エドフの西岸、ホルス神殿へやってきた。
36mもの塔門には、ホルスの大きなリレーフ。
ホルス像もいろいろなものがあって楽しい。
なぜホルスの頭を隼にしたのだろうかと、ふと考えた。
以前、ドライブをしていた時 空を見上げると、大きな鳥が悠々と舞っていた。
「あっ!!ホルスだ!」と叫んでしまうほど、その姿は堂々として美しく、神々しくさえ映った。
古代エジプト人が、蒼天を自在に操る隼を神と見たのは、そんな畏敬の念からかもしれない。
日本人も古代より自然物を崇め、自然と一体化して生きてきた。
人間だけが突出しているのではなく、全ての生物は同じ線上に生きていた。
明治以前、西洋人が「人間が万物の頂点にいる。」と説いたら、
それを聞いていた民衆から「なぜ人間が一番偉いのだ。」という疑問の声があがったというエピソードがある。
しかし、現代では完全に人間が主役となり、人間の手によって生態系が崩れつつある。
空や水や大地に生きる生物たちと共生共存し、時として畏敬の念をもって生きてきた古代エジプト人と日本人。
そんな心を無くしてしまった人間を、ホルスは怒っているのだろうか。
いや、悲しんでいるのかもしれないと、ホルス神の像を眺めながら思った。
200㎡程のイスラーム地区に、1000軒もの店が立ち並ぶエジプト最大のスーク、ハン・ハリーリ。
カイロを訪れると、私たちは引き寄せられるように必ずここへやってくる。
カイロの活気を凝縮したように年中お祭り騒ぎのこの界隈は、エジプトの象徴の一つでもある。
ハン・ハリーリの狭い路地に一歩足を踏み入れると、エキゾチックな異次元の世界が広がる。
中世が色濃く残るアンティークな店に溢れる様々な色彩の商品。
どこからともなく漂ってくるアラブの香り。
陽気な売り子たちの呼び込みの声。これは14世紀以来の伝統の商法らしい。
かつて日本も商店街が元気だった頃、年末年始の大売出しには、ハン・ハリーリのような活気のあるシーンが見られた。
人波や呼び込みの声に気持ちが高揚した父母が、お店の人と笑顔で会話を交わしながら、
普段より気前良く買い物をしていた事を思い出す。
商店街は、買い物袋をいっぱい抱えた私たちを、幸せな気分で満たしてくれる場所だった。
物が豊かでなくても、少々貧しくても、皆が元気で明るかった。
きっと、明日は今日より良い日になると信じていたからだ。
エジプトは、今、まさに日本の昭和なのではないだろうか。
ハン・ハリーリを訪れるたびに「平成だから…不況だから…」と へこたれていてはいけないと思う。
エネルギッシュな人々の渦の中を散策するうちに、パワーが充電されていく。
そして、もちろん!しっかり値切って沢山買い物をして、幸せな気分も満たされていく…。
エジプト料理は大好きだが、たまには違うものも食べたくなる。
まずは、おなじみの店。
某番組で、スフィンクスが見つめていたものは…で有名になったギザのケンタッキー。
もちろん、マクドナルドもある。
しかし、外資のファーストフードの店での飲食は、エジプトの人々にとって価格が高く、高級レストラン並みらしい。
味は日本のものよりスパイシーで量が多い。パッケージなどに、アラビア語が並ぶ。
次はショッピングモール シティスターズのメキシコ料理店。
タコスづくめで、これでなんと1人前のランチメニュー。
カルフールのフードコートにある中華料理のプレート。
エジプトで焼きそば、春巻き、エビチリ、水餃子とは嬉しい。
他にもシーフードを選んで注文できるレストランやピラミッドを望めるレストランがある。
カイロタワーの中にある、町を見渡しながら食事ができる回転レストランもある。
ウェイターも陽気で親切。
カメラを持っていると写真を撮ってくれたり、「料理の味はいかがですか?」と聞いてくる。
「ラズィーズ!!」(おいしい)と答えると、嬉しそうに笑う。
日本とは違った心遣いと美味しい食事で、お腹と心を満たしてくれる。
そんなエジプトのレストランは、私たちをハッピーな気分にしてくれる場所である。
アレキサンドリアのグレコ・ローマン博物館へやってきた。
ここは光が差し込む明るい館内に、彫像などが素朴に展示してある。
昔の博物館のようで、なにか懐かしい。
その名のとおり、ギリシャ・ローマ形式の彫像が多い。
美術を目指した方は経験されていると思うが、来る日も来る日も描いた石膏デッサンを思い出す。
学生時代、アグリッパーの像はフランキー堺に似ているとか、
こんなビーナス像やマルスの首ばかり描いて何になるのかと、不満に感じていた。
歳を重ねたら今なら、対象を正確にとらえることや、立体感の表現を体得するための大切な基礎レッスンだと理解できる。
もっと身を入れて学べば良かった…。
そんな後悔をしていると、クレオパトラ7世の像を見つけた。
少し幼さの残る、ごく普通の女性の彫像だ。
美しいエリザべス・ティラーのようでも、多くの絵画で描かれている妖艶な女性でもない。
にもかかわらず二人の英雄を夢中にさせた。
一説では複数の外国語を操り、話術にたけ、声が美しく知的な人物だったと伝えられている。
男装したハトシェプストとは違った形で、エジプトを愛し守り抜こうとした古代エジプト王朝最後のファラオが
知的で強い意志をもった女性だったことに
乾杯!!
