アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

15,旅の終わりに

2018年10月29日 | 旅行

 ガールスカウトや、友人、主治医の先生に心ばかりのお土産を。

  

可愛い鉛筆や、革製のしおり、木製のスプーンやキーホルダー、マグネット、小さな動物。ほぼ手作りで、個性的な雑貨達。

  

夫には、マサイマラTシャツとザンジバルシャツ。

「水曜どうでしょう」ファンの息子へ「ビッグ5」のキャップを。

息子のパートナーには、娘とお揃いのマサイ族が描かれたスカーフ。

  

キリン2体とブリキのサファリカーは、この旅の思い出に。

ケニア、ザンジバルで買ったアフリカンなアクセサリーは、私と娘用。

まん中のペンダントは、マサイビレッジで。ライオンの牙がペンダントトップ。

    

ザンジバルの市場で買ったスパイス各種。

マサイシュカは、娘用と娘の友人用。

気になっていたことといえば、ケニア旅行中、ナクル湖でガイドのジョージさんとその親友が久しぶりに会えた時、

「親友の写真撮って」といわれて撮ったが、ジョージさんが携帯を持ったところを見ていない。

せっかく撮った写真、どうやってジョージさんに送ろうかと考えていた。

後日、娘が旅行会社のFBサイトを見つけたので、ジョージさんに届け~と投稿したら、

旅行社や、ジョージさんを知っている人達が気付いてくれた。

そして彼のことを誇りに思っているというコメントも。

きっとジョージさんに写真と気持ち届いたよね。届いたとしたら、便利な世の中に なったもんだ。

Shades of Africa Tours and TravelのFBサイトはこちら→

https://www.facebook.com/Shades-of-Africa-Tours-and-Travel-937482799603901/

この旅の終わりに。

娘へ 心からのありがとうを。

非日常の9日間は、今後も何度も反芻したくなる旅となった。

 

圧倒的な自然に驚き、懸命に生きる動物達を見て感動し、人々の温かさに癒され、別れに感極まって泣いた。

テントの宿泊では 被災者にここまで豪華で無いにしても、こんなテントが用意出来れば、劣悪な環境から脱することが出来るのにとも思った。

65歳になった私が 心躍り学び考えた若き日を、取り戻せたかのような9日間だった。

いつも傍らには、娘の微笑みがあった。(母娘ゲンカは一度もしなかった)

アラビア語ほど堪能でなかったはずの英語を駆使していた娘の姿も、眩しい思いで見つめていた。

ふたりでケニアとザンジバルに足跡をつけていった旅!

最高だったーーーーー!!!もう一度 ありがとう!!!

そして、アドバイスをくれた元ケニア隊Naoki君 ありがとう!

2012年、ケニアの野球振興に尽力するNaoki君のプロジェクトでミサンガ支援を行ったことがあった。

うちにはマサイの子も昔からいたっけ。

ご縁があったケニア。

最後にケニア・ザンジバル旅行記をご覧いただいた皆様。ありがとうございました。

ケニア・ザンジバルは遠そうで近い国。

彼の地はエジプト同様、温かく優しい国だったことを申し添えておきます。

「ハクナマタタ」(心配ない)は、何度も聞いた言葉であり、その言葉が随所に使われている曲「ジャンボ・ブワナ Jambo Bwana」

今もこの曲が脳内に流れ続けています。

こんにちは!ダンナ!素晴らしいケニアは心配ないさ。

">Jambo Bwana



14,光と陰のストーンタウン

2018年10月27日 | 旅行

ピンチを切り抜け、ベッドで眠ることが出来た夜が明けて。

朝食をとる。

欧米人と思われる観光客が圧倒的に多い。

休暇も羨ましいほどあって、バカンス上手な欧米人は

素敵なところを良く知っている。

「オロジョ」というローカルなスープにも挑戦。

ライムで酸味をつけ、じゃがいも団子や肉、ゆで卵をいれたもの。

クセになりそうな味。

この旅の最終日は半日ガイドさんをお願いしてザンジバルを巡った。

ここからはガイドさんの説明。

驚嘆の家(The House of Wonder)

かつてスルタンが式典用に立てた宮殿。

当時としては、画期的なエレベーターや水洗トイレがあったので

「驚嘆の家」と呼ばれた。

  

「オールド・アラブ要塞」の近く

なんと見覚えのあるマークが!

 イギリス領だった頃のガールスカウト(ガイド)のテニス場跡があった場所だそうだ。

  

 どこか懐かしい建物のお土産屋が並んでいる。

  

ガイドさん

ザンジバルは16世紀初めは、ポルトガルに占領されていた。

ポルトガル人の住居や教会のあった場所にこの砦が建てられ、

アラブからの攻撃に備えた。

現在はこのスタジアムの舞台で、ライブなどが行われている。

で、アラブ砦でひと休み。

石に座っていたら、ヘナタトゥー師のマダムがイスを差し出してくれた。

みんな優しい。

ストーンタウンを再び散策。

なぜかカイロ ・モロッコ ・アレッポの落書きを見つけた。

この情緒ある佇まいは、Emerson Spice Hotel

   

活気あるフングニ魚市場、市営マーケットと巡る。

マーケットでゲバラTシャツの若者から、スパイスを買う。

クミン、シナモン、コリアンダー、ブラックペッパー、レッドチリ、カルダモンなど。

料理の上手い夫なら使いこなすはず。

旧奴隷市場跡にやってきた。

衝撃的な石像が現れる。

スウェーデン人の彫刻家によって造られた奴隷5人の石像。

専門ガイドさんの説明。

19世紀、世界の奴隷貿易の中心はザンジバルだった。

イスラーム商人は、アフリカ大陸内陸部から非ムスリムの黒人を奴隷にして市場まで連行し、インドやアラビア半島へ輸出していた。

イギリスが奴隷貿易を廃止させようと試みたが、この頃のザンジバル経済にとって、奴隷貿易は不可欠となっていた。

1896年、英国艦隊はスルタン宮殿に砲撃。 スルタンは降伏、ザンジバルの奴隷貿易はやっと廃止となった。

  

