アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

アビールの家庭料理

2011年12月25日 | 旅行

 

 

 

アラブ特有の重い頑丈な扉を開けると

広々としたリビングを背に、アビールがニコニコ笑って立っていた。

再会に感激!アビールは変わらず元気で若々しい。

 

 

          

 

調度も豪華で、アビールの暮らしぶりが豊かだと窺えた。

絨毯が敷きつめてあるので、日本のように玄関先で靴を脱ぐ。

 

          

 

その玄関で目に入った物が、大きなアラブ風のナイフ!

革命時に、この辺りも治安が悪化。家族を守るため、自衛団に加わったアビールの夫が持った物だと教えてくれた。

カイロから随分離れているこの地にも、争乱は確実に飛び火していたのだ。

 

          

 

東日本大震災の応援パレードにアビールも参加し、それが新聞に掲載されたと誇らしげに見せてくれた。

日本人ガイドのアビールは日本人の友人も多く、心から案じていてくれた。

  

     

 

アビールは、食事の支度に取り掛かった。

おなじみのモロヘイヤスープを手際よく仕上げていく。

祖母から受け継いだという調理器具もあって、物を大切に使い続け受け継いでいく。

 

     

 

キッチンの食器棚の取っ手がナイフ、フォーク、スプーンで可愛い!

 

          

 

テーブルに出来上がった料理が次々と並べられていく。

私達の為に、昨日から準備に取り掛かってくれていたようだ。

 

          

 

チキンを煮てからオーブンで焼く フィラーフ・ムハンマラ。

ナスにご飯を詰めて、トマトソースで煮込んだ マハシ。

ポテトのオーブン焼き。

モロヘイヤスープと焼きたてのエジプトパンの アエーシ・バラディ。

ナスを炒めてピリ辛のオイルに漬けた ビティンガーン。

エジプトの漬物トルシー。

 

          

 

どれも美味しかった…。心のこもったご馳走で美味しかった…。

特に家庭料理の代表であるマハシは絶品の味だった。

エジプトでは家庭料理ほど美味しい物は無いと思うが、特にアビールは料理名人だ。

エジプトの地で累々と受け継がれてきた家族を思う母の味。

ご馳走様でした。

 

          

 

バルディースがお姫様のような部屋を見せてくれた。

ベッドの上には、せんと君とひこにゃんが!娘からのしばらくのお別れのプレゼントだ。

 

     

         

 

バルディースの弟、バッサームが塾から帰ってきた。

少しはにかんで、カダフィ大佐の絵を描いたと見せてくれた。

まだ小学生の彼が、題材にカダフィーを選んだことに驚いた。

しかも、よく観察されて描かれている。

 

 

   

 

ベランダから望んだ町並みは、結婚したばかりの頃、住んでいた名古屋城近くの団地の風景に少し似ていた。

若い夫婦が多く、子供達が元気に外で遊び、団地の谷間に喚声が響いている。

笑ったり怒ったり泣いたり、懸命に家族と向き合ったあの頃の日常が、懐かしく愛しく思い出された。

アビールは今、そんな幸せな日常の真っ只中にいるのだ。

明るい西日が差し込んでくる頃、私達はアビール達に別れを告げた。

美味しいお料理と温かな家庭をいっぱいご馳走になったひとときは、この旅の忘れられない思い出の1ページとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 


太陽の娘

2011年12月16日 | 旅行

 

  

アビールは、2006年に訪れたエジプトツアーの日本語ガイドだった女性、

娘にエジプト留学を強く勧めてくれた人でもある。

その一回きりの縁であるにもかかわらず

娘を気遣って、在住中は何度も食事にお招きいただいていた。

 

                   

                                 (青い服の女性がアビール)

 

毎年、家族、親戚が集まって行く遠出の海水浴にも、家族の一員のように連れて行っていただいた。

アビールの娘バルディースとは、大の仲良し。

 

                   

 

お世話になった感謝の心を、お会いしてどうしても伝えたい。

アビールに連絡をとったら、お宅へ招待していただくことになった。

うきうき3人で、サアルコリーシュにあるお宅に向かう。

 

                  

 

道中エジプトの町並みを楽しみながら、タクシーから外を眺めていると

店先でモスクらしき設計をしている人を見る。

なぜ外で???この地に建つ予定のモスクを、町並みを見てイメージするためかもしれない。

 

    

 

しばらくすると、多くのマンションが立ち並ぶ景色に変化してきた。

以前はあまり見かけなかったマンションが、ずいぶん増えてきている。

建築中の建物も多いマンモスタウンだ。

 

                 

                                            (綿菓子を売る少年達)

 

約束の場所に到着。

しばらく待つと、優しい太陽のような微笑を見せたバルディースが姿を現した。

美しいエジプトの娘…。

 

