このブログを最近から読まれている方に説明させていただきますと、僕は3年ほど前から個人的に、ある映画を制作しています。
といっても空白期間があるので実際にはそんなべったり作ったりしてるわけではないのですが・・・
内容はいわゆる学生運動、細かく言えば主に“70年安保”と呼ばれる学生主体の政治闘争に関わった方々のドキュメントです。
ゲバルトデモを中心とした当時の映像をひとつの柱とし、あの「思想の季節」と呼ばれた時代を血まみれで疾走した団塊の世代が、昔と今、どう生きたのか、そしてわれわれ息子世代がそこからなにを受け継ぎ、歴史に向かってなにを恢弘すべきか。
そういったことを訴える内容のものにしたいと思っています。
学生運動について、あまりにもわれわれ息子世代が無知すぎると思ったのが制作を思い立ったキッカケです。
世の中が極端に右傾化する体験をしたわたしにとって「権力と闘うってつまりどういうこと?」という問いは政治的なものでなく、生きることとも直結していました。
権力とは国だけではありません。
あるいは職場、あるいは個人的な人間関係においても、です。
さきほど歴史なんてたいそうなこと書きましたが、実際それは自分が生きる上でのささいなことと非常に強く繋がっていると思います。
社会において自分の価値をどこに置くか、どう考えるか、という問題とも言えるのか・・・
ああ、長くなってきたごめんなさい。
つきつめると『正しい反旗のひるがえし方』を知りたいのです。
彼らが正しい、というのではなく実践した彼らから学び、自分たちはどうするか、そして彼らのやったことに対し、きちんと歴史的な評価を下すにはどう考えていったらいいのか? という部分まで。
とはいったものの、それで自分は何をしたらいいのか分かりませんでした。
歴史の判断が下されていないものに対し、自分からアプローチするということはものすごく難しい。
あと、ぶっちゃけるとわたし自身ただのオタクなので、歴史的にどうとか、そういう視点を持てないのです。
それでもなんとかしたい、と頭の中だけでウロウロしていたある日、このイベントを知りました。
『塩見孝也・生前葬』
これだ、と思い再始動のキッカケとしました。
塩見孝也さんは、日本赤軍、連合赤軍、よど号グループで有名な赤軍派の元議長です。
赤軍派がいよいよ本格的な武装闘争に乗り出す前にパクられてしまったのと、そもそも主要な幹部が一気にパクられてしまったのとで、歴史に刻まれた赤軍派は彼の思い描いた革命運動とは違う方向に進んでいきます。
つまり「赤軍派→連合赤軍→残虐な集団→その残虐な集団を指揮した塩見孝也」というわけではありません。
ここらへん、すごく複雑なのですが、連合赤軍と塩見さんの思想とはえらく乖離している部分があります。そもそも「連合」です。京浜安保共闘という別の党派が合流しています。(これまた複雑、と言うか人間の心理に関わってくる部分なのですが、これが例の“同志殺し”に繋がった一因でもあります)
連赤事件、よど号ハイジャック、日本赤軍による海外におけるテロ。
こうしていろいろあった、いやありすぎて新左翼運動をぶっつぶしてしまった(特に連赤事件によって)わけですが、19年近い獄中生活を送ったあとでは、それも全て手遅れでした。
このあたりの心情について、ロフトの平野悠さんがすごく分かりやすくブログに書いておられました。
つまり、出てきたときには味方はいなく、言い訳も許されない状態。
死んでいったものに詫び、生きている者に反論と同時に同情もしなければならない。
自分が実際に手を下したことならまだしも、そうでないことで。
個人としては極めて重い十字架を背負わされています。
しかしながら、そういった暴走にはしる「論理」の元を提唱したのは彼自身であるので、だからこそこうして何度も「総括」をしているのでしょうか。
のかな?