地下へ降りると、奴隷が収容されていた生々しい空間があった。

奴隷取引の間、この地下室に息もできないほどの大人数が閉じ込められ、多くの人々が飢えと窒息で亡くなった。

まさに、この場所でだ。

屈まないと移動できない高さのこのスペースには、女性子どもが70人ほど収容されていた。

この劣悪な環境のもと、人を酷使し尽くす人な奴隷制度は1896年まで続いたという。

奴隷にされた人々の壮絶な辛苦が浸み込んだこの場所を、ザンジバルは負の遺産として保存、公開している。

忘れてはならない記憶として。

旧奴隷市場跡に建てられた大聖堂(Cathedral Church)からは、

鎮魂の悲しく美しい讃美歌が流れていた。

情報を提供してくれた専門ガイドさんと。

  

ストーンタウン町巡りに戻る。

額縁やプレート。色、デザインも素敵だ。

  

飾り付けが可愛い土産屋 

ローマカソリック教会

フレディ・マーキュリーがここストーンタウンで生まれたことも知った。

ここは彼の生家。

両親は、ペルシャ系インド人であるパールシー。

裕福な層や政治的に影響力をもった人々が多いのが、パールシー。

彼は、インドの全寮制の英国式寄宿学校生活を経て、1963年にザンジバルに戻り家族と一緒に暮らし始めた。

しかし、翌年ザンジバル革命が起き、17才のフレディと家族は、ザンジバルを離れイギリスへ渡った、という経緯があった。

11月9日から公開される映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、

ロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディを描いた伝記ドラマだと知った。

必ず観にいきたい。

 

半日付き合ってくれたガイドさんに別れを告げ、

テンボハウスのカフェで海を眺める。

残り時間は少ない。

ザンジバルの空と海の空間に、あとしばらくは存在していたい。

海を眺めながら、娘とこれまでの旅を振り返って「楽しかったねぇ…。」と思い出してクスクス笑った。

夕暮れが迫る頃、ザンジバルを後にする。

美しい町だったストーンタウン。

しかし様々な文化が共存する平和なザンジバルにも、光と陰があった。

どこの国でも、どの場所でも存在する負の歴史。

人間はしようがない性の生き物だ。

息が詰まる収容所は、漆黒の闇のような絶望に包まれ、

珊瑚礁の白い町と波飛沫は、眩しく光り輝いていた。

乗り継いだ飛行機の中、
窓から見えたカタールの町は、フィナーレのように輝いている。
 
今、カタールも飛び立った。
 
あと11時間で、この旅も終わる。

13,ザンジバルで大ピンチ!

2018年10月26日 | 旅行

ザンジバルに着いたのは、とっぷり日が暮れた頃。

娘の協力隊仲間、ケニア隊の友人から勧められた場所。

ここへ来るために黄熱病ワクチンを受けてきた。

恥ずかしながらザンジバルという名称は「ガンダム」でしか知らなかった。

本当に実在した地名とは。

タンザニア・アフリカ東海岸インド洋上にある沖縄よりやや大きい島で、

2000年にザンジバル島にある町「ストーンタウン」が世界遺産に登録されたという。

娘がセッティングしてくれた アンティークなホテル「テンボハウス」

テンボはスワヒリ語でゾウだそうだ。

  

ホテルに足を踏み入れて感激。

なんてアンティークで素敵なホテルだろう。

「植民地の」という意がある「コロニアルスタイル」で、

イギリスなど支配した国の様式を、植民地向けに実用化した建築物だ。

  

ベッドはインド風。部屋の家具も全てアンティーク。

アラブ風の浴室も素敵だったが、2連泊に油断して撮り忘れてしまった。。。。

キャーキャー♪二人で興奮していたが、明日のために早く休もう。

  

おはよう!

海の見えるダイニングで朝食。

オムレツ名人の手さばきも鮮やか。

ヒートアップしたケニアから対極にあるような おっとり優美なザンジバル。

ここではクールダウンのつもりでゆっくりしたい。

しかし、タイトルにある「大ピンチ」はこの日の夜に訪れる。

  

まずはホテル内の「コロニアルスタイル」鑑賞。

この窓辺は、宮沢りえさんの若き日の写真集「Santa Fe」を思い出した。

  

1階のフロント付近。

博物館のようにアンティークな日用品も並んでいる。

私達の部屋は、3階 右から3番目。

  

ビーチを散策。

乗船するのが大変そうなボート。

海岸沿いにお土産屋が並ぶ。

  

フォロダニ公園には猫が多い。

野良なのに、人懐っこくて のんびりしているのは、

エジプトのように、地元の人々に可愛がられているからだろう。

 

ストーンタウンは迷路のようだ。

アフリカ、アラブ、インドの文化が入り混じる摩訶不思議な町。

ザンジバルは、かつてオマーン領やイギリス領(インド移民多数)だった歴史があった。

宗教はイスラム40%、キリスト教40%。

だから多くのムスリム、ムスリマともすれ違った。なんだかホッとする。

「アッサラーム アレイコム」と挨拶を交わす。

  

 19世紀ストーンタウンを作ったオマーンの王の影響で、

アラブ文化が花開き、荘厳なドアにアラブ文様を施したいわゆる

「ザンジバル・ドア」も多く見かけた。

ティーブレイクで立ち寄ったカフェ。

ブラウニーとジンジャーティが美味しかった。

タンザニアが生んだポップアート「ティンガティンガ」

観光客の女性が「2人一緒に撮りましょうか」と言って撮ってくれた。

ホテルに一旦戻ると、

ハウスキーパーの可愛らしい女の子が部屋を整えていてくれた。

ベッドの上を見ると、なんて可愛いタオルアート!

ゾウとウサギかな?葉っぱをちぎって付けられた目も可愛い。

心のこもった作品に感激して、記念写真。

可愛くて、このまま持って帰りたくて、

シャワーの時タオルに戻すのがためらわれた。

夕方、再びフォロダニ公園へ。

お目当ては屋台の串焼き! 

  

写真はあまり美味しそうにみえないけれど、

アツアツのシーフードの串焼きは絶品だ。

ロブスター、カニ、マグロ、小エビ、ラム、ビーフ♪

どれも、シンプルな塩味。

ところで、昼見かけた多くの猫達が幸せそうな理由がわかった。

ここで、観光客のおこぼれをお行儀よく待っている。

私達も少しずつ残しておいて、前で待っている猫達6,7匹全員に

いきわたるように配給した。

 少しさびしげな夜の町もいい。

ホテルへ戻りシャワーを浴び、夜風に当たろうと二人でベランダへ出た。

部屋からベランダへ出る扉を、蚊の侵入を防ぐために、きっちり締めた。

部屋へ戻ろうとしたら、なんと!オートロックがかかってしまっている!

