アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

ワリードとラクダ

2011年01月28日 | 旅行

 

 

アラブ人やエジプト人が、いかにラクダを大切にしているかは以前お話したとおりだが、

私の知っているラクダ引きのワリードは、本当にラクダを可愛がっている。

 

 

                    

 

 

 

ラクダ引きとは、観光客をラクダに乗せピラミッドを巡ったり、写真を撮ったりすることを生業にしている人たちである。

ワリードはムチをカッコつけて持ってはいるが、使ったところを見たことが無い。

お客を降ろして一仕事したラクダをよしよしと撫でてやる。

ラクダは歯をむき出しにして、泡を飛ばしながらブヒブヒ喜ぶ。

 

 

            

 

 

 

一昨年エジプトを訪れ、ピラミッドでラクダに乗ろうと思った時、一番初めに声をかけてきたのがワリードだった。

その後、多くのラクダ引きの人たちに取り囲まれて大変な事になったので、

「この人のラクダに乗るから!」と大きな声で叫んで、最初から熱心に勧誘していたワリードのラクダを選んだ。

そこでサングラスをとったワリードの顔を見てびっくり!

どうみても東洋人。

笑ってしまった私たちに「本当にこれでもエジプト人だよ!でも日本人に似てるのうれしいさ。」

と言ったワリードをすっかり好きになってしまった。

 

 

 

                    

 

 

 

それ以来、娘もラクダはワリードと決めて、安い料金で友人や知人を乗せてもらっていたようだ。

ピラミッドに芸能人が来たら知らせてくれることにもなっているらしい。

 

 

 

                                   

                                         (ラクダにチューするワリードの弟子)

 

 

 

そんなワリードから、まもなく一時帰国する娘に「ママにあげるお土産を渡したい。」と連絡が入った。

早速ピラミッドの近くの喫茶店で待ち合わせることになった。

先に着いた娘がのんびり待っていたら、「チアキ!チアキ!」と上のほうから声が… 

何気なく上を見た娘は自分の目を疑った!そこには驚くべき珍百景が!!

 

 

 

            

 

 

 

ワリードはなんと!ラクダに乗って喫茶店にやってきたのだ!

ラクダと一緒に笑ってビックリする娘を見下ろしていたそうだ。

しかもいつもの砂漠の砂にまみれた営業用のガラベイヤでなく、ポロシャツでパリッと見違えたワリードが。

そしてパピルスと香水を娘にあつらえてくれた。

心のこもったラクダ引きのおじさんの贈り物。

その贈り物を眺めていたら、ピラミッドの前で愛しいラクダとたたずむ

ワリードの東洋人のようなニコニコ笑う顔が浮かんできた。

 

 

 

                    

 

 

 

 ラクダを愛する心優しきおじさん。律儀なところもある愛すべきワリード。

娘の大の仲良し。

私も大好きである。

 

 

 

 

 

 

 


アビールの教育

2011年01月25日 | 旅行

 

 

スエズ運河でバタフライとは行かなかったが

アビールのご家族と海水浴に連れていってもらったと、楽しそうなメールが届いた。

 

 

     

 

 

 

アビールは三度目の旅行の時の女性日本語ガイド。

まだ大学生で漠然とアラビア語留学を考えていた娘の背中を押してくれた人である。

とにかくツアー中、娘にアラビア語の大特訓を施してくれた。

 

 

                        

 

 

 

ピラミッドエリアを歩いていても、クフ王のピラミッドを指差して

「あれは!!」「クフ王のピラミッドは…うーんと…ハ、ハラム ホーフー」

「じゃ!あれは!!」「ラクダだから……ガマル…」

レストランに入れば、時計を指さして

「今何時!」「えっ!時間!12時だから……イッサーア…イトナーシャル… 」

コップやナイフ、フォークのアラビア語の単語を次々と聞いていく。

 

 

                     

 

 

 

娘が小さな声で「なんだっけ?」と聞いてくる。

たまたま知っていれば、内緒で教える。

目ざとく気取られて「ママ!だめよ!教えては!」と叱られる。

「フーッ…何を見たか何を食べたか わからない」と娘は言うが楽しそうだ。

 

 

     

 

 