           

 

すっかりバルディースの魅力に虜になった私達は、弾んだ気分でアビールのお宅までしばらく歩いていく。

 嫁とも、すぐに打ちとけて手をつなぐ心優しいバルディース。

 

    

 

エジプトブルーの空、輝く太陽は真上だ。

私たちは短い影を落としながら鼻歌を歌って、笑って、おしゃべりして、まだまだ歩く。

近所のお菓子屋で子供たちがワイワイ品定めをしている。

お買い物の若い女性達が歩いていく。

コーラを積んだ大きなトラックが威勢良くすれ違う。

活気あふれる若い新興住宅街だ。

 

  

 

もうすぐアビールのお宅へ到着するらしい。

太陽の娘バルディースは振り返って、そう教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 


自由への選挙

2011年12月10日 | 日記

 

 

人民議会選挙が、いよいよ11月28日からスタートした。

 

    

 

エジプト5千年の歴史上、初めての自由な選挙といっても過言ではない。

午前8時の投票開始を待って、長い行列ができた。

ムバラク政権下での選挙は、不正が堂々と横行し、多くの国民は選挙制度に絶望していたが、

この状況を見る限り、公正な選挙への喜びと期待が伺える。

 

          

 

今回の人民議会選挙は、498議席のうち3分の1が小選挙区、3分の2が比例代表。

来年の1月まで全国を三つの地域に分けてで実施される。

小選挙区で過半数に満たない時は、決選投票が行われるというしくみになっている。

 

     

 

この選挙では欧米諸国が支援要員派遣を申し出る中、エジプト政府は日本の選挙支援に白羽の矢を立ててきた。

JICAの黒田氏を中心に、選挙委員会のメンバーに開票作業のノウハウを指導、選挙の円滑実施に貢献している。

 

           

 

エジプトの友人の話だと、立ったまま3、4時間並んで投票する人々が列を作ったとか。

当初、第一回投票の投票率は62%と発表された。(後に数字の訂正されたようだが)

 

            

 

その結果、イスラム穏健派といわれているムスリム同胞団が6割の29議席、

厳格なイスラム主義のヌール党が4議席、リベラル派の自由エジプト人党は1議席を獲得した。

 

          

 

何度もエジプトを訪れ、触れ合ったエジプトの人々は陽気でパワフル、人懐っこく心優しくて親切。

そして異邦人に優しいイスラムの国だ。

その素敵な国民性を無くすことなく、公正な自由な国を目指してほしいと心から願う。

その第一歩が今始まった!

 

                                                                                    (写真提供:EWSより)

 

 

 

 

   

 

 


青年海外協力隊

2011年12月02日 | 日記

 

 

革命のさなか帰国して考え込んでいた娘が、ある日「青年海外協力隊の試験を受けてみる!」と宣言してきた。

協力隊の存在は、ガールスカウト活動でも度々取り上げられていた。

他の道へ進んで、叶わなかった息子の夢でもあった。

 

       

 

エジプト在住中、協力隊OB・現役の方々と親しくさせていただいていた。

カイロにお住まいで、ご夫妻共 協力隊でいらしたツイ友さんもいらっしゃる。

 

           

                  (渋谷にあるJICAの宿泊施設) 

 

そんな方々の良き影響を受け、決意したようだ。

それからまもなく、震災で延期されていた23年度春募集の選考の日程が決まったことを

ツイッターのJICAさんからお知らせいただいた。

 

             

 

心が固まった娘は、見たことのないほど精力的に動き始めた。

身体が資本とばかりに、思い切って持病だった鼻炎手術を受け、歯科をはじめとしてメンテナンスに根気良く通い、

苦手な英語のスコアを少しでも上げようと、猛勉強を始めた。

 

           

 

そのかたわらアラビア語検定を受けに大阪へ、心もとなくなったお金のためバイトにも励んだ。

人間目標が決まると、グータラからこんなにも変身できるのかと驚いた。

 

   

 

ついに東京での最終選考の日がやってきた。

面接官に自分としては出来る限りのアピールをしたと、クタクタになって、しかし明るい表情で戻ってきた。

娘の長かった挑戦は、これで終わった。 

 

             

                (引き出しに各国の言語で落書きが!)

 

後日、派遣予定者としての合格通知が送られてきた。

職種 : プログラムオフィサー

派遣予定国 : エジプト

娘の夢はひとまず叶った。

しかし、当然これからが本番!血税を使わせていただいての派遣だ。

スカウト活動の集会で、世界には多くの問題が山積していることは学んできた。

どのような貢献がいいのか、可能なのか、そこから何を掴むのか、しっかり見極めてきて欲しい。

これが、再びエジプトへ向かう娘を許した親としての条件である。