ベランダへ出るドアがオートロック???

私達は部屋から閉め出されてしまった。

携帯も部屋の中に置いたままだ。

「これって絶体絶命 大ピンチじゃない?!!!」

一晩ここで過ごしたら、凶悪なアフリカの蚊にフルボッコになる。

下を見るとプールサイドのベンチに人が座っている。

二人で必死に呼びかけても、反応がない。

見ると、イヤホンでなにか聴いているようだ。こりゃ駄目だ!

従業員も一向に通りかからない。

娘が私の髪を見て「お母さん!そのカーラーのヘアピン貸して!」

とピンを取ると、鍵師のようにカチャカチャ鍵穴に差し込んだ。

『いくらなんでも、それは無理でしょ』と思っていたら

何分か経った頃、カシャッと違う音がした。

「開いた。。。」ハードボイルドな声で娘がカッコよくキメタ!

「ガールスカウトは諦めない。ガールスカウトは今そこにあるもので工夫する、切り抜ける。」

そんな言葉が頭の中を駆け抜けた。

最大のピンチを見事乗り越えてくれた娘。

いつの間に親を越え、逞しく成長したのか。

今回の旅でも、高齢者とよばれる歳に差し掛かった私に、ずいぶん気を使ってくれた。

「ほら!そこ段があるから」とか「ここでちょっと座ったら」「危ないからやめて!」

とか、私が母に言ってきたことを、いつのまにか 娘に言われるようになっていた。

「大丈夫だわ!」とカチンとくることもあったけれど、

しかしそれは嬉しいことでもあった。

歳月は流れ、母を労わる娘に育ってくれたのだから。


12,クワヘリ(さよなら) ケニア、そしてジョージさん

2018年10月23日 | 旅行

  

ナイロビまで6時間。

後方へ流れ去る町や村を眺めて走る。

途中から、滑らかな道路に変わる。中国が行っている工事だ。

私は、エジプトと今訪れているケニアしか知らないが、

2003年頃訪れたエジプトでは、自動車、電化製品、携帯電話など日本製品が溢れていた。

それが訪れるたびに中国・韓国製品が増加していき、日本製品は減少していった。

世界の舞台で勢いがあり、技術力を誇り、尚且つ貢献支援もしていた日本を知る者としては、

やはり一抹の寂しさは否めない。

 「ケニアで最後のお土産屋さんだよ。何分でもいいよ。」とジョージさんが車を止めた。

 布に「ヌーの大移動」が描かれたアート。

土産屋の外装がおしゃれ。

ここの店員さん、日本語がペラペラ。猛勉強中とのこと。

娘はジョージさんが気を利かせて連れてきてくれたと言った。

応援のつもりで、日本の100円……1円までの硬貨をプレゼントしたら、大変喜んでくれた。

そして、ケニアの買い物で気がついたこと。

以前のエジプトのように「日本のボールペンを持っていたら欲しい。」と、どの店でも言われたこと。

もしこれからケニアなどを訪れる方は、ぜひポールペンを持参するといいと思う。

 

そして もうひとつ、レジ袋問題が日本でも報道されているが

ケニアでは環境保護の観点から、2017年8月ポリ袋禁止令を施行し実践している。

全ての店で不織布の袋か、ペーパーバッグを使っているという徹底ぶりだった。

土産屋が飼っているニワトリの中に、なんとサファリでは会えなかったホロホロ鳥(ちょう)を発見!

「愛染かつら」のほろほろ鳥(どり)は作詞家 西條八十氏が考えた架空の鳥らしい。ちょっとがっかり!

(若い人はここは流してくれていいです)

 見納めの地球の溝。グレートリフトバレー。

 

 行きと違い、なにか寂しげに映る。

 ジョージさんが「家に土産を買っていきたいけど、車を止めていい?」と聞く。

「どうぞどうぞ!どれだけでも」

休憩や土産屋で、いつも時間をオーバーして、

その後のドライビング計画に迷惑をかけてしまったと思う。

あんな長距離ドライブと悪路が待ち構えているとは知らず、

本当にごめんなさい。

それでもいつも笑ってくれていた。

自由にさせてくれて、本当にありがとう。

ジョージさんは、しこたま野菜を買い込んでいた。

今日この旅から解放されたら、いっぱい食べてゆっくり休んでほしい。

町の様子が近代的な建物に変わってきた。

ナイロビが近い。

    

「ケニアで最後のランチだよ」と連れてきてくれたレストランは、

肉の食べ放題の店・ナイロビ「カーニバルレストラン」

 

  

ビーフ、チキン、ラム、ワニ、ダチョウなどの肉が炭火で焼かれている。

外で食べたいと思い、外の席へ。

ジャングルの中にあるようなレストラン。

  

  

サラダや肉用のソースいろいろ。 
食べ放題なので、もうお腹いっぱいなら、てっぺんにある旗を降ろして降伏。

ジュウジュウの鉄板皿に、席まで持ってきた肉を削ぎ切りしてくれる。

ビーフ、ラム、チキン、ワニ、ダチョウ 全て食べた。

又やって来た店員さんが「slice of KINTAMA」と言うので

「はぁ~~?どういうスワヒリ語?」と思ったら

本当に日本語で「牛の〇玉」の部位だった。

娘が挑んでいた。

エジプトでは、モッホ(羊や牛の脳みそ)のから揚げも平気で食べる。

イケる口なのだ。

  

食事が終わった。。。。

ジョージさんがナイロビ国際空港まで送ってくれる。

二人とも目に力が無い。

  

