娘と二人でナイル川沿いを散歩する。
カイロとは、うって変わって静かな落ち着いた町である。
穏やかに流れるナイル川に白い三角帆のファルーカ(帆船)がのんびりと浮かんでいる。
ハワード・カーターのスポンサー、カーナボン卿やアガサ・クリスティーが定宿にした
憧れのホテル ウィンターパレスもこの地にある。
向うからカツカツと蹄鉄を響かせて、馬車が近づいてきた。
歩き疲れたので、その馬車に乗ってみる。
馬がうつむき気味に頭を上下させ、けなげに走る。たてがみが風と共にサラサラなびく。
ひづめの音と震動が心地良い。
優雅なセレブ気分をしばし味わう。
が!それも束の間。御者さんがやっぱり陽気なエジプシャン。
セレブ気分は吹っ飛んで、愉快な爆笑馬車ツアーとなった。
にぎやかなタハリール広場の中でテラコッタ色の建物がひときわ目を引く。
この博物館は歌劇「アイーダ」の作者でもあり、初代館長でもあるオーギュスト・マリエットによって、
国外へ貴重な発掘品等の流出を防ぐことを目的に設立された。
中へ入ると、膨大な発掘品が目に飛び込んでくる。
遥か いにしえより時が止まったまま静かにたたずむファラオ達を見る。
この素晴らしいクオリティの像を、誰が、何のために、いつ、どこで作ったのか、
その年にはどんな事があったのか、季節は何だったのかを思い巡らすと、残像のように作り手の姿が浮かんでくる。
何千年もの昔、名も無いアーティストが、のみを持ちコツコツと作品を作り上げていく。
そして時は流れる…。
気の遠くなるような長い時を待って、砂漠の中から目覚めた作品が、今私達の前に確かに存在している。
この巡り合いの不思議さに感動を覚える。
王家の谷の近くにハトシェプスト葬祭殿がある。
植物ひとつ生息しない岩山に囲まれたこの葬祭殿は、
見事な建築美の階段を持ち、野外の大舞台のような美しく気品がある遺跡である。
ハトシェプストはエジプト王朝史上唯一の女性のファラオであった。
当然ジェンダーのこの時代。彼女はファラオとしての権力を得るため、女性を捨て男装をして付け髭をつけた。
彼女の行った政治はエジプト王朝の数あるファラオの中で最も平和的政策を用いたといわれている。
今まで行われてきた戦争による略奪の道ではなく、貿易という手段を用いて国を栄えさせた。
好戦的で人の命を軽んじる男性のファラオより、知的で有能な政治家であったといえる。
現在、女王の功績を讃えた壁画などは、あまり残存していない。
なぜなら次の王トトメス3世が多くを削りとらせてしまったからである。
そして再び戦いによる愚かな政治がエジプト王朝の終末まで、らせんのようにくり返されていく。
ギザのピラミッド・スフィンクスエリアやルクソールのカルナック神殿、最南端のアブシンベル神殿で行われている。
あたりが暗くなると日中の暑さが嘘のように涼しくなる。
そして砂漠に優しい風が吹き渡る。
空を見上げれば、こんなに星があったのかと驚くほどの満天の星。
5000年前と同じであろう砂漠の大地と無数の星。穏やかな夜の風の匂いがする。
周りの観客の姿が消え始め、夜の砂漠という闇の空間に1人ポツンと取り残される。
ただ あるのはほの暗い光に浮かび上がるピラミッドとスフィンクスだけ。
少し怖くなってくる。
私は5000年の過去へ遡ってしまったのであろうか。………………………
「お母さん!!また寝ちゃったの!!もうショー終わっちゃったよ!」という娘の声で毎回、今世へ戻ってくる私である。
娘がエジプトでお世話になっている二つの家族にモニアとノハという女の子がいる。
いつも娘を支え続けてくれた。
モニアの姉ジャスミン、兄カリーム、ノハの姉マイ、兄アムルも同様、
そして全員アラビア語の教師でもある。
エジプトの家庭は、家族揃って食事をする。誕生日にはケーキを買って家族でお祝いする。
親のお客様にも挨拶をきちんとする。家族でよく話し合いをする。どこへ行くのも一緒である。
社会の基になる最小単位の家族をとても大切にしている。
かつて日本もそうだった。現在の日本で起きている家族間の悲惨な事件など、まったく皆無だった。
どこで間違ってしまったのか。エジプトの家族を見ていると、そう考えずにはいられない。
カラスが一匹、草の上で何かを無心につついていた。
エジプトのカラスは、小ぶりで胸のところだけ色が少し白い。
次はアリ。クフ王のピラミッドの前で見つけた。
日本のアリより大きく胴が赤い。
私の前を大急ぎで忙しそうに通り過ぎた。
今度はハト。娘の部屋のベランダに時々遊びに来るらしい。
暑いエジプトの空の下、一時の涼を求めてやってくるのかもしれない。
最後は残念なお話。カイロ駅のプラットホームに、ごきぶりのような虫が現れた。
あっという間にそばにいたエジプト人の老人が足でグシャとふみつぶした。
そのペシャンコになった哀れな虫が、なんと「スカラベ」だったのである。
その後、言うまでもなく「見たかったのに!!」と私たちに非難を浴びたその老人は、
屈託なく「エヘッ!」と笑った。