アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

タハリールの素敵な友人

2011年10月29日 | 旅行

 

 

博物館を出て、日本語学校に通うアハマド君に別れを告げ、

フェイスブックで友達になった智子さんとお会いするため、約束の場所へ向かう。

 

            

 

智子さんは長年の夢を叶えて憧れの地エジプトへ渡り、タハリールに居を構え旅行会社に勤務している。

ある日、死に掛けていた子猫を拾い育て始めた。

すると、予期せぬエジプト革命が勃発。

帰国しようと思ったが、子猫を連れて戻るには手続きに8ヶ月以上を要することがわかった。

 

 

       

       

彼女は目の前に起こっている争乱から逃れるよりも、子猫の命を思いタハリールに残る決心をした。

何日も外へ出ず、恐怖の中ひたすら沈静化を待ったようだ。

そんな彼女の気持ちが痛いように理解できる。私もきっと同じことをしただろう。

 

 

  

 

話を続けていくうちに、初対面にもかかわらず、娘との接点が多いことが判明。

娘が以前勤めていたサッカーラという旅行会社に、その後勤務していたこと。

滞在中の娘が風邪でダウンしていなければ、友達の紹介で対面のチャンスがあったこと。

また革命時、娘がお世話になった考古学者の河江さんのエジプトでの講演会、現場ツアーに参加したこと。

講演の素晴らしさにファンになったことなど。

 

 

       

 

考古学者宿舎に避難をさせていただいていた話をすると

「えーー!!千明さん!いいなー、いいなー!」と智子さんがいうので大笑いした。

世間は狭い。いやエジプトは狭い。

 

 

       

 

タハリール・タラアト・ハルブ通りのビルの谷間にあるオープンカフェでの

女4人の賑やかなおしゃべりは続く。 

 

  

 

またたく間に時が過ぎ、気がつけば、辺りはすっかり暗くなっていた。

智子さんにお会いして、彼女の情熱と行動力に感服。

何より大好きな場所が同じだという同志のような彼女を応援したい気持ちでいっぱいになった。

一度きりの人生、自分の夢を実現しようと努力している若い彼女は、素晴らしい!羨ましい!

 

 

       

 

智子さん!またエジプトへ行ったら ぜひお会いしましょう!

お土産はもちろん!智子さんが大喜びしてくれたココ壱のカレーね!!

 

 

 

 

 

 


タハリールの博物館

2011年10月20日 | 旅行

 

 

  

 

タハリールに近づくにつれ、装甲車や軍人が増え、ナイル川沿いの道路には鉄条網が張り巡らされていた。

初めて見る異様な光景に緊張が高まってくる。

 

  

 

 

4月9日 数百人のデモ隊を軍が強制排除、2人が死亡するという事件が起きていたことを知った。

ツイ友の方々からいただいた情報だ。

タハリールにある旅行会社勤務の日本人女性に連絡をとり、生の情報を聞き

一日おいてから、エジプト人男性の友人にボディガードを頼んで、カイロ博物館へ向かうことにした。

 

 

       

                 (エジプト国営放送局) 

 

       

               (ムバラク国民民主党事務所) 

 

非難の的となったエジプト国営放送局の前を通り、火災で真っ黒になったムバラク国民民主党事務所が見えた時は、

まさしくこの地で、革命が起こったのだと実感した。

 

 

       

 

博物館へやっと到着。庭は驚くほど人影がまばらだ。 

いよいよ館内へ入る。

中は配置が換わり、エントランスから中央にあった階段が撤去され、

その代わりに出来た大きな空間に、巨大ファラオ像が配置されていた。

近代的な展示室も新しく作られていたが、このアンティークな博物館にはマッチしないようだ。

ひっそり閑とした館内を巡り、少し寂しい気分でエジプトの至宝たちをゆっくり鑑賞する。

 

 

  

 

傷ついたこの博物館は、表面的には取り繕われていて、まったく傷の痕跡は認められない。

しかし、エジプトの友人たちの言葉は辛らつだ。

「アナタ シッテル?Z博士ハ ドロボウヨ!!」 その言葉に絶句した。

確かにツイッターでも、その噂は流れていた。

 

 

  

 

館内から出ると、土産物屋がモダンにリニューアルされ、その隣にオープンカフェもでき

すっかりお洒落に様変わりしていた。

 

 

    

      (ボディガード役を引き受けてくれたアハマド君。みんなで日本語特訓中) 

 

 

しかし前を見ると、黒こげのビルが亡霊のように立ちはだかり

部屋の一つひとつが見通せて、リアルに恐怖が迫ってくる。

      

 

 

新築の美しい建物と、この無残な黒い建物の対比は、革命半ばで不安定なエジプトの象徴のようだ。

その姿は、エジプトの未来の光と影なのだろうか。

 

 

 

 

 

 


春を待ち望む店先

2011年10月14日 | 旅行

 

  

ハン・ハリーリの店を覘いて歩くのは、大変楽しい。 

多くの観光客や呼び込みの声で、町はエネルギーで溢れ、お祭りのように気分が高揚してくる。 

  

          

 

しかし革命後のハン・ハリーリは、これまで見たこともないように おとなしい。

 

          

 

9月11日、イスラエル大使館が襲撃され、11月9日にはコプト教徒のデモ隊と治安部隊の衝突があり

25名の死者と300名以上もの負傷者を出すという事件が起こった。

 

 

 

革命の最中、コプト教徒が礼拝するムスリムを人間の鎖で守る、というシーンの写真を多く目にしたことを思い出す。

先日覗いたフェイスブックでは、その時の写真が

「I will not forget!」のメッセージと共にエジプト人によってアップされていた。

きっと、ムスリムに呼びかけているのだろう。

本当に庶民レベルでの衝突だったのか、定かではない。

 

        

 

そんなエジプトの人々は、迫る11月28日の人民議会選挙に望みを託している。

「この選挙が終わってエジプトが安定すれば、観光客は戻ってくる。」

 

 

 

経済状態の悪化に対しても

「長年ムバラク政権が続いて、そのつけがきているのだから仕方がない。

しかしエジプト国民の多くが立ち上がった革命は正しかった。」と言う。

 

          

 

          

 

予断を許さないエジプトではあるが、国民は今じっと耐えている。

しかし、その表情はまだ暗くはない。

まず人民議会選挙が無事実施されることが、第一関門だと思う。

この産みの苦しみを乗り越え、民主的なエジプトの春を必ず誕生させて欲しいと心から願っている。

 

        

 

 

 

 

 

 


ツイッターの取材

2011年10月08日 | 日記

 

 

遡ること今年の2月、娘が帰国してまもなくの頃

木曽川町元町長さんを介し、中日新聞の谷記者から電話をいただいた。

出エジプトの顛末を記事にしたいとのお申し出だった。

ツイッターの皆様の励ましや、帰国にご尽力してくださった方々への感謝を込めて、娘と二人でお話しさせていただいた。

 

 

取材を受けてまもなく、日本はあの未曾有の災害に襲われた。

その時のツイッターも重要な役割を果たしていたのを思い出す。

スカウト活動のヒントにと、何気なく始めたツイッター。 もしあの時ツイッターを始めていなかったら…と思う。

ツイッターには忘れかけていた人と人との繋がりが存在する。

ツイッター上でなければ、知り合えなかったご縁の方々も多い。

まだまだ可能性を秘めたツイッターは、大きな人の輪だと思っている。

この大きな人の輪を、大きなものさえ動かす大きな力に変えていくのは、私達次第なのだと強く感じている。