(博物館の中庭には植物が咲き乱れていた)
ハン・ハリーリなどの土産物屋には、昔の駄菓子屋さんのような雰囲気がある。
おもちゃ箱のように楽しい物であふれている。
いつも ついつい買いすぎる。
トランクを一番大きいサイズのものにしないと、「行きはよいよい 帰りはこわい」となる。
ツタンカーメンシリーズ
ツタンカーメンのライター。少し顔がヘン!ちょいワルのツタンカーメンの頭の上から炎が出る。
黄金の玉座の図柄のカップ&ソーサーと灰皿。ブルーとゴールドが美しい。
左はカーの立像。ツタンカーメンの秘宝のひとつ。本物はエジプト考古学博物館に。
右はアメンラーの立像。
アヌビス坐像。これもツタンカーメンの秘宝と仏頭のような石の猫の頭。
きっと彫刻している過程で割れてしまったのだろう。
ラマダーン人形「シャバーン君」。ランプに赤い灯がともる。
断食に入ると、サンタさんのようにイルミネーションと一緒に飾る。
土でできた三大ピラミッドとスフィンクスセット
ラクダのぬいぐるみは、お腹を押すと けたたましくアラビアの歌が流れる。
ハズブロー社ではないが、アラブのG・Iジョー風フィギュア。
息子がすごく喜んだ物。
日本へ帰ってから、友人にお土産を渡すことが私の楽しみである。
飛行機の中でもらってきたアラビア語の新聞に、ひとつひとつ包んでプレゼントすると本当に喜んでくれる。
安価なのに、珍しさと楽しさとエジプトの風を運んでくれるお土産。
今度行ったら、何を買おうか…。
前回失敗したアブシンベル神殿へ、再びやってきた。
季節は秋。
広大な台地に立つ神殿を、今度こそゆっくり眺める。
(気温54度の時の真昼の神殿)
夕刻ということもあり、観光客の姿はまばらだ。
砂漠と神殿の黄土色の同系色。
空とナセル湖の青の同系色。
たったこれだけの色彩の世界が、時間と共に刻々と繊細に変化していく。
かの印象派の巨匠モネなら、この表情をどう捉えただろう。
きっと「ルーアン大聖堂」の連作のように、何枚ものキャンバスを使って、神殿の光と色彩の変化を表現したに違いない。
そして小高い岩山の端に日が沈み、しばらくの間 神殿は最後の色の変化を見せて、ついに暗い夜の帳の中に沈んだ。
遺跡以外何もない雄大に広がる自然の中で、
夕暮れから日没までを、こんなに静かにゆったりと眺めることが出来たのは、何年ぶりだろう。
4.5歳の頃だったか、夏になると折りたたみのデッキチェアーに寝転んで、よく夜空を眺めては眠ってしまった。
その時以来かもしれない。
眠った私は、布団へ運んでくれる父の腕の中で、いつも一瞬目を覚ました。
アブシンベルの夕暮れの風の匂いと満天の星空は、
亡き父を想いださせてくれたが、もう会えないのかと思うと、胸がチリッと痛んだ。
(優しそうなおじいさんと)
娘の一時帰国が決まった。
もうすぐ帰ってくる。
寝具を整えた。部屋を掃除した。日本食の食材も買った。
洋服ダンスのスペースも空けた。日本の風呂にも入れてやりたくて浴室を掃除した。
準備万端!! さあ、夫と空港まで迎えに行こう。
いつも元気いっぱいのスカイプでの娘。
でも機械を通さず本物の娘を見たい、声を聞きたい、触れてみたい。
到着ロビーで、そわそわ待つ。
いよいよ娘の乗った便の到着アナウンスが入った。
到着出口から、チラホラ人が現れ始めた。 まだかな…まだかな…
