赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

1.日中友好50年~史上最悪の外交的敗北

2023-04-21 00:00:00 | 政治見解



1.日中友好50年~史上最悪の外交的敗北 :230421情報

2022年の世論調査に面白いものがありました。日本の民間団体「言論NPO」などが調査したものによると、
-日本人の中国に対する感情は、依然約9割が「良くない印象を持っている」と答えた―
とあります。

ところが、ほぼ同時期の朝日新聞の調査結果では、
-中国に「親しみを感じる」とした比率は、70歳以上で13・2%、60代で13・4%と低迷している。40代では24・6%とやや上昇する。それが、18~29歳では41・6%。全体平均20・6%の2倍超だ―
となっています。

さすがに中国大好き朝日新聞の嬉しさがにじんでいる記事ですが、「全体平均20.6%が親しみを感ずる」ということは、裏返せば「79.4%が中国に親しみを感じていない」ということでもあります。一所懸命、印象操作しても「日本人の中国嫌い」という本質は変わりません。

中国が好きな日本人は、メディア関係者か中国から何かしら恩恵を受けている(ハニートラップ、マネ―トラップなど)一定の人しか存在しないのです。

なぜ、日本人が中国嫌いなのか、その理由は中国の反日政策と日本侵略の意図に原因があることは間違いありません。欲望むき出しの中国の姿と傲岸不遜の態度が日本人には不快に思えるからです。ただし、ある面で中国をモンスターに育ててしまったのも、田中角栄を筆頭とする日本人の政治家たちの不始末かもしれません。

今回は、中国問題を歴史的に研究されている方の解説と、その方が引用する門田隆将氏の『日中友好侵略史』から、中国という国家の実像を取り上げてみたいと思います。



■1.モンスター国家を育ててしまった「日中友好50年」

2022年9月29日は「日中国交正常化50周年」の記念日でした。50年前、1972(昭和47)年のこの日、
田中角栄、周恩来両国首相が日中共同声明に署名しました。ちょうど半世紀の区切りの年で、一応、記念式典も開かれましたが、国民の間ではしらけムードが支配的でした。

なにしろ、日中共同の世論調査では、日本で「中国に良くない印象、またはどちらかといえば良くない印象」を持つ人が90.9%、中国側でも66.1%の人が日本に対して、同様の印象を持っています[NHK]。

この数字だけ見ても、「日中友好50年」の歴史は、大失敗だったことが分かります。

国民感情だけではありません。尖閣海域での傍若無人な領海侵犯、台湾に対する武力威嚇、チベットやウイグルでの人権弾圧、世界の発展途上国を債務の罠に陥れている一帯一路、等々、中国は今や世界の平和と安定を脅かすモンスター国家に育ってしまいました。

この「日中友好50年」の間に、3兆7千億円近くのODA(政府開発援助)を貢ぎ、また日本企業の対中投資残高は2020年時点で約19兆円にも上っています[Wedge]。

我が国の政府・企業は身を削ってモンスター国家を育て、国際社会に大きな危険と損失を与えてしまいました。

最近のベストセラー、門田隆将氏の『日中友好侵略史』では、「おわりに」で「国交正常化五十年を機に、その歴史を日本は振り返り、これを教訓とし、二度と同じ失敗をしてはならない」と述べています。今回は同書を頼りに、失敗の原因の一端を見ておきましょう。


■2.「国交正常化をできるのは、田中だ」―日中友好侵略史 - 門田隆将

かつて自民党内で「元帥」と畏怖されていた木村武雄という衆議院議員がいました。佐藤栄作首相にも直言できる大物議員でした。中国共産党中央委員で対日工作の責任者・廖承志(りょうしょうし)は早くから木村武雄と接触し、二人は何度も会って、日中国交回復について議論を交わしていました。

やがて田中角栄が頭角を現すと、木村は田中を首相にして、日中国交正常化を進めようとします。木村の秘書を務めていた息子の木村完爾は、当時をこう回想しています。

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国交正常化をできるのは、田中だ、日中国交正常化を武器にすれば政権がとれる、それをしなければならない、と田中さんを説得していました。ライバル福田(赳夫)さんは台湾派のほうに連なっていますからね。私には〝俺が田中政権をつくる〟とよく話していましたよ。[門田、p111]
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木村の後押しを得て、田中軍団は「中国」を前面に押し出して、自民党総裁選に突き進みました。「いま中国に舵を切らなければ、欧米に遅れをとってしまう」、「かつての大戦で迷惑をかけた日本だからこそ、中国に目を向けなければならない」

田中は「日中国交」を旗印にして、福田を破り、政権を取りました。しかし、それによって田中政権は「日中国交」で失敗も後戻りも許されない状況に、自らを追い込んでしまったのです。


(つづく)


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