赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

朝日新聞の皮肉な偉業 コラム(254)

2018-04-05 00:00:00 | 政治見解



コラム(254):朝日新聞の皮肉な偉業


森友騒動の発端と結末

昨年(2017年)2月9日の朝日新聞記事が発端となり、本年3月2日の記事で再び盛り上がりをみせた朝日新聞社発の森友騒動が終了しようとしています。

今回の森友騒動で私たちは多くのことを学びました。

先入観や的外れな憶測で記事を書くメディアの異常体質が明らかになったこと。
メディア記事を頼りに大騒ぎする無能国会議員の実態が明るみに出たこと。
そして、メディアや国会議員が束になってかかっても官僚一人に太刀打ちできなかったこと、等々・・・。

本件は教育者を装った詐欺師(籠池泰典)が国を騙した事件を、政権打倒の足がかりに利用したところに大きな間違いがあったということに尽きるのです。


朝日新聞は国民の精神の向上と社会の発展に寄与している?

森友騒動に見られるように、朝日新聞社は、国家社会に騒擾状態をもたらし、政権の打倒を社是としています。そして、人びとの不平不満をマルクス主義由来の分断と対立の構造に導き、国民を絶望の淵に追いやることを無上の喜びとし、その目的のために誤報とねつ造をいとわない体質が出来上がっています。

しかし、人々や社会にとって害悪と見える朝日新聞社であっても、歴史の長いスパンで観察してみると、彼らの行為が、結果的に国民の考え方に有効な作用を及ぼしているという一面に注目したいと思います。

たとえば、大東亜戦争は朝日新聞の激しい扇動記事で開戦世論が作られ軍部を暴走させた結果ですが、敗戦によって国民に苛酷な運命をもたらしたために、日本国民が「戦争の愚かさと平和のありがたさ」をしっかりと学ぶことにつながりました。戦後の平和国家日本の建設は、軍国主義の急先鋒だった朝日新聞あってこその功績と言えるのではないでしょうか。

人間は悲惨な出来事に遭遇し、辛さや悲しさ、苦しさを体験しなければ、本当に大切なことを忘れ能天気な人生を歩むことが多いものです。しかし、そうした体験をすると、二度とその過ちはおかすまいと心に刻み、教訓にするものです。それと同様で、朝日新聞社が発端となり引き起こした数々の事態は、実は結果的に国民の精神性を向上させるだけでなく、意外にも、国家、社会の発展に大きく寄与するものであると言えるのではないかと思います。


長期の自民党政権は朝日新聞のおかげ

戦後の朝日新聞は、反米・親ソ・親中かつ日本の社会主義化を強く推進しました。しかし一時的に世論を盛り上げはしたものの、実際には彼らの意図したものとは真逆の社会体制が到来したのです。

日本の主権回復を果たしたサンフランシスコ講和条約から60年安保に至る時期に、朝日新聞はソ連の代理人として反米ナショナリズムを利用しながら政府転覆を画策しました。しかし、対立を煽って分断させる朝日新聞の手法は、政治運動では社会党と共産党の反目を促し、学生運動では日共系と反日共系に分裂させるという革命勢力分断の結果を生み出しました。

また、70年安保の時代には、朝霞駐屯地での自衛官殺害に関与した朝日新聞記者が存在するなど、朝日新聞社自体がテロ集団化しました。なかでも、過激派学生を煽り立てた筑紫哲也氏らの『朝日ジャーナル』文化人は、国内で起きる爆破事件や、過激派内部のリンチ殺人事件などに自分たちが影響を与えていたにもかかわらず「こんな事件が起るのは社会が悪いからだ」と主張するなど、極左暴力集団の支援メディアと化していました。

戦後史を振り返ってみると、朝日新聞による一連の扇動が、大多数の国民に左翼暴力革命への危機意識を喚起させ、結果的に朝日新聞の敵である自民党の長期政権化をもたらしています。

実は朝日新聞こそが自民党にとっての最大の補完勢力といえるのです。


朝日新聞の屈折した歴史観が国民の愛国心を喚起した

親ソから親中に舵取りをしたのが社長であった広岡知男氏です。中国の文化大革命時に日本の報道機関が国外退去を命ぜられる中、朝日新聞社だけが免れたのは広岡氏の親中姿勢にありました。しかも、この広岡氏は70年4月から1ヶ月間、株主総会をすっぽかしてまで中国に滞在し、周恩来首相と会見するなど異例の歓待を受けています。そして、帰国後には、記者の本多勝一氏に中国の取材を指示、その本多氏が書いた捏造記事こそが「南京大虐殺説」を生み出したのです。

また、朝日新聞は90年代に入ると、あれだけ軍事政権と批判していた韓国に、慰安婦問題で接近をはじめました。朝日新聞植村隆記者の「従軍慰安婦」や、社会部トップだった松井やより氏の「強制従軍慰安婦」などのねつ造報道で日本を辱めました。このため、日本は常に韓国に謝罪を要求させられるだけでなく、国際社会からもあらぬ疑いを持たれる結果が招来しました。

朝日新聞は、戦後から今日に至るまで「日本人であること自体が罪」といった贖罪と自虐の意識を植え付ける歴史観を垂れ流しました。その過剰なまでのプロパガンダが逆に、日本の若い世代に違和感と反発を抱かせ、素直で自由な愛国心を抱かせる結果を生み出しました。これも朝日新聞の大きな功績と言えます。若い世代が日本国旗に愛着を持ち、誇らしく国歌を歌う姿は朝日新聞社のシナリオには無かったはずです。


朝日新聞は最高の教師

朝日新聞の戦後最大の功績は、民主党政権の樹立にあります。朝日新聞が鳴り物入りで推し進めた民主党政権は日本の憲政史上最低最悪の総理大臣を三人も生み出し、国民は国際的孤立と経済的な沈滞に呻吟し、閉塞感に満たされた三年間を耐えなければなりませんでした。国民はそのときのトラウマを今でも忘れることはありません。

そのため、民主党政権崩壊以降の国政選挙では、多少自民党政権が叩かれても、「無能な野党よりは自民党の方がマシ」と思われているのです。メディアと野党政党が連携して政権批判し、内閣支持率を意図的に下げて発表しても、野党の支持率が一向に伸びないのはこのためです。

したがって、朝日新聞の考えをそのまま実現させようとすると、一時期、ものごとが混乱に陥るだけで、結果として朝日新聞が意図したものと違う形が生起されるのです。結局、大多数の国民は朝日新聞が意図する世界が、決して望ましいものではないことをよく認識しているのです。

このように朝日新聞はその思想性で、国民を絶望の淵に追いやる諸悪の根源と評価される存在でした。しかし、朝日新聞の世界観を少しだけ長いスパンと透徹した目で見ると、実は朝日新聞こそが国民の精神性や認識力の向上に大きく貢献している最高の教師だったことが分かります。


そして朝日新聞社の使命は終わった

いま朝日新聞の実売部数はわずか40万部と低迷し、経営は限界に達しています。

朝日新聞社の歴史は、パラドックスではありますがある意味さまざまな形で日本人と日本を成長させる使命で彩られていました。

しかし、その使命は経営的にも社会的にも間もなく終焉を迎えようとしています。

日本の未来のために嫌われ者を果敢に演じてくれた朝日新聞社に敬意を表したいと思います。




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