日本に居ながらにして、再びツタンカーメン王に会うチャンスが訪れた。
日本での再会は47年ぶりだ。
当時小学生だった私は、ミイラと共にあった秘宝を見るとのことで、好奇心と少々の恐怖心でドキドキしながら
祖父に連れられ京都博物館へ。
今から思うと、燦然とエジプト色を放つ秘宝の数々を見た瞬間
私の頭には“エジプト”がインプットされたのかもしれない。
47年が経過したが、当時の図録が処分することもなく私の本箱に収まっている。
今回の「ツタンカーメン展ー黄金の秘宝と少年王の真実ー」では
門外不出の黄金のマスクを除いても、なんと107点もの遺物が展示されている。
全展示品、新王国時代第18王朝のものばかりという、こだわりのツタンカーメン展となった。
入場者の行列の負担軽減のため、整理券が配られたり、
展示場までのイントロダクションに配慮と工夫が凝らされたりしていた。
なんといっても展示法が素晴らしく、
エジプト考古学博物館では雑然と展示されている遺物が、数段輝いて鎮座していた。
展示会場では、いろいろな会話が耳に入ってくる。
子どもに説明する親、年配の夫婦、友人同士の話を聞くともなく聞いていると
驚くほど展示品に関する知識が深い。
ツタンカーメン王の威力と人気は絶大である。
今回、ツタンカーメン展のプロデュースにご活躍されている廣田さんとお会いすることができた。
廣田さんは元早稲田大学古代エジプト調査隊で、太陽の船の発掘にご尽力された。
また日本情報考古学会の理事を務められ、今回このツタンカーメン展の監修という大役を見事務められている。
以前からtwitter、facebookでお話させていただいていたので、初めてお会いしたにも拘らず、
約束の場所に颯爽と現われた方がすぐに廣田さんとわかり、思わず旧友のように手を振ってしまった(笑)。
お忙しい中、ツタンカーメン展の興味深いお話などで楽しい時を過ごさせていただいた。
そしてもう御一方、facebookの友人、天白松嵐先生にお会いすることが出来た。
天白先生もやはりエジプトに魅せられた方。
ヒエログリフと和を融合された、素晴らしい作品を描かれる。
東北大震災の被災者の方々へのメッセージを織り込まれた作品も多く、
じっと鑑賞していると、先生の温かい愛情に包まれて安心できるような感動を覚えた。
現在、ツタンカーメン展の近くの天保山マーケットプレースの3階ギャラリーで展覧会を開催していられる。
ツタンカーメン展のお土産の数々。
ツタンカーメン麺、トートバッグ、ファラオピッピやフォラオ・スフィンクスキューピー、
クリアファイル、ノート、Tシャツ、パーカー、ツタンカーメン麺 等々
写真のビリケンさんは、番外編。別のところで大阪土産として購入(笑)
再びエジプトへ戻ることを願って、足の裏をさすっている。(ビリケンさんの足の裏をさすると願いが叶うらしい)
5月10日時点で入場者数が43万人に達したようだ。
ツタンカーメン展は大好評につき、一年延期との話も聞いている。
エジプトは革命以来暗い話題が多く、明るい太陽の光が降り注ぐエジプトに影を落としていた。
今回のツタンカーメン展の成功は、そんなエジプトが本来の姿を久々に現わしてくれたような気がする。
廣田さんのご活躍は勿論のこと、エジプト政府、エジプト関係省庁、エジプト考古学博物館の方々のご尽力は大きい。
しかし、どうしても忘れてならない偉大な功績の人物がもう一人存在した。
それは他ならぬ キング・トート・アンク・アメン ツタンカーメン王である。