ちくわブログ

ちくわの夜明け

追悼・塩見孝也議長

2017-11-19 22:36:52 | 映画制作
2017年11月14日、元赤軍派議長・塩見孝也さんが亡くなった。


塩見さんとは「赤軍派」のドキュメントを撮ろうと思い立った頃から付き合いがあった。
関係者で一番最初にインタビューしたのが塩見さんだったと思う。
まだよく分かってない頃で、今そのインタビュー映像を見返すとチンプンカンプンな質問をしているが、塩見さんはひとつひとつ丁寧に答えてくれた。

わたしが塩見さんの事を人間的に信頼していたのは、ここだった。
相手の知的レベルに合わせて、決して馬鹿にすることなくそこまで降りてきて話してくれた。
どんな人に対しても平等で、相手によって態度を変えるようなことをしない人だった。そういう態度というか、そういう人、だった。

だから誰にも優しかったし、反面長い付き合いがある相手でもキレる時はすぐキレた。
それどころか現在進行形で世話になっている人でさえ、意見が食い違えばどこであろうと瞬間湯沸かし器のようにブチキレていた。
自分の思想信条や、一度そうと思った事は曲げない人だったように思う。そのせいか元赤軍派で塩見さんが嫌いだという人は少なからずいた。

撮る方としては面白かったけど。




思い返すと、まず最初に言われた事は「なんだキミは。興味本位か」という言葉だった。
このブログにも以前書いたけど、生前若松孝二監督とある集会で同席した時、そういうことをある人に言われて戸惑っている、というようなことを皆さんに話したら、若松監督がとっさに「そんなもの、興味本位でいいんだよ!!」と怒気の混じった声で言われた。
その言葉にすごく勇気付けられた。

最初にそういう経験をしておいて良かったと思う。


2015年、塩見さんは清瀬市議選に立候補した。



結果は惨敗だが、それでもあの票は重かったのではないかと思う。



一週間の選挙戦に4日ほど同行したが、近くで見ているとハラハラするくらい疲れていた。そういうそぶりは見せないようにしていたけど、確実に寿命縮めてるなあ、と思った。



でも、市民の前でアジったり、「おはようございます!!」と言ったりする塩見さんは画になった。







この時も、各地から協力者が事務所に詰め掛けた。

政治的な訴求力というより、妙に人望だけはある人だった。

どこに魅力を感じているのかそれぞれ違うと思うけど、わたしは先に挙げた点と、時折見せる人間的なかわいらしさが、塩見さんの事をどうしても憎めないポインツだった。

最後に会ったのは『連合赤軍事件の全体像を残す会』の例会だったと思う。
会の帰り道、市議選の総括を聞こうと高田馬場の路上で塩見さんに突然カメラを向けた。

その時、別件でもちょっとしたトラブルがあり塩見さんは疲れていた。それにわたしも少し巻き込まれていて、内心「しょうがねえな」と思っていた。

ひとしきり質問した後、駅前で「じゃあ」とお別れする時、最後に少し照れながら「色々とありがとな。来てくれたりアドバイスくれたり。これからもよろしくな」とお礼を言ってきた。


こういうところだな、憎めないな、と思った。




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