 

携帯のアドレスを交換をしたり、クスクス顔を寄せて笑いあったり、

ツアー中、妹か娘のように可愛がって下さった。

そんな援護者がいて、娘の夢は現実となった。

単身エジプトへやってきた娘を今でも気遣って下さっている。

時々家にお邪魔したり、レジャーに連れて行ってもらったり、仕事の話までいただいた。

 

 

                    

 

 

 

ある日ギザを歩いていた娘。

通りがかった観光バスから、誰かが「チアキーチアキー!」と呼ぶ声がした。

びっくりしてバスを見上げると、偶然通りかかった仕事中のアビールだったそうだ。

ガイドの途中にマイクを使って道ゆく娘にエールを送ってくれたのだ。

 

 

 

                 

 

 

 

ツアー終了間近な頃、アビールは私にこう言った。

「ママ、千明がエジプト大好きでうれしいよ。千明はエジプト来て、きっと頑張るよ。

エジプト人はエジプト大好きな人にすごく親切。だからだいじょーぶ!」

アビールは私の背中をも押してくれた人である。

 

 

 

 

 

 

 

 


スペシャルなベランダ

2011年01月21日 | 旅行

 

 

娘が借りているマンションの部屋からピラミッドが見える。

 

 

    

 

 

ちょっと電線が気になるが、三つの部屋のいずれからも見られるので

こんな贅沢なベランダは世にも珍しい。

こちらのベランダでは洗濯物を干し、そちらでは優雅にお茶を飲む。

 

 

 

    

                                              

 

このベランダには、いろいろなゲストも訪れる。

この子は娘が日本から圧縮袋に入れてまでエジプトへ持参した羊のメル君。

 ショップチャンネルで購入した抱き枕である。

 

 

 

    

 

この子たちは以前勤めていた河合塾の講師の方からいただいた ひこにゃんと

娘が在籍した大学の先生からいただいたチェブラーシカ。

 

 

 

                       

 

ハト君もたまに休憩にくるようだ。 

 

 

 

    

                          

 

千明を訪ねてくださった友人方も、必ずここでシャッターを押す。

 

 

 

 

               

        

 

もちろん、エジプト人だってピラミッドが好き(かな?) 

当然ながら生まれた時からそこにあったから、山があるぐらいに思っているきらいがある。

そこへ行くと、私たち外国人はやはり興奮!テンションが上がる。

私なんかは家族の健康を祈って拝んでしまう。

 

 

                    

 

 

 

このベランダから見えるピラミッドは、左から順に クフ王・カフラー王・メンカウラー王と並んでいる。

T.V番組でピラミッドが映し出されると、その位置から娘が暮らしている場所当りをつい追ってしまう。

密集する町並みのどこかに存在していると思うと、その映像が愛おしく感じる。

元気であるようにとT.Vのピラミッドにも、お願いしている馬鹿な親である。

 

 

 

 

 


エジプトのカルフールⅡ

2011年01月18日 | 旅行

 

 

今日はカルフールへ行こう。

お気に入りの小道を通って、タクシーを止める。

そこから15分程タクシーはぶっとばす。

エジプトのタクシーは、とばして欲しくないのにぶっとばす!

ほどなく到着。

エントランスは天井までガラスばり。

中に入ると日差しが差し込んで、まるで植物園の温室のようだ。

 吹き抜けのドーム状の天井からも、光が燦々とあふれている。

 

 

 

                 

 

 

 

お洒落なブティックも多く店を連ねていて、日本のモールと遜色がない。

違いといったらすれ違う人や店の人が日本人ではないだけである。

 

 

                    

 

  

 

ドーム天井の下にカフェがある。さっそくお茶を飲もう。

私はパフェ、娘はコーヒー。

日本では日常に追われて、ゆっくり出来なかったおしゃべりでもしよう。

 

 

 

     

 

 

 

次はブティックめぐり。

アクセサリーや小物の店、アラブインテリアの店、バッグ、靴、洋服を品定めしながら歩く。

本屋も面白い。

ベストセラーや馴染みのある本を手にとってパラパラめくると、当たり前だがアラビア文字が並んでいる。

絵本やぬり絵、シールブックなどもあってなかなか楽しめる。

 

