アナザースカイ エジプト

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14,光と陰のストーンタウン

2018年10月27日 | 旅行

ピンチを切り抜け、ベッドで眠ることが出来た夜が明けて。

朝食をとる。

欧米人と思われる観光客が圧倒的に多い。

休暇も羨ましいほどあって、バカンス上手な欧米人は

素敵なところを良く知っている。

「オロジョ」というローカルなスープにも挑戦。

ライムで酸味をつけ、じゃがいも団子や肉、ゆで卵をいれたもの。

クセになりそうな味。

この旅の最終日は半日ガイドさんをお願いしてザンジバルを巡った。

ここからはガイドさんの説明。

驚嘆の家(The House of Wonder)

かつてスルタンが式典用に立てた宮殿。

当時としては、画期的なエレベーターや水洗トイレがあったので

「驚嘆の家」と呼ばれた。

  

「オールド・アラブ要塞」の近く

なんと見覚えのあるマークが!

 イギリス領だった頃のガールスカウト(ガイド)のテニス場跡があった場所だそうだ。

  

 どこか懐かしい建物のお土産屋が並んでいる。

  

ガイドさん

ザンジバルは16世紀初めは、ポルトガルに占領されていた。

ポルトガル人の住居や教会のあった場所にこの砦が建てられ、

アラブからの攻撃に備えた。

現在はこのスタジアムの舞台で、ライブなどが行われている。

で、アラブ砦でひと休み。

石に座っていたら、ヘナタトゥー師のマダムがイスを差し出してくれた。

みんな優しい。

ストーンタウンを再び散策。

なぜかカイロ ・モロッコ ・アレッポの落書きを見つけた。

この情緒ある佇まいは、Emerson Spice Hotel

   

活気あるフングニ魚市場、市営マーケットと巡る。

マーケットでゲバラTシャツの若者から、スパイスを買う。

クミン、シナモン、コリアンダー、ブラックペッパー、レッドチリ、カルダモンなど。

料理の上手い夫なら使いこなすはず。

旧奴隷市場跡にやってきた。

衝撃的な石像が現れる。

スウェーデン人の彫刻家によって造られた奴隷5人の石像。

専門ガイドさんの説明。

19世紀、世界の奴隷貿易の中心はザンジバルだった。

イスラーム商人は、アフリカ大陸内陸部から非ムスリムの黒人を奴隷にして市場まで連行し、インドやアラビア半島へ輸出していた。

イギリスが奴隷貿易を廃止させようと試みたが、この頃のザンジバル経済にとって、奴隷貿易は不可欠となっていた。

1896年、英国艦隊はスルタン宮殿に砲撃。 スルタンは降伏、ザンジバルの奴隷貿易はやっと廃止となった。

  

地下へ降りると、奴隷が収容されていた生々しい空間があった。

奴隷取引の間、この地下室に息もできないほどの大人数が閉じ込められ、多くの人々が飢えと窒息で亡くなった。

まさに、この場所でだ。

屈まないと移動できない高さのこのスペースには、女性子どもが70人ほど収容されていた。

この劣悪な環境のもと、人を酷使し尽くす人な奴隷制度は1896年まで続いたという。

奴隷にされた人々の壮絶な辛苦が浸み込んだこの場所を、ザンジバルは負の遺産として保存、公開している。

忘れてはならない記憶として。

旧奴隷市場跡に建てられた大聖堂(Cathedral Church)からは、

鎮魂の悲しく美しい讃美歌が流れていた。

情報を提供してくれた専門ガイドさんと。

  

ストーンタウン町巡りに戻る。

額縁やプレート。色、デザインも素敵だ。

  

飾り付けが可愛い土産屋 

ローマカソリック教会

フレディ・マーキュリーがここストーンタウンで生まれたことも知った。

ここは彼の生家。

両親は、ペルシャ系インド人であるパールシー。

裕福な層や政治的に影響力をもった人々が多いのが、パールシー。

彼は、インドの全寮制の英国式寄宿学校生活を経て、1963年にザンジバルに戻り家族と一緒に暮らし始めた。

しかし、翌年ザンジバル革命が起き、17才のフレディと家族は、ザンジバルを離れイギリスへ渡った、という経緯があった。

11月9日から公開される映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、

ロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディを描いた伝記ドラマだと知った。

必ず観にいきたい。

 

半日付き合ってくれたガイドさんに別れを告げ、

テンボハウスのカフェで海を眺める。

残り時間は少ない。

ザンジバルの空と海の空間に、あとしばらくは存在していたい。

海を眺めながら、娘とこれまでの旅を振り返って「楽しかったねぇ…。」と思い出してクスクス笑った。

夕暮れが迫る頃、ザンジバルを後にする。

美しい町だったストーンタウン。

しかし様々な文化が共存する平和なザンジバルにも、光と陰があった。

どこの国でも、どの場所でも存在する負の歴史。

人間はしようがない性の生き物だ。

息が詰まる収容所は、漆黒の闇のような絶望に包まれ、

珊瑚礁の白い町と波飛沫は、眩しく光り輝いていた。

乗り継いだ飛行機の中、
窓から見えたカタールの町は、フィナーレのように輝いている。
 
今、カタールも飛び立った。
 
あと11時間で、この旅も終わる。

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