ナイロビまで6時間。
後方へ流れ去る町や村を眺めて走る。
途中から、滑らかな道路に変わる。中国が行っている工事だ。
私は、エジプトと今訪れているケニアしか知らないが、
2003年頃訪れたエジプトでは、自動車、電化製品、携帯電話など日本製品が溢れていた。
それが訪れるたびに中国・韓国製品が増加していき、日本製品は減少していった。
世界の舞台で勢いがあり、技術力を誇り、尚且つ貢献支援もしていた日本を知る者としては、
やはり一抹の寂しさは否めない。
「ケニアで最後のお土産屋さんだよ。何分でもいいよ。」とジョージさんが車を止めた。
布に「ヌーの大移動」が描かれたアート。
土産屋の外装がおしゃれ。
ここの店員さん、日本語がペラペラ。猛勉強中とのこと。
娘はジョージさんが気を利かせて連れてきてくれたと言った。
応援のつもりで、日本の100円……1円までの硬貨をプレゼントしたら、大変喜んでくれた。
そして、ケニアの買い物で気がついたこと。
以前のエジプトのように「日本のボールペンを持っていたら欲しい。」と、どの店でも言われたこと。
もしこれからケニアなどを訪れる方は、ぜひポールペンを持参するといいと思う。
そして もうひとつ、レジ袋問題が日本でも報道されているが
ケニアでは環境保護の観点から、2017年8月ポリ袋禁止令を施行し実践している。
全ての店で不織布の袋か、ペーパーバッグを使っているという徹底ぶりだった。
土産屋が飼っているニワトリの中に、なんとサファリでは会えなかったホロホロ鳥(ちょう)を発見!
「愛染かつら」のほろほろ鳥(どり)は作詞家 西條八十氏が考えた架空の鳥らしい。ちょっとがっかり!
(若い人はここは流してくれていいです)
見納めの地球の溝。グレートリフトバレー。
行きと違い、なにか寂しげに映る。
ジョージさんが「家に土産を買っていきたいけど、車を止めていい?」と聞く。
「どうぞどうぞ!どれだけでも」
休憩や土産屋で、いつも時間をオーバーして、
その後のドライビング計画に迷惑をかけてしまったと思う。
あんな長距離ドライブと悪路が待ち構えているとは知らず、
本当にごめんなさい。
それでもいつも笑ってくれていた。
自由にさせてくれて、本当にありがとう。
ジョージさんは、しこたま野菜を買い込んでいた。
今日この旅から解放されたら、いっぱい食べてゆっくり休んでほしい。
町の様子が近代的な建物に変わってきた。
ナイロビが近い。
「ケニアで最後のランチだよ」と連れてきてくれたレストランは、
肉の食べ放題の店・ナイロビ「カーニバルレストラン」
ビーフ、チキン、ラム、ワニ、ダチョウなどの肉が炭火で焼かれている。
外で食べたいと思い、外の席へ。
ジャングルの中にあるようなレストラン。
サラダや肉用のソースいろいろ。
食べ放題なので、もうお腹いっぱいなら、てっぺんにある旗を降ろして降伏。
ジュウジュウの鉄板皿に、席まで持ってきた肉を削ぎ切りしてくれる。
ビーフ、ラム、チキン、ワニ、ダチョウ 全て食べた。
又やって来た店員さんが「slice of KINTAMA」と言うので
「はぁ~~?どういうスワヒリ語?」と思ったら
本当に日本語で「牛の〇玉」の部位だった。
娘が挑んでいた。
エジプトでは、モッホ(羊や牛の脳みそ)のから揚げも平気で食べる。
イケる口なのだ。
食事が終わった。。。。
ジョージさんがナイロビ国際空港まで送ってくれる。
二人とも目に力が無い。
とうとうナイロビ国際空港に到着。
ケニア滞在中、ほぼ一緒に過ごしてくれたジョージさん。
娘のスワヒリ語、ケニア情勢、動物などの質問に真摯に答えてくれていた。
私達にひとつでも多く動物を見せようと頑張ってくれた。
子どもや動物とすれ違うと、愛おしそうに笑っていた。
綺麗な水や教育の為のボランティアも行なっていると言っていた。
この高潔な人物は、素晴らしきケニア人の象徴なのかもしれない。
空港で別れる時、感極まって私と娘は泣いてしまった。
ジョージさんも顔をクシャクシャにして泣いた。
後ろ姿を見送った時の彼は、私達と過ごした5日間の中で一番ゆっくり歩いて去っていった。
初めて彼の老いを見た気がした。
一期一会は本当に切ない。
しかし、私の人生の中での このわずかな時間の5日間を、ジョージさんを、
私は決して忘れない。
アサンテ サーナ ジョージ ありがとうございました ジョージさん
アサンテ ケニア ありがとう ケニア
私達はこの後タンザニア、ザンジバルへ向かう。