とうとうナイロビ国際空港に到着。

ケニア滞在中、ほぼ一緒に過ごしてくれたジョージさん。

娘のスワヒリ語、ケニア情勢、動物などの質問に真摯に答えてくれていた。

私達にひとつでも多く動物を見せようと頑張ってくれた。

子どもや動物とすれ違うと、愛おしそうに笑っていた。

綺麗な水や教育の為のボランティアも行なっていると言っていた。

この高潔な人物は、素晴らしきケニア人の象徴なのかもしれない。

空港で別れる時、感極まって私と娘は泣いてしまった。

ジョージさんも顔をクシャクシャにして泣いた。

後ろ姿を見送った時の彼は、私達と過ごした5日間の中で一番ゆっくり歩いて去っていった。

初めて彼の老いを見た気がした。

一期一会は本当に切ない。

しかし、私の人生の中での このわずかな時間の5日間を、ジョージさんを、

私は決して忘れない。

アサンテ サーナ ジョージ ありがとうございました ジョージさん
アサンテ ケニア      ありがとう ケニア

私達はこの後タンザニア、ザンジバルへ向かう。



11,スリリングなマサイ最後の夜

2018年10月23日 | 旅行

すっかり暗くなってしまった。 

何度も通ったダイニング。

食事の世話をしてくれたスタッフの女の子は、

心からのもてなしをしてくれた。

  

キュートな二人。

スワヒリ語で「ありがとう(アサンテ)」と言うと、「どういたしまして(カリブ)」と返してくれるのだが、

そのカリブの発音が「カリブゥ~」ってとっても優しく可愛らしい。

私もまねしよう。

最後の夕食を楽しんでいると、突然全ての灯りが消えた!

停電だ。自家発電の機械の不具合らしい。

スタッフ達は冷静に、各々の携帯を懐中電灯に切り替えて照らしてくれている。

私も懐中電灯にして、その上にコーラの瓶を置いて、

辺りをムーディーに照らしてみた。

スタッフが「ワォ!ビューティホー❣️ 今度からやってみる。」と言ってくれた。

ガールスカウトで行なった災害時集会の知識が役に立った。

その夜は、9時頃まで停電が続き、

再び消灯になる10時頃までに、大慌てで娘がパッキングしている。

被災時の停電の苦労を少しだけ体験し、

いかに大変な生活を強いられるのかを理解出来た気がした。

外に出てみたら、満点の星空。

星が降ってくるようだ。

「ユンユンユン ファンファンファン」とUFOを呼んでみた。

「お母さん!ホントに来たらどうすんの⁉︎」と娘。

私にそんな能力は無い。

私はこの夜空を忘れない。

そして、その夜、もう一つケニアならではの体験をした。

眠りについた真夜中。

ベッドの枕元近くのテントの外で動物の唸り声が!

流石の私も目が覚めた。

娘はなにも知らずに眠っている‥‥。

そして全てを理解した。

ショートカットの道の排泄物らしきものと、マサイ戦士の夜回り。

「そうか!あのマサイ戦士が守ってくれる。」

そう思ったら安心して、いつのまにか私も再び眠りに落ちていった。

  

スリリングな夜が明け、空が少しづつ白み始めた。

この二日間、漆黒の闇の中で眠り、日の出に待ってましたと起きる。

なんて自然なんだ!

しかし、携帯の充電もままならず、明かり確保のためケチケチ節約して使った。

今度来るときは他の荷物を減らしてでも、乾電池式のランタンと携帯充電器は絶対に持って来よう、

と思っている自分が、いかに様々なものに依存しているのかも思い知った。

  

二日間我が家だったテントに別れを告げ、スタッフさん達にお礼を言い、

マサイ戦士にもお別れを言った。

しばしの私達の素敵なテントだった。

帰りも同じ悪路の道を行く。

なんだか、慣れてしまって写真を撮る余裕が出てきた。

  

それでも、「わおっ!」「うわっ!」と声が出る。

ジョージさんがクリアすると「おお~!」と拍手!

ジョージさんは「ワッハッハ」と笑う。

ハイエースもよく頑張ってる。

  

マサイ族の大切な動物、牛たちの行列。

窓の中を覗き込んでくる牛たちにも、バイバイ。

マサイの人達の役に立って偉いねぇ、ありがとね。

いろいろな命をみせてくれた

いろいろなことを体験させてくれた

いろいろなことを考えさせてくれた

いろいろなことを教えてくれた

また訪れたくなった マサイ・マラ 

さようなら マサイ・マラ ありがとう マサイ・マラ


10,ナクル湖国立公園・マサイマラ国立保護区 鳥類

2018年10月23日 | 旅行

数々の美しい鳥達、

逞しい肉食の鳥達。

以前、投稿した手塚治虫「火の鳥」にソックリだった「ヘビクイワシ」にも遭遇できたという幸運にも恵まれた。

夜明けは、日の出前から鳥の声で目覚め、自然真っ只中に存在している自分を感じた素晴らしい経験だった。

  

 カンムリヅル 配色がお洒落。貴婦人みたい。

 サバンナを走り回っていたダチョウ。まぁ写真が撮りにくいこと。

  

 素っとん狂な顔で、お肉を召し上がっているハゲワシ。

 ハタオリドリの名の通り、草や木切れで沢山の巣を作る働きもの。

 ナイバシャ湖のペリカン。見事な白。

手塚治虫氏の「火の鳥」にソックリな妖艶で美しい鳥。

その名は「ヘビクイワシ」

仕草もなんと優雅な鳥。まつげが〜〜!

 ナクル湖のトップスター!フラミンゴ。

 夕映えのなかのピンク。これはやはりスター。

アフリカハゲコウ 日が沈み哀愁漂うナクル湖。

サファリスケジュールを全て終えた私達は、明日ケニアを離れることになっている。


9,ナクル湖国立公園・マサイマラ国立保護区 草食動物

2018年10月23日 | 旅行

 

広大なサバンナで遠くにキリンを見つけた時は、その天をつくような背の高さに、恐竜が現れたような感覚だった。

サイはまるでトリケラトプス。

小ぶりの鹿 ガゼルは美人で可憐、小さな尻尾を羽根のように振ってまるで妖精。

私達は遭遇すると「サバンナのオードリー・ヘップバーン」と呼んでいた。

バッファローの赤ちゃんは、ブサ可愛くて思わず笑ってしまい、

ゾウの親子に心和み、シマウマは、最後のサファリを終えて帰る時、寂しくて手を振っていると、次々とこちらを見てきて、まるで見送ってくれているような気がした。

 イボイノシシの親子。ウリ坊が可愛い。

角に特徴のある美しいインパラ。

シマウマともよく一緒にいた。

 カメラ目線インパラ。

ウオーターバッグは逞しくカッコイイ。  

ブッシュバック 角がねじりん棒のお菓子みたい。

  

