アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

エジプト騒乱 再び…

2011年11月25日 | 日記

 

 

11月18日、大規模な抗議デモが発端となり、今エジプトは危機的状況にある。

デモはエジプト革命後も続いていたが、来る28日に迫る人民議会選挙を前に

第二のエジプト革命ともいえるほどの治安部隊とデモ隊との衝突が起きた。

          

            

    (エジプト風刺画・それぞれの思惑でエジプトを描く、今のエジプトの状況を上手く表現している)

 

 エジプト革命と違う点は、民衆側に立っていたエジプト軍も治安部隊に加わったことだ。

一連の衝突の大きな原因は、ムバラク政権の崩壊後に全権を握ったエジプト軍最高評議会が

新憲法に軍の権益を維持する原則を導入しようしたことだ。

 

 

           

 

治安部隊は、ゴム弾を装填した散弾銃、催涙ガス、果ては実弾まで使って鎮圧を図ろうとしている。

今回の催涙ガスは、CR催涙ガスだと言われている。

革命時のCSガスより6-10倍強力で、窒息死で亡くなる人が多数出ている。

毒ガスと言っても過言ではない。

強力な催涙ガスが準備されていたのが、不可思議だ。

 

          

 

あからさまに、民衆に銃口を向けるフォトも多くアップされている。

信じられない光景だ。

 

       

 

民衆は、それでも抵抗を続けている。

 

       

 

催涙ガスを、投げ返そうとしている民衆もいる。

 

 

        

 

3日目に突入時点で、負傷者は1000人を超え、33人の死亡が確認されていた。

今この時も増え続けているだろう。

少年の絶望的な表情には、言葉がない。

 

   

 

ゴム弾の散弾銃で目を負傷した人が多い。失明の危険性が高いといわれている。

強力な催涙ガスは、お年寄りまでも苦しめている。

 

              

 

今回もコプト教徒が、イスラム教徒の礼拝の時間を人間の鎖で守った。

こんなシーンの多くのフォトを見て、革命後起こったコプトへの暴力事件は、一般民衆の仕業ではないと確信を持った。

 

 

        

 

まだまだ、デモ隊は沈静化する気配をまったく見せていない。 

あり合わせの物で防具を作ったり、逞しい女性が催涙ガスの缶を運んだり、

マジンガーZらしき者をタハリールに登場させたり…。

 

 

          

 

こんなエジプト人の逞しさやユーモアに触れると、少し光が見えた気がする。

国民に銃口を向ける政権を許すことなく、革命を発起した若者達の声をしっかり聞いて

生みの苦しみであえぐ「アラブの春」を完遂させてほしい。

 

*エジプト情勢を詳しくお知りになりたい方は下記をご覧下さい。

nofrillsさんのブログ「エジプトでは、何が起きているのか」 

http://nofrills.seesaa.net/article/236738449.html

 

 

 

 

 

 


アハマド先生

2011年11月18日 | 日記

 

 

カイロ大学文学部日本語学科准教授でいらっしゃるアハマド先生に

この夏、日本でお会いすることが出来た。

 

            

 

大変チャーミングでユーモア溢れる方、日本語が日本人以上に堪能でいらっしゃる。

長くお話していると、エジプトの方だということを度々忘れていた。

 

          

                 (先生が古くから親交のある長尾さんと)

  

エジプトで1974年設立された日本語学科の第一期生で、カイロ大同期には、小池百合子氏もいらしたそうだ。

その後、同大学日本語学科の准教授になられ、「源氏物語」のアラビア語訳をはじめ

古典から近代に至る日本文学の研究を続けられている。

エジプト革命の際は、来日・TV出演され、エジプト人から見たリアルな解説を展開されていた。

 

         

                       (アハマド先生の論文)

 

「フーテンの寅さん」こと渥美清氏がご存命なら、エジプトでの寅さんの計画が進んでいて、

山田洋次監督とも面識がおありになったようだ。

残念!!寅さんとマスリーヤ(エジプト女性)の恋が見たかった。

 

                   

 

先生とは私達も不思議なご縁があった。

先生の若き学生時代の留学先が、私の実家のすぐ近くだったのである。

名古屋市中村区の大門という繁華街で、検事になられたご長男はそこで誕生。 

先生にとっては、私の故郷が思い出深い大切な場所となった。

 

                      

                                 (ホームスティされていた薬屋さん)

 

そして時を経て、今度は娘が先生のマンションで暮らし、エジプトでのかけがえのない思い出を刻んだ。

 

   

 

娘が革命のため帰国した後、メッセージをいただいた。

「昨日は久しぶりに、あのマンションの様子を見に行きました。

 とても綺麗に掃除されていたので、また住みたくなりました。ありがとうございます。

 しかし千明さんが残した身の回り品を見たとき、なぜかこみあげてきたのです。

 千明さんがここを離れても、千明さんの魂が部屋の隅々に生息しているような気がして

 この先、私がこのマンションにいつか住み移ってもいいのかなと思いました。

 こうなったら千明さんのためにキープしておこうと思ったぐらいです。できるものならそうしたいのです。

 千明さん、あなたの魂はここにいるから、是非いつかエジプトのマイホームにもどってください!!」

 (原文のまま)

 

          