で、生前葬にお話を戻します。
このイベントは上記のような総括的な意味合い、そして自らが初めて知った労働というもの(左翼は労働者を指揮する立場なんですが、自身が働くのは初めてだそうです。そりゃそうだ)を知り、さらに沖縄の普天間基地問題を闘い抜くために生まれ変わる、ということだそうです。
個人的な恨みはないので、普通にご立派だなーと思います。
ビデオカメラ抱えて一人で行ったので写真はあまり撮れませんでしたが、様々な方が“弔辞”に訪れていました。
以下、写真ある方だけ。
映画『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』 『連合赤軍 あさま山荘への道程』の若松孝二監督
社会学者の宮台真司さん
かつて赤軍派と対立した三上治さん
さて、この後パーティー的なものが行われたのですが、私はその隙にインタビューを試みました。
塩見さんご本人はもちろん、ずっと以前からお会いしたいと思っていた一水会顧問・鈴木邦男さん、たまに朝生にも出ていらっしゃる雨宮処凛さん、そして三上治さん。
三上さんに「かつて敵対した人間を、今はどう思われますか」と聞いたら「それはそれ。矛盾をかかえながら生きていくものじゃない」とのこと。
会場もわきあいあいとした雰囲気。葬というより、パーティーといった感じ。
そんな中、鈴木邦男さんはこのように答えてくれました。
「ガッカリした。もっと何かあるのかと思った。昔こんなことしたら、学生がヘルメットかぶって『ふざけんな!プチブル(小市民)的だ!』って壇上に上がったもんだけどね。(敵同士だから)昔われわれが話すなんて考えられなかったが、それは良くも悪くもある。悪いことの方が多いんじゃないかな。今は緊張感と言うものがまったく無い」
当時、右翼学生でバリバリの武闘派だった鈴木さんは、笑いながら塩見さんの生き方を「マンガですよ、マンガ。すべてマンガみたい」と言っていました。
そして、塩見さんはといえば、著書の中で赤軍をこう語っています。
「赤軍の核というのは、ロマンチシズムなんです」
それはよど号グループが「われわれは“明日のジョー”である」と犯行声明を出したことと合致します。
2年前、まったく合法的な非暴力のデモに参加する塩見さんをインタビューしたとき「いいんじゃないかね、こういうのも」と笑顔で答えてくださいました。
お互いを肯定する、というこの度量は、昔の新左翼とはまったくえらい違いです。特に赤軍派が非暴力なんてことはありえないでしょうから・・・
しかしこれも全て「ロマン」という人間が動く大原則に内包されているのだと思います。
確かにはたからみているとヌルさはあるけど、かつて命をかけ合った人間たちだからこそ、許される部分なのかもしれません。
わたしは少なくとも、今のデモにはロマンのかけらも感じません。
彼らが敗北したとして(「革命」が起きてないので、現実的に見て敗北したと思っています)、その敗北で最も問題なのは、デモを文化として民衆に定着させられなかった点だと思っています。
といっても空白期間があるので実際にはそんなべったり作ったりしてるわけではないのですが・・・
内容はいわゆる学生運動、細かく言えば主に“70年安保”と呼ばれる学生主体の政治闘争に関わった方々のドキュメントです。
ゲバルトデモを中心とした当時の映像をひとつの柱とし、あの「思想の季節」と呼ばれた時代を血まみれで疾走した団塊の世代が、昔と今、どう生きたのか、そしてわれわれ息子世代がそこからなにを受け継ぎ、歴史に向かってなにを恢弘すべきか。
そういったことを訴える内容のものにしたいと思っています。
学生運動について、あまりにもわれわれ息子世代が無知すぎると思ったのが制作を思い立ったキッカケです。
世の中が極端に右傾化する体験をしたわたしにとって「権力と闘うってつまりどういうこと?」という問いは政治的なものでなく、生きることとも直結していました。
権力とは国だけではありません。
あるいは職場、あるいは個人的な人間関係においても、です。
さきほど歴史なんてたいそうなこと書きましたが、実際それは自分が生きる上でのささいなことと非常に強く繋がっていると思います。
社会において自分の価値をどこに置くか、どう考えるか、という問題とも言えるのか・・・
ああ、長くなってきたごめんなさい。
つきつめると『正しい反旗のひるがえし方』を知りたいのです。
彼らが正しい、というのではなく実践した彼らから学び、自分たちはどうするか、そして彼らのやったことに対し、きちんと歴史的な評価を下すにはどう考えていったらいいのか? という部分まで。
とはいったものの、それで自分は何をしたらいいのか分かりませんでした。
歴史の判断が下されていないものに対し、自分からアプローチするということはものすごく難しい。
あと、ぶっちゃけるとわたし自身ただのオタクなので、歴史的にどうとか、そういう視点を持てないのです。
それでもなんとかしたい、と頭の中だけでウロウロしていたある日、このイベントを知りました。
