アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

待望のセラぺウム

2014年02月26日 | 旅行

 

 

 

エジプトの暴れん坊将軍、強烈な砂嵐からセラぺウムへ必死に逃れた私達は、しばし放心状態。

髪、衣服、顔の砂を丹念に払って小休止をとった。

あれほど砂を払ったはずなのに、その日のシャワーは、タイルに砂がたまった。

 

                                                   

 

そして一息ついた砂臭いメンバーは、砂が吹き込む入口から、まるで伝説のゲーム「ダンジョンマスター」の洞窟のようなセラぺウムの中へと移動し始める。

 

 

                 

 

まだ入り口近くのダンジョンでは、ハムシーンの轟々という唸り声が聞こえる。

思わず耳を塞ぐビビりの息子(笑)

 

                                  

                                     

 

 

ライトアップされた数多くのアピスの棺が徐々に姿を現わしてきた。

セラペウムは1851年に、これまたオーギュスト・マリエットによって発見された。

地下回廊には約30頭の聖牛の棺が並んでいて、石碑にその聖なる牛が生きた時代の記述が刻まれている。

 

 

 

                                        

 

 

古代エジプトでは、豊穣のシンボル牡牛が「アピス」と呼ばれ神として崇拝されていた。

エジプト全土からアピスの特徴を備えた牡牛を探し出すための特別な祭司までが存在したそうだ。

 

 

                 

 

 

その特徴とは身体は黒く、眉間に三角の白い斑点があり、背中に鷲の形をした模様があり、尾には2重の毛が生え、舌にはスカラベの様な模様がついている。

そんな牡牛が本当にいたのだろうか。

それでも聖牛が発見されると、全エジプトが歓喜し祭りを行ったそうだ。(ムハンマドさん談)

 

 

 

                                

  

ハワード・カーターの豪快な逸話にも、このセラぺウムが登場する。

カーターがサッカラの監査官だった頃、ある時酒に酔ったフランス人観光客の一部がセラぺウムのチケットを支払わず入場。

その後、一行はセラぺウム内部に灯りが無かったことを理由に全員のチケットの払い戻しを要求。

それに対してカーターは払い戻しを拒否、これが殴り合いに発展。カーターはもちろんエジプト人と共に参戦。

その結果フランス人観光客が大使館を通して抗議をしてきた。

イギリスとフランスの外交的な考慮から、カーターは謝罪を要求されたが、これを拒み考古局を辞職してしまった。

この後しばらく不遇な時代を過ごす事にはなるが、一本筋の通ったカーターに拍手!(山岸涼子「ツタンカーメン」より)

 

 

                  

 

                                

 

もうひとつセラぺウム、アピスが登場する物語がある。

瀬名秀明「八月の博物館」だ。

 

                                                         

 

真夏に奇妙な博物館を発見し、その不思議な博物館に迷い込む少年と、時空を超えたマッチョなマリエットが大活躍する物語。

クライマックスは、セラぺウムに甦ったアピスが登場して、今日の暴れん坊砂嵐のように暴れまくる。

息子の本箱から偶然見つけて読んだら、なかなか面白かった本だ。

一番驚いたことは、瀬名氏のあとがきにあった記述。

この物語を編むために協力してくれたWael M Atef さんに感謝するとある。

私の初エジプトの日本語ガイドさん、ワッちゃんのことだ!!すごい!!

 

 

 

                                        

               

長かったダンジョンの冒険も、上がり階段が現れて地上へと戻る時が来たようだ。

砂嵐のうなり声が聞こえてこない。次の地点へ移っていったのかもしれない。

避難させてくれたアピスに感謝。

 

 

                                                                          

 

映画館から出たように目がチカチカするが、とにかく御一行様 無事ご生還。

おめでとうございます!アリフ マブルーク!

去っていった砂嵐の名残りがまだ残るなか、次の目的地ダハシュール・メンフィスへ向かおう。

 

追記:入口でカメラを取り上げられなかったので、写真撮影は禁止ではないと思った。

セラぺウム内の写真は、ひょっとしたら禁止、もしくは近い将来禁止になる可能性があるかもしれない。

2003年当時、エジプト考古学博物館も写真撮影を禁止してはいなかった。翌年訪れた時には、すでに撮影禁止となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


エジプトが牙をむく!