 

 

     

 

 

 

お腹がすいたので、レストランを探す。

「mori sushi」 という寿司レストランがあったので入ろうとしたら

「高いから…」と娘が言う。

「やだ、入ってみたい」「はいはい、また今度!」と言われ諦める。

それでも中を覗いたら、アラブ顔の板さんたちが一生懸命仕事をしていた。

 

 

 

   

 

 

 

結局フードコートへ。

やはり日本とは一味違った店が並ぶ。

エジプト料理、イタリアン、中華などのチョイスの出来る盛り合わせプレートやマクドナルドもあった。

 

 

     

 

 

 

買い物を済ませた頃には、もう夕刻になっていた。

エジプトでは時間を気にせず、思う存分ゆっくり買い物が出来る。

こんな日常的なモールへ来ても心が焦らないのは、私が旅人だからだろうか。

だから旅はやめられない。

次回は 「mori sushi」 娘がなんと言おうと絶対に入ろう!!

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 


カイロの日本人

2011年01月14日 | 旅行

 

 

 

エジプトへ単身飛び込んだ娘の環境は、周りが全てエジプトの方々というものだった。

日本語が恋しくなると、持ってきたDVDやYou Tube等で紛らわしていた。

しかし日数が経つうちに、日本人会を通じて日本の方々との交流も増えていった。

その中には、この2年間お世話になった方との別れも多々あった。

 

 

                                         

                                                     (I さんのお別れパーティ)

 日本大使館勤務だったI さんはチュニジアへ。

カイロを発つ前には、たくさんの日本の調味料や缶詰、カイロの地図などをいただいた。

 

 

        

               (TさんはA石油勤務・Kさんはエジプト考古学博物館の改築に携わった)

 美味しいものに飢えていた娘を日本人会のパーティやレストランに誘って

御馳走してくださったTさんとKさんも、日本勤務へと変わって帰国された。

 

 

 

                                        

 

大学生だったRちゃんとカイロ在住していたOさんとも仲良し。

 

特にRちゃんとは買い物へ行ったり、自炊で唐揚げを1キロ作って二人で平らげた恐ろしい思い出が…

しかし豪傑の彼女も復学で帰国。

 

        

            (ルンルン♪ 調理)                   (唐揚一キロは皿に乗り切れないので一部だけ)

                                         

                          (お腹いっぱいでごきげんな二人)

 

 

 

アフリカ、インド派遣の経験のある青年海外協力隊の方々には、

素晴らしいお話の数々で大変感銘を受けたようだ。

 

                           

 

                                         

 

 

 

現在も駐在員や企業の方に声を掛けていただき、気に留めていただいている。

Y企業のUさん、S商事のFさんは娘のことを父のように心配していただいて、話を聞くたびに感謝に堪えない。

 

 

        

             (2010年ワールドカップは盛り上がった!スポーツカフェでみんなで応援!)

 

 

日本・エジプト両国の方々は、多大に前向きな影響を娘に与えて助けてくださっている。

エジプトでの生活は決して一人で維持できているものではなく、

娘と縁を結んでくださった方々のお陰で成り立ってきたことを、絶対に忘れてはならない。

今は恩返しが出来ていないが、いつか次世代の自分のような人物に出会ったその時こそ、

皆様への感謝の気持ちを思い出してほしいと心から願う。

 

 

 

 

 

 

 


らくだのピンクのスノーボール

2011年01月11日 | 旅行

 

 

娘はお世話になっている知人の友人やご家族のガイド役を、たまに引き受けているが

ガイド料をいただくことは遠慮しているようだ。

「プロのガイドじゃないから未熟だし、私の出来る恩返しのつもりだから。」と言う。

 

 

 

     

 

 

 

また、お土産を買いたいと言われると、ハン・ハリーリの友人の店へ案内する。

そこでも友人が紹介料を渡そうとしてくれるが、「友だちだからいらない。」と受け取らない。

友情や人情が介入すると、ビジネスライクにお金を受け取れない生粋の日本人なのだ。

 

 

     

 

 

 

だが、例外があった。

ガイドをした方たちがお土産を物色中、暇なので店内を見渡すと

奥でおじいちゃんが居眠り中…。

雑多にあふれる品物の中で、小さなスノーボールを発見!