 シッポを妖精の羽根のように振る 愛らしいガゼル。

他の種の動物とも一緒にいる、美しい小ぶりな鹿 ガゼル。  

黒のラインが特徴。

キリンは美人 

優雅、でも実は気が強いらしい。

青い空がよく似合う。  

マサイマラには、身体の模様がギザギザのマサイキリンが多い。

遠くからでも、存在がわかる。

トリケラトプスみたいだけれど、小さな瞳が可愛らしいサイ。  

草をみんなでハムハム。

  

 親子でも食む食む。

 サバンナモンキー、ブラックフェイスが特徴。

カメラ目線を送るシマウマ。

身体をくっつけて、一方方向へ歩む。

うずくまるシマウマの子どもを、近所のおばちゃんも守っているように見える。

 シマウマの子どもも可愛らしい。

 ゾウに遭遇。

 ファミリー

サファリカーが気に入らなかったようだ。 


 家族仲良しのお尻。小ゾウが可愛い。

野性的なタトゥーをいれたようなトピ。 

見返りハンサム トピ。

有名なヌー。髭のような長い毛が、老いも若きも長老っぽい。

秋になると、タンザニア・セレンゲティへ渡っていくヌーも、いまはマサイマラで過ごす。

 バッファローと目が合った!

  

 バッファローの子ども、くすぐったいぐらい本当に可愛い。

 夕方のナクル湖を渡っていく大集団のバッファロー。

バブーン 笑える。

すいませんが、ちょっとどいてくれますか?

夕日の中のバブーン。

次回は美しい鳥達を。

8,ナクル湖国立公園・マサイマラ国立保護区 肉食動物

2018年10月23日 | 旅行

沢山の写真からピックアップ。

図鑑のようだが、全て私達が目撃し撮った写真だ。

長時間 5回に及ぶサファリ体験では、サバンナで繰り広げられる厳しいドラマや

親子愛、個性的な動物達の素顔を垣間見ることができた。

広大なサバンナで圧倒的に多い草食獣。種を超え群れをなし、絶えず草を食みながら逃げるためのエネルギーを蓄えているかのようだった。

反対に肉食獣は満たされている時はまどろみ、猟に備えているようで動物界の自然の法則を膚で感じた。

それでは、まずは肉食系から 

    

ガイドさん仲間から、情報が入った。

ライオンがいる場所へジョージさんは車を飛ばす。

 

 「ライオンは寝ている」の曲が頭に流れる。

 

 年老いたライオンキングかな。

 少し成長した子ライオン達が仲良く昼寝。

団子状態。ペロペロ毛づくろいしあっていて、まるでニャンコ。

 こんな至近距離まで接近。

 前のブログでも紹介したが、この子達を再び。

サファリカーで走っていると、横の茂みから 可愛い子どもライオンが現れた!

  

 おかあさんがおっぱいをやっていた。

日に照らされて美しい。また新しい一日が始まる。

みんな元気で大きくなれ。

チーターが現れた!

②すごい速さでバッファローを追い始める。

バッファローもすごい速さで逃げる。

バッファローのリーダーが仲間を守るため、身を呈してチーターに近づく。睨み合う。

動物のリーダーって偉いなぁ~。

⑤リーダーの凄味に、諦めて離れていくチーター。

 ⑥チーターに付いていって、おこぼれに預かろうとしたキンイロジャッカルも残念そうだ。遠くに難を逃れたバッファローが。

バッファローチームは犠牲者が出なくてホッとしたが、チーターやジャッカルはお腹減ってるだろうなぁ。

野生の世界は厳しい。

 サーベル

    

カバ。カバは本来草食動物。

しかし近年、肉も食べると判明したので、こちらのグループに入れてみた。

 

 ワニ。

次回、草食動物、鳥類と続く。


7,一日中サファリ、そしてマサイビレッジへ

2018年10月23日 | 旅行

今日は一日中サファリ三昧

ホテルにお弁当を頼んで出かける。

楽しみ!

  

 ケニア晴れ。

 人工物が何もない広大な空間が広がる。

そこに膨大な命が存在し、生と死のドラマが繰り広げられている。

草食動物は草を食み、肉食動物は草食動物の肉を食らう。

なんて単純な、しかしスケールのでかい自然なんだろう。

動物達の定理だけは原始から変わってはいない。

  

 上機嫌な私達。

一緒に旅してくれているジョージさんは、もはや、旧友のように仲良し。

彼は59歳、キャリア30年。

ドライブテクニックが凄腕なのは紹介したが、動物を見つける嗅覚も天才的。

そして、時折通り過ぎる子ども達や動物達に、大変優しい。

可愛い彼らに出くわすと、いつも楽しそうに愛おしそうに笑う。

  

また、大先輩の彼を慕うガイドさんやホテルの従業員さん達の多いこと。

いく先々で声を掛けられていた。

すごく分かる。

一緒に旅をして、私達も彼のことが大好きになった。

私達が誘って、同じテーブルで食事をすることも多かった。

大変ラッキーなガイドさんに巡り会えたと思った。

 初対面 ゾウ!デカイ!

 ライオン。次々と多くの動物達に遭遇。

  

そして、TKポイントにやってきた。

あっちはタンザニア。 こっちはケニアの国境い。

私達後方がタンザニア。

季節によって、動物達がこの辺りを通り

ケニア・マサイマラとタンザニア・セレンゲティを行ったり来たり。

マラ川にもやってきた。

マサイ・マラの名前にもなっているカバの住む川。ヒポポタマス・プール。

カバは凶暴な時があるらしい。

先に書いたように、年間2900人もの人が襲われ亡くなっている。

ライフル銃を所持するレンジャー隊が、ガイド兼ボディガードで付き添ってくれる。

この後、彼はカバに「顔を出せ」と石を投げて、

私達をギャー❗️っと言わせた!

歩きにくい河原を歩いて 膝が笑ってきた私は、

勇気ある撤退で先に戻ったら「ここで休みなよ~」と声をかけてくれた優しいレンジャー隊の皆さん。

彼らが話す チンプンカンプンのスワヒリ語の快活な調べを聞いて、娘を待っていた。

1人の青年が、ライフルから弾倉を取り外した。

何をやるんだろうと見ていたら、それでコーラの栓を器用に抜いた!