『塩見孝也・生前葬』
これだ、と思い再始動のキッカケとしました。
塩見孝也さんは、日本赤軍、連合赤軍、よど号グループで有名な赤軍派の元議長です。
赤軍派がいよいよ本格的な武装闘争に乗り出す前にパクられてしまったのと、そもそも主要な幹部が一気にパクられてしまったのとで、歴史に刻まれた赤軍派は彼の思い描いた革命運動とは違う方向に進んでいきます。
つまり「赤軍派→連合赤軍→残虐な集団→その残虐な集団を指揮した塩見孝也」というわけではありません。
ここらへん、すごく複雑なのですが、連合赤軍と塩見さんの思想とはえらく乖離している部分があります。そもそも「連合」です。京浜安保共闘という別の党派が合流しています。(これまた複雑、と言うか人間の心理に関わってくる部分なのですが、これが例の“同志殺し”に繋がった一因でもあります)
連赤事件、よど号ハイジャック、日本赤軍による海外におけるテロ。
こうしていろいろあった、いやありすぎて新左翼運動をぶっつぶしてしまった(特に連赤事件によって)わけですが、19年近い獄中生活を送ったあとでは、それも全て手遅れでした。
このあたりの心情について、ロフトの平野悠さんがすごく分かりやすくブログに書いておられました。
つまり、出てきたときには味方はいなく、言い訳も許されない状態。
死んでいったものに詫び、生きている者に反論と同時に同情もしなければならない。
自分が実際に手を下したことならまだしも、そうでないことで。
個人としては極めて重い十字架を背負わされています。
しかしながら、そういった暴走にはしる「論理」の元を提唱したのは彼自身であるので、だからこそこうして何度も「総括」をしているのでしょうか。
のかな?
で、生前葬にお話を戻します。
このイベントは上記のような総括的な意味合い、そして自らが初めて知った労働というもの(左翼は労働者を指揮する立場なんですが、自身が働くのは初めてだそうです。そりゃそうだ)を知り、さらに沖縄の普天間基地問題を闘い抜くために生まれ変わる、ということだそうです。
個人的な恨みはないので、普通にご立派だなーと思います。
ビデオカメラ抱えて一人で行ったので写真はあまり撮れませんでしたが、様々な方が“弔辞”に訪れていました。
以下、写真ある方だけ。
映画『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』 『連合赤軍 あさま山荘への道程』の若松孝二監督
社会学者の宮台真司さん
かつて赤軍派と対立した三上治さん
さて、この後パーティー的なものが行われたのですが、私はその隙にインタビューを試みました。
塩見さんご本人はもちろん、ずっと以前からお会いしたいと思っていた一水会顧問・鈴木邦男さん、たまに朝生にも出ていらっしゃる雨宮処凛さん、そして三上治さん。
三上さんに「かつて敵対した人間を、今はどう思われますか」と聞いたら「それはそれ。矛盾をかかえながら生きていくものじゃない」とのこと。
会場もわきあいあいとした雰囲気。葬というより、パーティーといった感じ。
そんな中、鈴木邦男さんはこのように答えてくれました。
「ガッカリした。もっと何かあるのかと思った。昔こんなことしたら、学生がヘルメットかぶって『ふざけんな!プチブル(小市民)的だ!』って壇上に上がったもんだけどね。(敵同士だから)昔われわれが話すなんて考えられなかったが、それは良くも悪くもある。悪いことの方が多いんじゃないかな。今は緊張感と言うものがまったく無い」
当時、右翼学生でバリバリの武闘派だった鈴木さんは、笑いながら塩見さんの生き方を「マンガですよ、マンガ。すべてマンガみたい」と言っていました。
そして、塩見さんはといえば、著書の中で赤軍をこう語っています。
「赤軍の核というのは、ロマンチシズムなんです」
それはよど号グループが「われわれは“明日のジョー”である」と犯行声明を出したことと合致します。
2年前、まったく合法的な非暴力のデモに参加する塩見さんをインタビューしたとき「いいんじゃないかね、こういうのも」と笑顔で答えてくださいました。
お互いを肯定する、というこの度量は、昔の新左翼とはまったくえらい違いです。特に赤軍派が非暴力なんてことはありえないでしょうから・・・
しかしこれも全て「ロマン」という人間が動く大原則に内包されているのだと思います。
確かにはたからみているとヌルさはあるけど、かつて命をかけ合った人間たちだからこそ、許される部分なのかもしれません。
わたしは少なくとも、今のデモにはロマンのかけらも感じません。
彼らが敗北したとして(「革命」が起きてないので、現実的に見て敗北したと思っています)、その敗北で最も問題なのは、デモを文化として民衆に定着させられなかった点だと思っています。
と思っていたんですがやはり製作は続けていたんですね。
生前葬のことは単にイベントとして捉えていたのでわきあいあいという雰囲気はなんだか想像できました。
塩見氏本人は壇上で何かを語ったりはしなかったのですか?