                    (ベランダから見えるピラミッド)

 

このメッセージをいただいて、胸がいっぱいになった。

娘もエジプトへ戻りたいと強く願ったと思う。

そして来春、再び娘はエジプトへ向かう。

あの明るい日差し溢れ、ピラミッドが見守ってくれる心休まるマンションへ、戻ることを願って。

 

          

                    

 

 

 

 


バヒ・トラベル

2011年11月12日 | 旅行

 

 

やっとたどり着けた バヒトラベル社へ足を踏み入れる。

落ち着いた造りの玄関の奥に事務所があるようだ。活気のある声が響いてくる。

エジプトに本社をおく、この会社は1983年に設立された。

エジプトを中心として、ドバイ、シリア、ヨルダンを取り扱う日本人向けの旅行会社である。

 

               

 

スタッフのシャイマさんが対応に出てくれた。

お世話になった石原さんとアハマドさんは残念ながら出張中とのこと。

お手紙をその場で書かせていただき、お礼を伝えていただくようお願いした。

 

              

 

シャイマさんとお話している間にも、スタッフやガイドと思われる人たちが

「日本から来たのですかー?私、日本語勉強しています。」とか「日本、大丈夫ですか?応援しています。」

と、気さくに声を掛けてきてくれた。

バヒトラベルのガイドだった日本人の方が陸前高田で被災され、

ご友人である考古学者・河江さんと作家・田中真知さんは、被災地へ不足していた物資の提供に赴かれたと聞いた。

 

          

                                  (河江氏撮影)

 

そのこともあってバヒトラベルは他社にも呼びかけて、日本を応援するためのパレードを行ない

その様子は日本のニュースでも流れていた。

 

          

 

          

 

この中には、タハリールでお会いした智子さん、友人のマイ、ヌールの顔も見える。

 革命後初めての国際試合となったサッカー・アフリカクラブ選手権では

「私達の心は日本ともにある」と書かれた日の丸が掲げられた。

 

              

 

カイロのモスクの金曜礼拝では「大震災で亡くなられた人々に哀悼の意を表したい」と説教が行われ

日本支援の小さな日の丸がムスリムに配られたと聞いた。

 

       

 

革命後、混迷を続けるエジプトで、いち早くこのような心温まる横断幕を作って

日本への応援を呼びかけてくれたバヒトラベル社。

エジプトの方々の熱い応援は、ツイッター、フェイスブックを通しても多く届けられていた。

「日本は大丈夫!あの原爆からも復興した強い人たち!絶対に立ち直る!」

これが、今回の旅行で一番多く聞かれた言葉だった。

エジプトの方々に深く感謝。。。

 

 

 

 

 

 


夢のアフリカへ探しに行こう。

2011年11月04日 | 旅行

 

 

の旅で、どうしてもお訪ねしたい所があった。

革命脱出時に大変お世話になったエジプトの旅行会社 バヒ・トラベル である。 

特にスタッフの石原さんとアハマドさんには、ご親切にしていただいたと娘から聞いていた。

ぜひお会いして、直接お礼を申し上げたかったのだ。

 

           

 

タクシーをつかまえて、ドライバーに「ここ、わかる~?」と住所を伝える。

「ああ!知ってるさ!行ける!行けるよ!」と自信たっぷりに言うので

「ほんとかなぁ~。」と疑心暗鬼で乗車する。

 

 

           

 

しばらく、爽やかな風に吹かれてのドライブタイム。

今日も堂々とそびえ立つ、顔なじみのピラミッドに「アッサラーム・アレイクム!」と挨拶。

 

 

  

 

ハイウェイを走っていると、頭の中にユーミンの「アフリカへ行きたい」が流れ出す。

「月は神話をのせ 今日も海へ帰る 太陽は漕ぎ出し やがて天の瞳

夢のアフリカへ探しに行こう~♪」

そうだ!ここはアフリカ大陸だ。

 

 

  

 

あっ!TOYOTAの看板が!なにか誇らしい。

可愛いトラックが横をすり抜けていく。気分はサイコー!

と、上機嫌も長くは続かなかった。

ドライバーが、どうも同じ所をグルグルまわっている。

そのうちに車を止めて、道行く人に尋ね始めた。しかも、何回も。

「やっぱり…。」どうも安請け合いの癖がある。

 

 

   

              

こんなトラブルは何度も経験して、エジプト人気質に少し慣れた私達は

「まあ、そのうち着けばいいや。」と諦めていたら

「ヘナ!クワイエス??」(ここでいい?)

看板を見ると「バ・ヒ・トラベル」  着いた!着いた♪

焦って泣き出しそうになっていた顔のドライバーと

「マーシ!マーシ!」(着いた!よかった!)と感激の握手を交わしてタクシーを降りた。

 

 

              

 

「夢のアフリカへ探しに行こう~♪」 私達の今日の探し物は見つかった。

 さあ!バヒ・トラベル旅行社へ。そのお話は次回。

帰りの道で見上げた輝く太陽の船は、ずいぶん下に漕ぎ降りてきていたが

今日も上機嫌で私達を照らしていてくれた。 

 

 

        

 

 

                         「アフリカへ行きたい」荒井由美   http://youtu.be/7joSmkU_Cf8