予想外の使用法に思わず笑った。みんなで笑った。

ファンタを差し出してくれたが、ジョージさんが「もう行くよ~」と呼んでいたので残念!

みんな楽しいひとときをありがとう。

  

マラ川のほとり、ジョージさんが敷いてくれたブランケットの上でピクニック。

サンドイッチやドーナツ、バナナにオレンジ、ゆで卵、マンゴジュース。

何と言っても塩味のチキンローストは絶品!の美味しいランチボックスだった。

  

サファリを終え、マサイ村へ。

ケニア民族の中で特に有名なマサイ族。

彼らは、マサイの伝統を今も受け継く生き方をしていると聞く。

ジャンプ力を競うマサイダンスを見て、案の定 娘もダンスに引っ張り出された。

 彼らの独特の歌とダンスは、なぜか心に残る。

一部を短い動画に撮ってみた。

ガールスカウトの私達もビックリの手早い火起こし。

あっという間に火がついた。

  

お宅も拝見。

ここからは、彼の説明。

家の壁は牛の糞と泥をまぜたもので作られている。

(繊維を加えて使用する日本の漆喰にも似ている)

牛は大切な財産で、牛乳、肉、血を食し、皮はベッドに敷き、糞は壁に利用する。

全てを生きるために使うという。

内部が暗いのは、アフリカの死亡原因第一位の蚊の侵入を防ぐため。

窓があっても大変小さい。ちなみに第二位は前述のカバ。

  

村長さんは、若くて革新的なナイスガイ。

娘の質問に真摯に答えてくれた。

FB をやっているそうだ。日本に親友がいると誇らしげに話してくれた。

  

マサイ族のパートナーに巡り合った日本女性、永松真紀さんのことを伺ったら

「知っている。山ひとつ越えた村で暮らしている。」とご存知だった。

優しいお母さんと子ども達が遊んでいた。

  

元気いっぱい!私の小さい頃を思い出した。

  

気をつかって手を振ってくれる。いじらしい。

「めえ~~!めえ~~!」とはっきり発音する子やぎ達。

素敵な写真が撮れたと我ながら思う。

村人達と安心してまどろむ老犬と、下に降りてきた太陽と長い影と……
いい一日だった。

垣間見たマサイの暮らし。

電気も水道もない自然の中で暮らすとは、どんなことなんだろう。

便利になったことは決して悪いことではないが、

きっと知らぬ間に失ったもの、忘れてしまったものもあるのだと感じた。

マサイの人々の暮らしは、そんなことを気付かせてくれる大切な存在なのではないか。

私達旅人が、対価を支払って彼らの暮らしや伝統、生き様を見せてもらう。

それによって、彼らマサイ族の自然や伝統、生活が守られていく。

そして人の行く道、自然とのバランス、動物との共存を考える。

もっといえば地球や人類、生物の行く末を考える。

そうなればいいなと感じつつ、マサイの村を後にした。


6,ナクル湖からマサイ・マラへ

2018年10月23日 | 旅行

日の出から起きて張り切っている。

ナクル湖で早朝サファリ。

 

ケニアの朝は寒い。

昼は暑くノースリーブになりたくなり、夕暮れから冷えてきてダウンがいる。

1日が春夏秋冬だ。

フラミンゴ・ヒルでは、ディナーから戻ると、

ベッドにfashyの湯タンポが入っていて、心遣いがありがたかった。

 朝日に照らされた山肌が美しい。

 イボイノシシもお目覚めのようだ。

突然!草陰から赤ちゃんライオンが現れた!

よく見ると、お母さんライオンがおっぱいをあげていた。

 お母さんライオンは立派に子育てしていた。

私達に気がついたせいなのか、のっそり立ち上がった。

邪魔してごめん。

 赤ちゃんライオンもお母さんにヨチヨチついていく。

一生懸命ついていく。

ボーッと写っているのは私達の写真を撮っている影。

この至近距離。

なんて素敵なシーンに巡り合えたんだろう。

後ろ姿を見つめながら、お母さん 頑張れ!

子ども達 頑張れ、大きくなれ!って祈らずにはいられなかった。

 

素敵なフィナーレで幕を閉じたナクル湖でのサファリを終え、

6時間かかるマサイ・マラへ、ひたすらジョージさんは疾走する。

快調にハイエースは走る。

そして休憩のお土産屋さん。待ってました!

  

「20分だよ〜」ってジョージさんは、短めの時間を言う(笑)

お土産選びってホント楽しい 🎶 

マサイ・マラへ近づくと、とんでもない悪路が立ちはだかっていた。

しかも、その悪路は延々2時間程続いた。

お猿のかごやのように、アシストグリップを握っていないと

いろんなところをぶつけそうになる。

居眠りなんかしていると、舌を噛む。

しかしながら、ジョージさんのドライバーテクニックには舌を巻く。

段差があるところは、私達への配慮でゆっくり運転するから最小限のダメージ。

こ、これは無理でしょ!という道を難なくクリアしていく。

マサイの村が通り過ぎていき、たどり着いたホテルは、

Elangata Olerai Camp。

  

 テントの入り口。

  

中はまたまた素敵!中も広い!

ここで2連泊 お世話になる。

ただ、キラキラ光る石を敷き詰めた小道を歩いて行くと、めっぽうダイニングが遠い。

支配人さんに「ショートカットして、草むらを歩いて行きたいから道教えて」

と言うと、「なぜ?あの石畳みの素敵な道を通らない?」とビックリされた。

後から草むらを通って判明したが、いろいろな動物の形状の違う排泄物が落ちている。

こちらも「なぜ?」と疑問がわいたが、あまり気にならないので聞くことを忘れてしまった。

その疑問は、後日判明することになるのだが。

 

午後のサファリの前に、ホテルスタッフさん達と記念写真。

マサイの青年達は夜警係とか。

シャイなので、もっと笑ってもらおうと後ろからコチョコチョしたら、爆笑してくれた。

「お母さん!それセクハラ!」と娘には言われたけど、コチョコチョは世界共通。 

そして、私が持ってこなかった帽子とバッグとお揃いだった例のファブリック。

同じ柄のショルダーバッグを、フラミンゴ・ヒルのお土産屋で見つけた!

