

 

 

「エジプトへ行ったら、エジプト人になりたい!」と言っていた娘は、

外国人がほとんど乗ることのない乗り合いバスを利用することが出来るようになっていった。

もちろん経済的な理由もあって。

 

 

     

            (アラビア語の先生)                      (アラビア語の先生の娘さんといとこ)

 

 

 

エジプト料理も友人サウサンに教わり、少し作ることが出来るようになった。

ローカル料理、羊の脳みそも大好物になった。

 

 

       

         (ラクダ乗りのボスのワリード)                (日本でのアラビア語の先生の親戚の方々)

 

 

 

友人が増えたお陰で、夜のハン・ハリーリも平気で歩けるようになった。

エジプト人から道を尋ねられるようにもなった。

外国人がほとんど要求しない、ピアストル単位(25ピアストル4円ぐらい)のおつりも、きっちりもらうようになった。

 

 

     

                                               

 

こんな事があったと聞いた。

広いハン・ハリーリの初めての店で、友人へのお土産にシーシャ(水たばこ)を買った。

その後、ハン・ハリーリの友人とお茶を飲んでいたら、シーシャの購入価格を聞いてきた。

価格を知った友人は、突然喫茶店を出て、しばらくして戻ってきた。

手には1000円相当のエジプトポンドを持って…。

「友だちの千明にその値段はだめ!取り返した!」と言ってくれたとか。

娘は仲間だと認められたようで、すごく嬉しかったと語った。

 

 

     

        (ハン・ハリーリ本屋のご夫妻)                   (ハン・ハリーリの愉快な店員さんたち)                   

 

 

その国の大地を歩き、同じ物を食べ、宗教や風習を理解して、愛と敬意を表して住まわせていただく。

外国人である私たちの最低限のエチケットだと思う。

そうすれば、寛大で優しくフレンドリーなエジプト人は、きっと友人として温かく迎えてくれるはずである。

 

 

                    

                           

 

 

 

 

 

 

 


病気

2010年12月03日 | 旅行

 

 

娘は一人暮らしを始めて、1週間も経たないうちに、こっぴどいエジプトの洗礼を受けた。

ひどい下痢と発熱が、2,3日続いたらしい。

まだ慣れないエジプトの広い部屋にひとりぼっちで横になり、夜を迎えた時は

さすがに「日本へ帰りた~~い!!」と思ったそうだ。

 

 

                    

 

 

エジプトの水道水は外国人にとっては危険である!

ツアーガイドは、飲むのはもってのほか!洗顔、歯磨き、コンタクト洗浄に至るまで、

ミネラルウォーターで行うように指示する。

 

 

                    

 

 

 

水道水で洗った生野菜やフルーツ、水道水の氷の入ったジュースも危険。

恥ずかしながら、私も過去2回食中毒をやった。

2度ともつい忘れて、サラダやフルーツを食べてしまったからだ。

食べると、律儀にキチンと食中毒はやってきた。

 

 

      

 

 

 

しかし、前回娘のマンションを訪れた時には、もっと大変な事が起こった。

娘はその日は出勤で不在。

私は台所へいって、流しの少し横にあるペットボトルの水を沸かしてコーヒーを飲んだ。

 

 

                     

 

 

夕方帰った娘が、台所へいき悲鳴をあげた。

「このペットボトルの水!断水用に1ヶ月以上前から置いてあった水道水だよ!!」(正真正銘の事実)

もちろん、その後は罵詈雑言の大げんか!

そしてその夜は救急車を覚悟した…。

 

 

               

 

 

ところが、気がついたら長い夜は明けて、気持ちよく朝日が差し込んでいた。

 

 

                     

 

 

沸かしたから良かったんだろうか? しかし思い出していた。

湯を沸かしている時「どうしてなかなか沸騰しないのだろう?」と適当に火からおろしてしまっていた事を…。

恐ろしいような、訳のわからないようなエジプトの水道水。

皆さんもエジプト訪問の際は、ご注意あれ。