ガラス状の球体の中に液体とサンタなどが入っていて、振ると中の雪が舞うというあのスノーボールだ。

さすがエジプトなので、サンタの代わりにピラミッドだったり、アヌビス神だったり。

 

 

      

 

 

 

娘の発見したスノーボールは、らくだのピンクのスノーボールだった。

らくだの顔と、スノーボールの色がショッキングピンクで可笑しくて変なので、

すっかり気に入ってしまった娘は笑いながらスノーボールを揺らして遊んでいたようだ。

「欲しいな~。でも趣味悪いみたいで恥ずかしいから、今度他の物を買う時に一緒に買おう。」

と思ったとか。

           

 

 

        

 

 

 

買い物が済んで紹介料のかわりにと、大きな鏡をあげると言っている友人に

「いらない。」と断っていると、

 突然!眠っていたはずのおじいちゃんが、むくりと立ち上がって

「ちがう、ちがう!お嬢ちゃんはそのスノーボールが欲しいんじゃ!」

と言い放った。

おじいちゃんのタイムリーな鶴の一声。ありがたいやら、恥ずかしいやら。

「なんで千明はこんなのが欲しいのー?こんなんでよければ、いくつでも持っていきなよ。」

 

 

 

     

 

 

 

らくだのピンクのスノーボールだけは本当に欲しくて、とうとう初めて頂いてしまったようだ。

うららかなエジプトでのひとコマ…。

明るい日差しの下、変な顔のらくだにキラキラと光るサハラの砂が舞う。

ピンクのスノーボールを振るたびに、娘はタヌキ寝入りおじいちゃんと、

ちょっぴり恥ずかしかった、でも温かいエジプトのワンシーンを思い出すのだろうか。

 

 

                

 

 

 

 


エジプトの道路の渡り方

2011年01月07日 | 旅行

 

 

エジプト考古学博物館を出て、タハリール広場からラムセス・ヒルトンまで歩くことになった。

雑踏の中を歩き出す。

人の波がすごいので気をゆるめると人とぶつかる。

車の数も半端ではない。

カイロの町の谷間に、クラクションが途切れることなく響き渡る。

 

 

        

 

 

 

歩き出して、すぐに娘の変化に気づく。

日本ではのらりくらり歩いていた娘が、背すじをピンと伸ばし、速い速度で人波をかき分けていく。

「どうして?」と聞くと

「外国人だと珍しがられて見られたり声をかけられても、そんなのヘッチャラと思わせるために

胸を張って顔を上げて堂々と歩こうと思った!」そうである。

うん!その心意気はなかなかカッコイイ!!

 

 

       

 

 

 

いよいよ通りを渡らなければならない所へ来た。エジプトでは信号や横断歩道が少ない。

だからカイロっ子たちは実に恐ろしい方法で道路の横断をする。

迫ってくる車を無視して歩き出し、絶対に走ったりしない。車の切れ目を察知してヒョイヒョイ渡る。

 

 

        

 

 

 

「お父さん!お母さん!横にピッタリついて離れないで!」

そんなこと言われるとドキドキ緊張してくる。

しかしとめどもなく流れる車を待っていたのでは、いつまでたっても渡れない。

覚悟を決めて、渡り方を体得したらしい娘に命を預けよう。

 

 

                                      

 

 

 

車のわずかな切れ目を見つけた娘は

「ハイッ!行くよっ!」と叫ぶ。

心の中で「ヒーッ!」と悲鳴をあげながら、娘とひとかたまりになって道路の真ん中あたりまで渡る。

前にも後ろにも、体のすれすれを車がビュンビュン走り過ぎていく。

身の毛もよだつ恐ろしい行為を2・3度繰り返し、やっと道路を渡り終えた。

 

 

                                    

 

 

 

ラムセス・ヒルトンに着いた頃は疲労困ぱい。

マンゴージュースをジュウジュウ音を立てて飲みながら、私は初めて娘にこう つぶやいた。

「もうエジプトはいやっ!!」(道路の横断に関してではあるが)

道路を渡られる方は、どうぞお命お大切に……