三上さんも鈴木さんも…
やはりもう当時から時間が経過しすぎているのでしょうかねぇ、
大人の付き合いになっている気がしますね。
ボクも塩見さんが「初めての労働は良い」と語っている記事を読んで
ああ…そうか、とちょっと可笑しかったです。
イベントであると同時に、わりかし真剣みたいですね。
鈴木さんはわりとマジに「なんだこれ」的なこと言ってました。
塩見さんも最後に語られて、朝鮮の歌を歌ってました。
最後には全員でインターナショナルの大合唱。鈴木さん含む。
ただやはり、大人の付き合いとはいえ、沈黙してる人たちよりはよっぽど偉いと思います。Mさんも含めて。
「初めての労働」ってのはどこもそうだなー、と。そもそも共産主義社会って現実見ると、ものすごいヒエラルキーで成り立ってるし。
そういう意味で塩見さんの選択はまっとうだと感じました。
誰の歌ですか??
パフュームかなんかかなぁ、わからないや!
てゆーか、その大合唱すごいですねw
参加してみたかったです。
あ、そういえばオレなんで参加しなかったんだろうwww
確かに沈黙してる人たちよりも断然偉いですよね、
そもそも完沈黙されてたら「知る」こともなかったことなのかな。
Mさんみたいに「おお、ようこそいらっしゃい」的な方がおられてよかったですよね。
会ってないなぁ… Mさん。
そうそう、
昔フランスかどこかの国で製作された
これら当事者の方たちにインタビューした番組(確か山本義隆さんや秋田明大さんも出演)
まさに赤目さんが製作してるようなモノを持ってるんですけど。
観たことあります?参考までに観ますか?
もしかしたらどこかにしまい込んで
見つからないかもしれませんが。
確かに画的にはすごくよかったですよ。
左右その他によるインターナショナル大合唱。
今と昔を比較するのにすごく分かりやすい画でした。
Mさんですね、最近癌の手術をされたそうです。
俺も最近会ってなくて、ちょうどこの日に電話してみたら「癌の手術したよ」と。
今は大丈夫みたいですが、なんかあせるなあ。
あ、その番組知ってるけど観たことないです!ぜひぜひみせて下さい!
つうか久々に会いましょうよ。
もし見つからなかったら、代わりに東京熱のDVDとかになっちゃうかもですw
Mさん、心配だなぁ
そのうち隠居して岡山かどっかに住むなんて言ってたから
どうしたのかと思っていたんだけど…。
そうですね、久々に会いたいですねぇ。
スターウォーズのことはわからない
オレですがw
ちょくちょくそっちには行ってるんですけどね。
東京熱ってなんだろ、て思ったらそっちの方が欲しくなってきた。
Mさんには近々会う予定です。
隠居はしないんじゃないですかね?家建て替えたし。なかなかシャレオツ家でしたよ。
映画に関してとか相談あるんで、まじ会いましょう。