赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

目に余るメディア報道 current topics(411)

2019-09-04 21:20:21 | 政治見解




current topics(411):目に余るメディア報道 


昨今のテレビメディアの報道について、親しい友人から深く考えさせられるコメントを頂きましたのでご紹介します。


京都アニメの事件の犠牲者の名前を発表した際に、NHK含め報道各社は次のような前置きの後で実名を公表しました。

「NHKは事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするため、被害者の方の実名を報道することが必要だと考えています。そのうえで、遺族の方の思いに十分配慮をして取材と放送にあたっていきます。」

もっともらしい理由を付けて報道しましたが、これは真っ赤なウソです。
メディア各社の現場記者や編集担当者には被害者やその遺族に対する思いやりなど一切ありません。

この事件に限らずメディアは、事件や事故の被害者とその家族に対しマイクを向け意味のない取材をします。
亡くなった方の親や親せき、友人、はては近所の住民にマイクを向けて「どう思いますか?どんな気持ちですか?」と聴いて回っています。

悲しみの中にある遺族にさらに追い打ちをかけるような無神経な取材が常態化しているのです。
こんな取材情報を読者や視聴者は期待していません。

これは「報道の自由」ではなく二次被害を起こす「メディア・ハラスメント」です。

実際、京都アニメの実名報道は、警察は発表しない方針でいたようですが、
報道各社からの強い要請でやむなく警察が記者に限定して公表したもののようです。

こんな事情からしてもメディアのずるさが見えます。
メディアは人の苦しみを商売道具にして金に換えているのです。
メディア従事者は猟奇犯罪者、あるいは露悪趣味の愛好家のようです。
おぞましい物を見てほくそ笑む、人の苦しみを見てほくそ笑む精神構造を持っています。

先日も、NHKの番組に出演していたテリー伊藤という人が、
「人の失敗や転落を見るほど楽しいことは無い」と言うようなことをニヤニヤしながら言ってましたが、
図らずもメディアの体質そのものを如実に表していたように思います。


また、去年の幼児虐待死事件の裁判報道では、亡くなった女の子がノートに書き残した言葉を詳細に報じています。
民放は言うに及ばず、NHKではニュースのたびに繰り返しその内容をアナウンサーが語り、字幕まで出していました。

家では家内が目をつぶって耳をふさぎ、遊びに来ていた小学生の孫は涙を流して母親の胸に顔をうずめて泣いていました。

果たしてこれほど残酷な裁判内容をテレビや新聞で報じる必要があるのでしょうか。
被害者の関係者だけでなく、直接的に関係のない日本中の人々の心を傷つけることが報道の自由なのでしょうか。
メディア関係者がその事実に気づいていないとしたら、彼らの精神状態は異常をきたしているのではないでしょうか。

メディアは残虐な事件を面白がって扱っている節があります。
また、凶悪犯罪や大事故、大事件は「金になる情報」と思っているようにも見えます。
はっきり申し上げて、NHKほかメディア各社に対して、こんな精神態度での報道をしてほしいと頼んだ覚えはありません。

言論の自由、報道の自由は人を傷つけたり、毒したりする自由ではないことを肝に銘じていただきたい。




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