あの子はのんびりしてるから…と思ったら、親にしか見えぬオーラをまとって、やっと娘が現れた。
元気なはちきれんばかりの笑顔にホッとする。
「おかえりー!」「ただいまー!」
れいによってハグ。日本でも~。
積もる話を機関銃のように話し始める。 話は後でゆっくり聞く事にして、
さあ!家へ帰ろう!!心と身体をしばし休めに…
54度を記録した日、私たちはアブシンベル神殿を初めて訪れていた。
入口から10分ほど歩かなければならない。
当時82歳だった母は、頑張ったが途中でリタイア。入口へ引き返していった。
母を気にしながらしばらく行くと、あまりにも有名で巨大なアブシンベル神殿が姿を現した。
書物の中の写真や映像を何度見てきたことだろう。やっと三次元のアブシンベルの舞台へ立つことが出来たのだ。
頭の中で「アイーダ」が高らかに鳴り響いた。
感激で有頂天になっていたが、ふと我に返った私は、母にどうしても神殿を見せてやりたくなった。
そして一人で再び、もと来た道を歩き出した。
暑い!!でも、たいした距離ではない。歩く……一人でトボトボと。
やはり 暑い!!木陰ひとつ無い砂の惑星のようだ。
相当ばててきた。54度を甘くみていた。神殿の中で、少し涼をとってから戻ればよかった。
シンドイ……クラクラする……あれっ!!陽炎が見える…ゆらゆらと…ちょっと危ないかも……
ふらふら歩いていくと、あたりは誰一人いない。怖いぐらい静かだ。
道が二手に分かれている。心臓がドクンと鳴った。
あ~、わからない…どちらの道か……。
私は一回転すると、方角がわからなくなるひどい方向音痴。
太陽は空のまん真ん中にいて、矢のように日差しを投げつけている。
もと来た道を戻る気力もない。
生まれて初めてひょっとしたら、私はここで…ひからびて…と恐怖に襲われる。
パニックになりながら、思い切って右を選び歩き始める。
心臓をどきどきさせながら、少し行くと「オッホッホッホ!」という聞きなれた声が、微かに遠くから聞こえてきた。
母だ!何故か笑っている。あー、私は生きている。
朦朧となりながら必死で歩を進める。
入口にあった茶店が小さく見えてきた。そこに座っている母も見える。
アラビア語など一切話せない母がエジプト人と笑っている。
「あれ~、もう戻ってきたの?今このおじさんにファンタをいただいたの。お礼言って。」とか言っている。
とにかく、そのファンタを飲んで一息つこう。
とこんな訳で初めてのアブシンベル神殿との対面は10分程で終了したのであった。
あとから分かったが、どちらからでも入口にたどり着けるとのこと。
そして娘は心配しながらも一人でアブシンベル神殿を堪能していた。
陽気なヌビア系エジプト人たちが操るファルーカ。
ナイルは白い帆のファルーカが良く似合う。
風に髪をなびかせて、ロマンティック気分でファルーカに身を任せていたら、
突如として賑やかなアフリカ音楽と歌が始まった。
おまけに踊れと言う。
ハイテンションなエジプトへ来ると、シャイな日本人も性格が変貌するらしい。
みんなノリノリでキャーキャー歓声をあげてダンシング!
原始の時代からあった音楽とダンスは、文明、国境、人種を越えて、同じ人間としてのDNAを刺激するようだ。
身体は疲れるが、心が軽くなるファルーカ体験。ぜひ お試しあれ。
その時は自分の心を裸にして、盆踊りのようになってもいいので、エキサイティングにダンスすることをお勧めする。