アラビア語の文字は流れるような筆記体で、角のある文字がなく、強弱があって造形的に見ても美しい。
竹ペンで描くアラビア書道も、コーランなどに使われている装飾文字も見事である。
私はアラビア語の言葉で好きなフレーズが二つある。
あいさつで使われる「アッサラーム・アレイコム」
直訳すると、すべてのあなた方に 平和を
平和への願いが、毎日のあいさつに込められているとは、なんて素敵なんだろう。
もう一つ「インシャー・アッラー」
アラーの御意志のままに
アラブ人の怠惰の代名詞のように言われているが、私は努力したあとの天命を待つ静かな境地の言葉だととらえている。
やるだけやったのだから、肩の力を抜いて…と言われているような穏やかな心境になれるのである。
昼のハン・ハリーリは、底抜けに陽気なエジプシャンの象徴のようなスーク(市場)である。
通りを歩き出すと、呼び込みのへんなフレーズがあらゆる店先から襲いかかってくる。
「カワイイネ」「バザールデゴザール」「キンサン、ギンサン」「オシン!」
「アッチハタカイヨ!コッチハヤスイヨ!」「ヤマモトヤマ」などなど…
それに、ひるんではいけない。品物に興味があれば、半値から交渉スタート。
いらないのなら「ラー・ショクラン」(いらない)と言ってどんなに引き止められても立ち去ればいい。
ハン・ハリーリの古い建物や商店は、なつかしい遠い昔を想いおこさせる。
いるはずのない私が、かつてそこに存在していたような不思議な感覚に包まれる。
アラビア語は日本語ほど語彙が多くないといわれている中で例外もある。
その一つにラクダがある。
雌ラクダ、雄ラクダ、若いラクダ、年寄りのラクダ、妊娠しているラクダ、妊娠していないラクダ、など…
すべて形容詞を使わず、独立したひとつの単語としての言葉が数多くある。
それは砂漠の民にとって、ラクダがいかに家畜以上の重要な存在であったかを意味する。
顔は癒し系で正面から見ると、某監督の描いた宇宙人にも似ている。
ピラミッドエリアのラクダは観光客用なのでずいぶんお洒落で、なかにはタトゥーを入れているラクダもいる。
今日もラクダは広大な砂漠を、あせることなく、のんびりと、ゆっくりと歩いていることだろう。
私たちもラクダのように人生を歩んでいけたら、どんなにいいだろう。
悠久の時を越えて悠然とそびえ立つピラミッド
なんと娘の部屋のベランダから眺めることができる。
そしてそれは1日の時の流れの中で、刻々と姿を変えていく。
エジプシャンにとっては、生まれた時からピラミッドはそこに存在する。
だからいたって彼らの思いは淡白である。私たちのような異邦人の方が、思い入れは深い。
遠い5000年もの過去に遡って想像してみる。
まだ化粧石が施されていたピラミッドの輝く姿に古代エジプト人たちは、きっとそこに神の姿を見ただろう。
天から降り注ぐ太陽の光線に似た偉大なる三角。完璧なバランスの三角に、私も思わず手を合わせる。
「夫と息子が元気で働けますように 娘がエジプトに愛され無事に過ごせますように…」