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ちくわの夜明け

オリオンの3ツ星

2011-02-04 04:54:09 | 映画制作
京都大学・西部講堂の屋根には大きな3つの星がペイントされています。


以下、ウィキペディアより引用
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“この京都の幻野祭に連動して、奇抜なペイントが西部講堂に出現した。炎天下に十数人の男たちが数日間かけて、西部講堂の大屋根をライトブルーに塗り上げたのである。

青い空に純白の雲が浮かび、さらに赤いオリオン座の三ツ星が大屋根に光を放った。そもそもは、美大生によるスーパー・リアリスムのデザインで、三ツ星を模様として選択したものに過ぎなかったが、日本共産党がこのペイントを見て「(テルアビブ空港乱射事件に参加した)日本赤軍の三人の兵士だと指摘」し、物議をかもすことになった(テルアビブ空港乱射事件に参加し、唯一生き残り逮捕された岡本公三が裁判において、「われわれ3人は、死んでオリオンの3つ星になろうと考えていた。(中略)革命戦争はこれからも続くし、いろんな星がふえると思う。しかし、死んだあと、同じ天上で輝くと思えば、これも幸福である」と陳述したことを指していると思われる)。

日本共産党の指摘に対し、西部講堂のメンバーらは逆に開き直って、「己の生きるシルシとして、3ツの赤い星を永遠の刻印として刻むことにした」。幻野祭の当日、テルアビブの銃撃戦で亡くなった日本赤軍の京大生(奥平剛士、安田安之)の追悼集会を西部構内で行い、西部講堂から農学部グラウンドまでをつなぐ、一大ページェント「幻野祭」を実現したのであった。

その後、西部講堂の大屋根は何度か塗り替えられたが、オリオンの三ツ星は、今も健在である。ただし、色は赤色から黄色に変化している。”

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とあります。

共産党が指摘して云々は事実どうなのか分かりませんが、日本赤軍は京大の京都パルチザンメンバーが多かったようです。
なので、日本赤軍といえば赤軍派を思い浮かべますが、当時は京都パルチザンの血が濃かったのですね。

テルアビブ空港乱射事件こと“リッダ闘争”について触れておくと、日本赤軍が日本赤軍と名乗る前、パレスチナに渡った彼らがPFLPに協力して起こした決死の作戦です。
結果、警備隊との銃撃戦で空港内は血の海となり、26人死亡、73人重軽傷の大惨事となりました。
実行メンバーの奥平剛士氏、安田安之氏は自殺もしくは銃殺、岡本公三氏は自殺に失敗し、イスラエル当局に逮捕されます。



さて。
先日この“オリオンの3ツ星”を見るために京都大学西部構内へ向かいました。
京都駅からバスで京大正門前へ。そこから歩くこと数分。

すぐに目的の“オリオンの三ツ星”が見えました。

アップ。

建物は当時のままで老朽化しており、京都で感じる歴史とはまた違った趣の歴史を感じさせてくれます。
ロックの殿堂として全国的に有名な建物だったようですが、今でも音楽祭など行われているようです。

近くにはサークル棟らしき、ほとんど廃墟のボロボロな建物がありました。


そんなに大きくない建物でも、ここに在り続ける時間を感じさせる佇まいが堂々たる雰囲気で。
昔とまったく変わってしまったであろう周りの風景から、反旗し続ける威容のようなものが漲っていました。

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