2014年02月19日 | 旅行

 

 

 翌日3月8日、エジプト到着後3日目に突入。

階段ピラミッドと聖牛アピスのミイラが祭ってあった墳墓セラぺウムへ向かう。

今日も素晴らしい天気。

メンバーも誰一人欠けることもなく、元気いっぱい!なによりだ。

 

 

                 

 

サッカラまでの道のりは、一転してのどかな田舎の風景が広がる。

ナツメヤシが元気を振りまいて空に向かって伸びている。

ナツメヤシは人々の美と健康を守ってきた栄養価の高い果実を実らす。

外を眺める車中の御一行様のウキウキ感が伝わってきて、なんだか嬉しい。

 

 

                     

 

階段ピラミッドにほどなく到着。

葬祭殿パピルス柱の柱廊を抜け、ウナス王のピラミッドを眺めてから、ガイドのムハンマドさんが北の方角を指し示して

「いつもならギザの三大ピラミッドが見えるのですが、何かもやもやがありますね~、見えませんね~。」と残念がってくれる。

このムハンマドさんの言葉が後から起こる出来事の暗示になっていたとは、私たちには思いもよらないことだった。

 

 

                                        

 

階段ピラミッドに戻り、ゆっくり眺める。

もうお気づきだろうが、左が2003年、右が2013年の姿だ。

いずれも私が撮ったもの。この変貌ぶりはどうだろう。

 

 

                         

 

 専門家の方々の見解

「下手をすると、世界遺産から除外されることになりかねないし、UNESCOも注目しているのでは…

修復には、対象がどんなものであっても、オリジナルを最大に尊重する理念・倫理とそれに基づく技術が必要です。それなしに進めると批判を受けます。

技術的には、化粧的な補強がどうしても必要だったのか、他に手段はなかったのか、知りたいところです。」 Matsudaさん

 

「保存修復と復元とは全く違う概念です。復元の場合、どこまでやるかは常に議論される問題ですが、少なくともやり過ぎは頂けません。

時の経過を感じさせつつも古代の姿を忍ばせるていどの『慎みのある復元』を目指すべきだったように思います。」 Hirotaさん

 

「修復前、特に階段ピラミッドの南側と東側では、ピラミッドの石積み構造がはっきり見えていました。古代の建築方法が説明出来る大事なものです。

しかし、修復でそれが全て隠されてしまっています。見た目はきれいかも知れませんが、元の状態が全く残っていないため、上手な修復だとは言えません。

階段ピラミッドのレーザー・スキャンニングをした2008年、

エジプトの修復会社が修復をピラミッドの南側から始めたばかりのところで、ピラミッドの周辺で同時期に仕事をしていました。

毎回見る度に新しいピラミッドに変わって行くのを見て、もう取り返しがつかなくなったと思いました。」 Yahataさん

 

などとの意見が飛び交っていた。

ピラミッド内部の崩落もあって焦ったようだが、このような修復を行ってしまったのが残念でならない。

 

 

                 

 

やるせない思いで変わり果てた階段ピラミッドを眺めていると、怪しげな風が吹いてきた。

空の色も知らぬ間に変化してきていた。

 

                                                       

 

バラバラに暮らしている家族がエジプトで全員集合~~!(夫は仕事で残念なことだった…)の写真を撮ろうという頃には

風がますます強烈になり、こんなおかしな写真になってしまった。

 

 

                 

 

慌ててバスに戻ると、みるみる世界は金色に変貌し、周りの景色が消滅。

エジプトが牙をむいた!

強烈なハムシーン(砂嵐)が襲い掛かってきたのだ。

かつてピラミッドエリアで経験したが、それの比では無かった。

なんとかセラぺウムの近くまでバスを移動させたが、一向に収まる気配をみせない。

かといって11年振りに公開になったセラぺウムを諦める訳にはいかなかった。

バスからセラぺウムまでのわずかな道のりを歩くことになったが、それが本当に恐ろしかった。

息ができない砂嵐の中、コンタクトの入った瞳はまるで拷問のように痛み、顔の皮が破れるのではないかと思うほどの砂の連続ビンタをくらいながら、

それでもセラペウムが見たいという一念で、立っていられないほどの風に逆らって少しずつ歩を進めていった。

うううう、、、呼吸困難。。。。。

やっとの思いでたどり着き、地下へ潜る。

しかし地上ではまだ獰猛な砂嵐がごうごうと雄叫びを上げ猛威を振るっていた。

ハンパない!エジプト!!!