これなら軽いし、日本で待っているバッグ達とお揃いになる。

と、即買いした。

ここから先、ケニアでの良き相棒になってくれた。

ついに来た!名だたるマサイ・マラ国立保護区のゲートへ。

タンザニアとの国境沿いに位置する総面積1,812平方キロメートルの国立保護区。

といってもピンとこないが、大阪府と同じ面積とか。

広い!シマウマの群れがのんびり草を食んでいる。

 あの辺り、きっとすごいスコール。

 荘厳な光景の下をサファリカーが走る。

   

  

広大なサバンナに日没が訪れる時、様々な表情を魅せるマサイ・マラ。

電気の通わぬこの地域の「誰そ彼」の時刻までにと、マサイの人々が帰路を急ぐ。

  

ホテルに帰った私達は、 

アットホームな雰囲気のダイニングでディナーを楽しむ。

  

ブロッコリーのスープや、豆料理など、待望のローカルな料理が嬉しい。

なにより、スタッフの皆さんが家族のように息が合っていて、接客が温かい。

今日もハードでエキサイティングな一日を過ごすことができた。

ジョージさんをはじめ、ケニアの人々のお陰だと感じる。

明日は終日サファリに挑む。 おやすみなさい。


5,ゴージャスなテント

2018年10月23日 | 旅行

フラミンゴ ヒルに、お昼少し過ぎて到着。

フロントスペースがなんてアフリカン!

テーブルやソファ、クッション、オブジェなど

アフリカン調度が素敵!

 

そして、椅子やクッションの見覚えのあるファブリックに気がついた。

    

 部屋に置かれたブランケットもこの柄、私の帽子とバッグの柄と同じだ!

 

10年程前 夫に買ってもらった帽子とバッグ。

しかも今回の旅行に持って行こうかと最後まで迷った物。

少し重かったから、泣く泣く諦めた。

やっぱり持ってきて、いっしょ!って言ったらウケたかも。

 部屋へ案内されて‥‥

 テントだ!

テントなので、鍵はない。

出入りはジッパー。

蚊が入らないよう、しっかり閉めよう。

  

なんとゴージャスなテント。

天蓋風蚊帳が!

右がトイレで左がシャワー。

テントの中で、トイレ、シャワーがあるなんて!

      

素焼きの壺には、シャンプーとリンス。 

テント内のインテリアも素敵。

ガールスカウト達に帰国後、このテントの写真を見せたら、

「こんなテント見たことない!」とビックリしていた。

遅いランチにダイニングへ行ったら

陽気なシェフが待っていてくれて、自慢の石窯でピザを焼いてくれた。

  

 観光客用メニューで、ローカルなケニア料理ではなかったが、すごく美味しい!

さて、いよいよ初サファリだ!

サファリは、動物達の活動が活発な早朝と夕方に多く行う。

サファリカーの屋根がオープンになっていて、テンションが高まる。

視界がひらけて、ケニアの大気を感じる。

これがケニアだ!

バッファローの大群が川を渡っていく。

寝場所へ帰って行くのか。

 ジョージさんと。

 ゴキゲン!

夕暮れのケニア。

今、この目で見る。

 

フラミンゴヒルの名の通り、ナクル湖の花形スター フラミンゴの群れ。

美しいピンク。

自然の色彩ってなんて自然なんだろう。

暮れなずんできた頃、帰途につく。

バブーン達が現れて「まだ帰らなくていいじゃない」と

道を空けてくれない。

こんな時、ジョージさんはいつも「ワッハッハ!」と笑って、

動物に気をつけながら優しく運転する。

  

ホテルに戻ると、 ディナーが待っていた。

ランチョンマットもテーブルセッティングも素晴らしい。

ナプキンはフラミンゴ。

  

チョイス出来るメニュー。

メインは二人ともラムを。

  

 デザート。アイスクリームとチョコレートケーキ。

バーもアフリカンなセンスの良い調度。

どれも欲しくなる。

ハードな楽しいケニアな2日目が終わる。 

アサンテ・ララ サラーマ・ケニア ありがとう・おやすみ・ケニア。


4,地球の溝を背に座り、リアルジャングルクルーズへ

2018年10月20日 | 旅行

 

ナイロビ版 印象 日の出。

ケニアは ほぼキリスト教、ムスリムは11%程。

しかし、このホテルの前には大きなモスクがあり、

夜明けの美しいアザーンが流れ始めた。

目を閉じると、エジプトの早朝のようだ。

心穏やかな目覚めとなった。

朝食の時、欧米人と思しき女性から「素敵なシマウマのバッグですね。ケニアで買ったのですか?」

と流暢な日本語で話しかけられた。

外国の人に日本語で話しかけられると、やはり日本人としては嬉しい。

日本に興味をもって日本語を勉強して下さって、ありがとうという気分になる。

私も外国へ行く時は、あいさつとありがとうの言葉だけは最低でも覚えていきたい。

     

ナイロビを離れ、一路北へ。

ナクル湖国立公園を目指す。

いろいろな町や村が通り過ぎていく。

目的地まで道草喰わずに3、4時間らしいが、

私達は休憩や土産屋での時間が長いから、もっと掛かってしまった。

ジョージさんに「もう行くよ〜〜」と何度言われたことか。

この絶景!

これが「地球の溝」と言われているグレートリフトバレーか〜〜。

さすがアフリカ、絶景のスケールが違う。

原始の地球の姿を見せてくれている。

ベンチがあって座ってみたが、高所恐怖症気味の私はお尻がゾワゾワ。

ベンチの向こう側には、地球の溝が広がり、

こちら側には、こんな素敵な絵が描かれていた。

        

小屋のトールペインティングも見事。

町の看板、車のペイントなども面白いものが多くある。

アフリカの人達は、生活の中でアートを楽しんでいる。

アフリカのポップな地図があった。

娘は今回の旅で、エジプト、スーダン、エチオピア、

ケニア、タンザニアを制覇することになる。

アフリカっ子だ。

羨ましい〜〜。

    

 ジョージさんの提案。

「途中のナイバシャ湖でクルーズしないか?」

「する!する!」

ボードに乗って、ナイバシャ湖を巡る。

海のように広い。

何でも大きくて広くて高い。

低いのは、この辺りの寝転んだような山だけだ。

高い山の姿も良いけれど、丘のようなおっとりした低い山も優しげで良い。

 

