最後に向かったのは、石巻市大川小学校。
ここでは児童108名中・74名、教職員13名中・10名が死亡。
今も避難経緯などをめぐり、遺族が学校・市側を相手取り真相解明に向かって動いています。
大川小遺族が提訴へ 23億円の損害賠償請求 石巻市など相手取り - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140310/trl14031008090000-n1.htm
遺族の立ち上げたホームページ
小さな命の意味を考える会
http://311chiisanainochi.org/
到着してすぐ分かる、いわゆる『遺構』的なインパクトのある光景でした。
不謹慎かも知れませんが、カメラを持つ方としては「撮らねば」と思わされます。
撮影し、シクリと胸が痛むこともありますが、ここを訪れたことを自分の中で無駄にしなくない、とも思います。
大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
こうして去年被災地を訪れたことは、そういった思いと、もっとしっかりと考えなければ、という思いを行ったり来たり、何度も反芻させる作業でもありました。
こんな大災害に対し、誰もがどう思っていいかなど分からないだろうけど、しかし一方でこうして自分の中でテーマを作り上げていく、という、あくまでも自己と向き合う作業こそが被災地を忘れないということなのかな、と感じました。
宮城・石巻市の大川小学校周辺 震災37不明者の捜索
http://5.tvasahi.jp/000022899?a=news&b=nss
「被災地のその後」の更新も今回で最後になりますが、こうした記事を書くにあたっても、やはり迷ってばかりでなんか情けないものでした。
見えてきたのは「震災遺構をどうするか」という点に対して、自然に重きを置くようになっていたことでした。
遺構というドラマ性のあるもの、そしてそこからどれだけのものを受け取れるか。で、それはいいことなのか、悪いことなのか??
死にはドラマが無いものもあり、忘れられる死だってあると思います。
この未曾有の大災害には、そんな死もあり、あんな死やこんな死もはらまれている。
そういうことを忘れずにいたい、色々な死に対して冥福を祈りたい、意識を向けたい。
ここでは児童108名中・74名、教職員13名中・10名が死亡。
今も避難経緯などをめぐり、遺族が学校・市側を相手取り真相解明に向かって動いています。
大川小遺族が提訴へ 23億円の損害賠償請求 石巻市など相手取り - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140310/trl14031008090000-n1.htm
遺族の立ち上げたホームページ
小さな命の意味を考える会
http://311chiisanainochi.org/
到着してすぐ分かる、いわゆる『遺構』的なインパクトのある光景でした。
不謹慎かも知れませんが、カメラを持つ方としては「撮らねば」と思わされます。
撮影し、シクリと胸が痛むこともありますが、ここを訪れたことを自分の中で無駄にしなくない、とも思います。
大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
こうして去年被災地を訪れたことは、そういった思いと、もっとしっかりと考えなければ、という思いを行ったり来たり、何度も反芻させる作業でもありました。
こんな大災害に対し、誰もがどう思っていいかなど分からないだろうけど、しかし一方でこうして自分の中でテーマを作り上げていく、という、あくまでも自己と向き合う作業こそが被災地を忘れないということなのかな、と感じました。
宮城・石巻市の大川小学校周辺 震災37不明者の捜索
http://5.tvasahi.jp/000022899?a=news&b=nss
「被災地のその後」の更新も今回で最後になりますが、こうした記事を書くにあたっても、やはり迷ってばかりでなんか情けないものでした。
見えてきたのは「震災遺構をどうするか」という点に対して、自然に重きを置くようになっていたことでした。
遺構というドラマ性のあるもの、そしてそこからどれだけのものを受け取れるか。で、それはいいことなのか、悪いことなのか??
死にはドラマが無いものもあり、忘れられる死だってあると思います。
この未曾有の大災害には、そんな死もあり、あんな死やこんな死もはらまれている。
そういうことを忘れずにいたい、色々な死に対して冥福を祈りたい、意識を向けたい。
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