 

                                         

 

エジプトの砂漠の細かい砂が下着の中にまで侵入し、サングラスをとると、そこからサラサラ砂がこぼれ落ちた。

しばらくはセラぺウムで退避だ。聖牛アピスがきっと守ってくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 


タハリールスクエアへ

2014年02月16日 | 旅行

 

 

 

2013年3月7日午後 旅を続けよう。

バスを走らせギザからカイロ市内へ向かう。

相変わらずの渋滞だ。お喋り好きなエジプト人に似て、車達もやはりとんでもなくお喋りをする。

「へい!友だち、元気かい?」「食事はしたかい?」「こっちの道であってるのかな?」「おいおい!もっとそっちへ寄れよ!ぶつかるだろう!」

大騒ぎのクラクションがそんな風に聞こえる。                        

 

 

                     

 

途中でハッピーな車がやってきた。

ウエディングの車だ。こんな車は革命直後は見かけなかったので、生活を取り戻りつつあるエジプトに嬉しい気分だ。

 

 

                                                                        

 

 

革命の舞台となったタハリールスクエアにあるエジプト考古学博物館に到着。

2年振りの博物館、やはり観光客の姿は少ないが、革命直後よりは人が戻ってきていると感じる。

 

 

                                       

 

ツタンカーメン王、ラムセス王に初対面する友人達は期待で興奮状態だが、やっぱり館内は静かだ。

遺物展示のケースの前で、多くの国のツアーガイドの話が終わる順番を待ちながら、人々の頭越しに背伸びをして遺物を垣間見てことを思い出す。

館内はいろいろな人種、言語のるつぼで、熱気を帯び活気に満ちていた。

そんな賑わいを知ってしまっていた私は、展示物をゆっくり鑑賞できる喜びよりも、空気が冷たく深い森に迷い込んだように寂しげな博物館に心が痛む。

それでも博物館ツアーは、友人たちの感激と興味で陽気にスタートした。

カイロ大で考古学を学んでいた日本語ガイドのムハンマドさんの説明は、いつもなら素通りしてしまう遺物にも目を向けさせてくれる素晴らしいものだった。

私たちは大変ラッキーだった!

 

 

                           

 

前庭にあるこの像はフランス人考古学者 オーギュスト・マリエット。

彼は1858年から創設されたエジプト考古局の初代長官に就任。

発掘活動を続けるうち、発掘品をエジプトの国外に持ち出すことに否定的な考えを持つようになる。

そして1863年カイロに現在の考古学博物館の前身である博物館を創建、遺物を展示保管することにより国外流失を防いだといわれている。

エジプトの友人から聞いた話では、彼のいとこがロゼッタストーンの解読に成功したシャンポリオンの友人だったとか。

歌劇「アイーダ」の原作者でもある。

彼は生涯エジプトを愛し、晩年はエジプトに戻り亡くなった。

彼の亡骸は1904年に開館した現在のエジプト考古学博物館の前庭に眠っている。

 

 

 

                                

 

その博物館の前庭には、エジプトの学生達も訪れていた。

人懐こい彼らは、息子、娘たちと意気投合。娘の通訳を介してすぐに仲良しになっていた。

彼らのキラキラした瞳と笑顔は本当に魅力的だ!

 

 

 

                  

                2011年でのカフェの様子。カフェは今も営業している。                 カフェのすぐ前にそびえ立つムバラク国民民主党事務所ビルの残骸              

 

革命直後訪れた時には、カフェと博物館の土産ショップが出来ていた。

新しいエジプトの幕開けの心意気を感じさせられるような素敵な店だった。

クオリティが高い品揃えが多く、革命写真のカレンダーやエコバック、スカラベの小物入れ、文房具、書物などいろいろな物を購入した。

今回も買い物をすることを楽しみにしていた。

が、本当に残念なことに閉店となってしまっていた。

観光客が多ければ、きっと大賑わいのショップだっただろう。

持ちこたえることが出来なかった店が、旅をしていくうちに増えていっていることは残念なことだ。

 

 

 

                                       

 

 

博物館を出ると、ナイル沿いに人垣が出来ていた。

なんだろうと思っていると、白煙が上がっている。ムハンマドさんの説明によると、くすぶり続けているデモ隊による仕業とか。

今から思うと、その後に起こる2013年6月30日から勃発したエジプト政変の予兆だったのかもしれない。

新生エジプトへの通過点を目撃していると思い込んでいた今回の旅。

この後、再び娘がエジプトを後にしなければならなくなるとは知る由もなかった頃だ。

しかし、私たちの愉快な旅はまだまだ続く。

明日は今回のツアーの目玉!11年振りに一般公開された聖牛アピスの墳墓セラぺウムへ!