水先案内人は愉快な青年。

湖面は穏やかで、果てしなく広がる。

風が優しく くすぐって通り過ぎていく。

 仲睦まじいご夫妻らしきペリカンに会う。

 

 朽ちた木で憩む鳥に会う。

 

愉快な仲間、カバにも会う。

しかし騙されてはいけない。(田中真知さん口調)

カバに殺された人間は、アフリカでは、毎年約2,900人にものぼるらしい。

浮き草(布袋草?)がびっしり。

岸辺では、シカ科の動物が のんびり草を喰む。

      

大きな木に団地のように巣を作る、器用で努力家のハタオリドリという鳥にも会うことが出来た。

命溢れるシーンと、朽ちた木がこの世の果てを思わすシーンとが混在する巨大な湖、ナイバシャ湖。

これらの不思議でダイナミックな光景を、感動と共に目に焼き付けた。

きっとずっと忘れない。

リアルジャングルクルーズを終える私達を待っていたジョージさん。

「親友に久しぶりに会えたので、写真を撮って」と言う。

もちろん!しかしジョージさんが携帯を持っているところを見ていない。

せっかく撮った写真、どうやってジョージさんへ送ろうか。。。。

そしていよいよ、今夜のお宿 ナクル湖・フラミンゴ ヒル キャンプへ向かう。


3,ナイロビは大都会!

2018年10月17日 | 旅行

空港で待っていてくれたガイドさんは、少し高齢の人だった。

そして、自分で駐車した場所がわからなくなるという事態に!

「え~~~!これから先、大丈夫?」と思ったが、

ガイドのジョージさんは、この後 すごいスペックの持ち主だと判明する。

 ジョージさんが車の在り処を探している間のワンショット。

  

これから5日間、楽しさも運命も共にするサファリカー。

トヨタのハイエース。

 私が知るアフリカの二つ目の空港。

カイロ空港とは、また違った雰囲気ではあるが、

青い空と美しい木々の緑は共通している。

今回の旅行スケジュール 

旅行会社は Shades of Africa Tours and Travel 

 無事、車が見つかって初ケニアで向かった先はナイロビ・ジラフセンター。

ロスチャイルド・キリンという種類のキリンの保護・繁殖のために作られた施設とか。

キリンは まつ毛が長くて、おだやかな美人ちゃん(雄でも)

でも、ホントは気が強いらしい。

長い舌で、上手におやつを食べる。

ジラフセンター内にあったお土産屋さん。

若い職人さんが店内で製作していた。

 木製の手作りの鳥やマサイのご老人のクオリティが素晴らしい。

そしてリーブナブル!

 ホテルへ向かうのだけれど、大都会ナイロビは大渋滞。

でも、私達はカイロで慣れっこだ。

いつか、着く。

ジョージさんは私達がうんざりしていると思っているのか

「彼らはみんな忙しい」と気を遣って何度もこのフレーズを繰り返す。

ナイロビの街。

ファッショナブルだ。

  

 ナイロビ市内のど真ん中、Best Western PLUSホテルに到着。

ボーイさんやスタッフさん達は、エジプトの人々のように明るいノリで

なんか安心する。

日本語が出来る人もいた。

中庭のようなロビーもある。 

くつろげそうな大きなベッドで、やっと足を延ばして横になることができる。

明日は、ナクル湖まで長距離車移動。

「水曜どうでしょう・初めてのアフリカ」のような愉快な旅を目指し、早く休もう♪


2,ケニアの大地が見えた!

2018年10月13日 | 旅行

久しぶりの海外旅行、念のためやれることはやっておきたい。

旅行の前日にしたことは、エジプト人が日本語で作るフリーペーパー「エジプト世界駅」の配布。

設置場所の一宮市役所まで届け、義父へ「行ってきま~す!」を言ってきた。

 

もうひとつの気掛かりは、亀のこと。

「亀育児注意点」を作成し、夫に義父と亀を託した。

後日夫からLINEが入った。

「次回はお願いだから、冬眠中に行って!」

亀の世話に悪戦苦闘していたようだ(笑)

  

今度の旅は行きは羽田で、帰りは成田。

若かった私が胸躍らせて、羽田からヨーロッパに旅立ってから40年以上が過ぎ去った。

1ドル360円の時代だった。

カタールまで11時間、乗り継いで6時間。

エジプトまでは3時間程で もうひとふんばりだったが、ケニアは遠い!

少々うんざりしてきた頃

ケニアの大地が眼下に見えてきた!

ついに来た!

「少年ケニア」を読んでいた頃は、遠い国、行くことなど叶わぬ国と思っていた。

空港に降り立った時、初めてエジプトを訪れた時の感動が蘇った。

あの時感じた まだ荒削りだが、若い情熱を秘めた国の香りがした。

エジプトの宝が遺跡であるように、ケニアのそれはきっと雄大な自然と多くの動物達。

どちらも羨ましい素晴らしい宝だ。

なにが待ち受けるのか、私達はワクワクしてタラップを降り始めた。


1,アナザースカイエジプト番外編 in Kenya

2018年10月12日 | 旅行

 

エジプトから遠ざかって5年

2013年エジプト政変で、青年海外協力隊だった娘が帰国を余儀なくされてから

またたくまに5年が経過。

5年の間には、母が亡くなり義父の介護が始まり、母の忘れ形見34歳になる亀も家族に加わった。

  

娘はスーダンからも帰国して、現在は「JICAなごや地球ひろば」で勤務している。

  

しかし、エジプト現地から遠ざかったとはいえ、FB友のエジプト人、エジプト派の方々

とは以前にもまして、仲良くさせて頂いていた。

そんなある日、休暇を貯めた娘が、久しぶりに一緒に海外へ行こうと提案してきた。

しかもプレゼントしてくれるらしい!

選んだ場所はケニアとタンザニアのサファリツアー。嬉しいことに私が動物が好きだからと言う。

一生に一度でいいから 行ってみたかった!

ユーミンの歌のように、土煙りのサバンナで野生を取り戻したい!

娘の申し出を受けることにした。

切れてしまっていたパスポートを新調し、セントレアで黄熱病のワクチンを打ってきた。

その晩は、気のせい程度の小さなイエローフィーバー。

という訳で、2018年9月23日~10月1日まで旅した思い出を綴っておきたい。

ご興味のある方はお付き合いください。